第74話一九二七年、松平紀教(徳川斉昭)改め松平恕昭

 本当に効果があるのかは分からないが、俺は自分の方針に沿って戦略を考えて、松平紀教(松平斉昭)を家臣を誘ったのだが、拒否されてしまった。

 水戸家から養子に出された部屋住みの子弟である俺の家臣になるのは、本家の誇りが許さなかったのだろう。

 自分も部屋住みに過ぎないくせに、傲慢な事だ。

 可哀想なのは、水戸徳川家の家臣から出される事で加増が約束されていた、微禄の下級藩士たちだった。


 水戸徳川家は実高と表高と家格が不均衡で、立藩された時から赤字だった。

 それが二十五万石から三十五万石に家格が上がったのに、実高が増やされるなかったので、不均衡が更に激しくなり常に赤字状態になっていた。

 だから、徳川治紀に時代には二度目の半知借上、藩士の禄を半分にするところまで追い詰められている。


 それを将軍家や幕府に助けてもらいながら、尊王反幕府など片腹痛い。

 そもそも幕府創業に何の寄与もせず、ただ徳川家康の子供であるというだけで、天下泰平のために三十五万石もの家を与えられたのだ。

 それを天下を乱す言論を吐き大老井伊直弼を殺すなど、犬畜生にも劣るというのが俺個人の視点だ。


 ましてそれが牛肉の味噌漬けを贈ってもらえなかった逆恨みだとすれば、罠を仕掛けてでも殺すしかない。

 まあ、牛肉の味噌漬けの恨みというのは、与太話の一つに過ぎないけれどね。

 だから試しに食欲で釣ってやることにした。


 俺が秘蔵の製法で作った、猪バラ肉ベーコンと猪舌肉のタンハムはもちろん、ロースハムとボンレスハムも贈ってやった。

 タンハムを贈るのは本気で惜しいと思ったが、与太話が真実かどうか、どうしても確かめたくて、食欲を抑えて贈ってやった。


 同時に留守居役を通じて、徳川家慶に策を教えてやった。

 加増移籍話がなくなって落ち込んでいる水戸徳川家の下級藩士に、徳川慶彊を当主にする事に賛成すれば幕臣に移籍できると、門閥上級藩士を通じて流す策だ。

 この策が的中した。


 故藤田幽谷、藤田東湖父子の狂信的な尊王門下生以外は、全員手のひらを返して徳川慶彊の擁立に賛成した。

 扶持が五割増しになるうえに、半知借上が行われる心配もない。

 武士としての格も、陪臣から将軍家の直臣になれる。

 人間の欲と汚さが露になった。


 幕府としても、水戸徳川家の藩士の数を減らし、勝手向きの収支を改善しなければいけない事は、よく理解していた。

 勝手向きの大切さは俺が厳しく将軍家子弟と幕閣に指導したし、祟りと天罰を恐れる徳川家斉と徳川家慶が倹約を率先垂範している。

 それは徳川家斉と徳川家慶の子弟にも強く影響を与えていた。


 進退極まったのは松平紀教と狂信的な尊王派だった。

 水戸学藤田派の尊王狂信者達は、徳川慶彊が養嗣子に迎えられると同時に、水戸徳川家を召し放ちとなった。

 松平紀教もこのままでは暗殺されるかもしれないと思ったのだろう。

 俺に頭を下げてきたので、召し抱えてやることにした。


 召し抱えた理由は温情ではなく、戸田忠太夫、藤田東湖、武田耕雲斎を代表とする、狂信的尊王派に謀叛を起こさせないためだ。

 松平紀教に諱を与えて松平恕昭に改名させ、一万石格の松前藩家老として、宮古島を中心とした宮古列島、石垣島と西表島を中心とした八重山列島の領主とした。

 表向きは南蛮の侵略を阻んでもらうためだが、本心は八重山熱と呼ばれたマラリアで病死させるためだ。

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