第25話一八二五年、予言。

「さあ、御告げを伝えにいこうか」


「はい、父上」


 正直な話、ここ数年は防げない自然災害や疫病がないので、火事を御告げするかどうか迷ったが、被害者の事を想うと黙ってはいられなかった。

 でも、ぎりぎりまで迷ったから、十二月まで御告げの時期が遅れてしまった。

 まあ、それには、俺の頭中で旧暦と新暦の変換が上手くいかなかったこともある。

 本当なら年が変わった正月の謁見の時に御告げする心算だったのが、旧暦と新暦を勘違いしてしまっていたので、この時期の御告げになってしまった。


 今回の火事は、尾張名古屋の前津経堂筋にある紺屋から出火して、千四百余軒を焼く大火災だったはずだ。

 多分、弟の秀之助が尾張徳川家を継いで徳川慶勝になるはずだが、俺の評判がよければ、史実よりも早く尾張徳川家を継ぐことになるだろう。


 俺が尾張徳川家を継ぐことも考えたが、莫大な利益があがり、将来は幕府を凌ぐことが確実な、蝦夷樺太領を持つ松前藩を召し上げられる方が損だ。

 尾張徳川家は秀之助に任せて、俺と秀之助が協力して西欧列強と戦うことができたら、それが理想の形だろう。


 だから、徳川家斉や幕閣に御告げし、火事が起こる尾張徳川家十代目当主の徳川斉朝にも連絡しようとしたが、タイミングが悪く徳川斉朝は尾張領に戻っていたので、尾張藩江戸家老に伝え、早飛脚での徳川斉朝に伝えてもらう事になった。

 尾張徳川家は高須松平家の本家にあたるので、念には念を入れる意味で、俺自身からも手紙を送ったし、高須松平家の当主である御爺様からも手紙を送ってもらった。


 どうせ御告げをするのならと、年が変わって起こる火事も予言しておいた。

 越後高田領の伊勢町番所ぎわの小路にある、木挽き職人十吉の家から昼前に出火する火事で、夜遅くまで鎮火させることができず、千八百軒前後の家が焼けてしまったはずだ。

 この火事の件も一緒に徳川家斉や幕閣に御告げし、火事が起こる越後高田藩の三代藩主榊原政令にも直接伝えた。


 何重にも安全策を使った心算だったのだが、尾張徳川家に届けられたはずの、幾つもの手紙がどこかに行ってしまっていた。

 その為、御告げ通りに前津経堂筋にある紺屋から出火して、千四百余軒が消失し、多くの人が家屋敷財産を失って焼け出された。

 それだけではなく、取り返しのつかない事に、七人の人が焼死してしまった。


 幕府と尾張藩が全力を挙げて調べたが、全てを早飛脚が届けたはずなのに、尾張領には届いていないことになっていた。

 受け取った藩士がいるはずなのだが、全ての藩士が受けとっていないという。

 証明すべき飛脚は殺されてしまっていたので、誰が全ての手紙を握り潰したのか、分からなくなってしまった。

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