第9話一八二三年、新規召し抱え武芸大会・若党隊

「これより新規藩士選抜上覧試合を行う。

 剣術、槍術、砲術、弓術にかかわらず、武芸に秀でた者を抱え席で召し抱える。

 特に武芸に秀でた者は、二半場として召し抱える。

 東照権現様に誓って正々堂々と戦うべし」


 俺は大勢の仕官希望者の前で宣言した。

 高須松平家から三百人規模の部屋住みと武家奉公人を、抱え席で一代召し抱えしたのだが、それではとても人数が足りなかった。


 北前船一七四隻に一人の目付を乗船させるだけで、百七十四人の家臣が必要になり、武装商船として運用するのなら、千三百石の北前船には船頭以下十六人の乗員がいるので、半数の八人は武士が乗船しなければいけない。

 北前船にも大小はあるが、大型船が多いのが北前船の特徴で、一隻当たり平均十六人として、自前の北前船だけでも千三百九十二人もの水夫や主水同心が必要だ。


 そこで俺は武芸大会を開いて有望な家臣を集めることにした。

 旗本八万騎だけでも、次男以下の部屋住みが一人いれば八万人の厄介者がいる。

 子供の恵まれない家もあれば、女子だけしか生まれず、男子のいない家もある。

 だが日本中の武家の部屋住みの数を考えれば、優秀な仕官希望者を千三百九十二人集める事は可能だった。


 問題はその費用をどれだけ抑えるかだ。

 蝦夷地の開拓が終わるまでは、北前船利益だけで家臣の扶持や役料を稼がないといけないのだ。


 三百万両の軍資金は確保する事ができたが、あらゆる手段を使って戦費、軍資金を稼がなければいけない。

 歴史を調べた俺には分かっている事だが、徳川家康が成し遂げた天下泰平の弊害で、ほとんどの武士が軍資金を稼ぐ事の重要性を忘れてしまっている。


 だから俺は武芸大会も興業とした。

 特に砲術と騎射の流鏑馬、犬追物、笠懸を重視して武芸大会を開いた。

 高須松平家の上屋敷と下屋敷に加え、親戚の会津松平家、近江国三上藩遠藤家、出雲国広瀬藩松平家の屋敷を試合会場として、見物料と飲食料を稼げるようにした。


「若党鉄砲組」

若党:八十名:三両一人扶持=二百四十両八十人扶持

伍長:九名 :四両一人扶持=三十六両九人扶持

什長:六名 :五両一人扶持=三十両六人扶持

廿長:四名 :六両一人扶持=二十四両四人扶持

組長:一名 :十両一人扶持=十両一人扶持

計 :百名 :三百三十六両百人扶持=五百三十六両

妻妾一人に付き一人扶持支給

実子一人に付き一人扶持支給

男扶持一日玄米五合=年玄米五俵

女扶持一日玄米三合=年玄米三俵


「千石船甲」

全長:二十三・七十五メートル

最大幅:七・二十四メートル

積石数:五百十二石

帆の大きさ:約百五十五畳


「千石船乙」

重量:約九十トン

全長:三十メートル

最大幅:七・四メートル

積石数:八百六十五石

帆の大きさ:約二百畳

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