死ぬ罪。生きる罪。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


「……えっ? 匠?」


 匠は必死に痛みを堪えて歯をくいしばる。美紅を庇い、針を食い止めたのだ。


 心臓付近に穴の空いた匠は地に手と膝を付けて、苦しそうな表情を浮かべる。当たり前だ。もう死んでもおかしくない状態である。


「美紅……」


 匠は萎れかけている声を絞り出して、最も愛する人の名を呼ぶ。圭吾、蒼、実乃利の三人は沈黙を選び、二人の様子を眺める。悲恋における別れの感動シーン。そんな言葉でまとめられるような別れではない。永遠の別れと、実ることのない恋。最後に好きな人を守ったという栄光が、どれほどナンセンスに思えるか。


 実乃利は涙を流して、切ない感情を露わにし、圭吾は友達の死に絶望する。


「どうして? どうして、私を……」


 美紅は自分を庇った理由がわからず、困惑している。


「俺は、さ。美紅のことが……好き、だから……」


 シンプルな言葉だからこそ、伝わるものがある。


「え、だって、私……」


「わかってる。それでも俺は、おまえが――好きなんだ」


 美紅は蒼のことが好きだ。それを知った上で匠は美紅を好きでいたし、美紅の恋を心から応援していた。


 匠は体に力が入らなくなって、地面に体が落ちる。


「大丈夫⁉︎」


「いや、いいんだ。何も言わなくて。伝えただけで、もう、満足だから……」


 美紅が何を思っても、何をやっても、匠が立ち上がることは二度とない。理不尽だと思うか、無慈悲だと思うか、はたまた男としての名誉だと思うか。


「笑顔が、いいんだからさ、笑ってよ。最後くらい……」


「うん……」


 頬を上げ、目を穏やかにし、顔の力を抜いた。涙が頬を伝いながらも、匠に笑顔を送った。匠はそれを見上げると、苦しい表情を嬉しい表情で上書きし、ゆっくりと瞼を閉じる。


「ありがとう」


 それが最後の言葉だった。


 死は一瞬にして訪れる。そして、その死はここにいる全員、誰彼構わず狙っている。みんな生きることの素晴らしさを痛感した。


「匠のためにも、ここで止まってちゃダメだよ。先に進もう」


 実乃利は涙を拭いながら匠の意志を彼女なりに解釈し、考えをみんなに伝える。他のメンバーも同じ考えで、いち早くここから出ようという気持ちになった。


 美紅の亡骸を越える足は重く、罪悪感もあった。自分が鈍感だからこんな悲惨な結果へ導いてしまったのだろうか。そんなことを考えながら先へと進んだ。




 一切変わる様子を見せない通路が延々と続き、そこを歩いていることが馬鹿らしく感じるようになった。


 振動。次に何かが崩れる音。それらの源がすぐ後ろにあると感じ、全員が嫌な予感がした。後ろを振り返るのすら、首が痺れて動かなくなるほど怖い。


「走るぞ!」


 蒼が叫び、一同は走り出した。


 案の定、通路の壁を壊して複数の魔物が現れていた。一匹の魔物は同じ空間にいる四人に気がつくと、さっきの魔物とは比べものにならないほどの速さで走ってきた。


「はぁ⁉︎」


 さすがに後ろの状況を確認しなければと思って、振り返った蒼が魔物の移動速度に思わず奇声を上げてしまう。


 追いつかれると思った瞬間、天井が光る。そして、魔物の足元を中心にして地面に穴が開く。後ろを向いて減速していた蒼と、元々足の遅い美紅が穴に飲み込まれそうになる。蒼は持ち前の反射神経でジャンプし、落下を回避した。


 一方美紅は、辛うじて地面に上半身を残すことができ、なんとか落下することはなかった。しかし、さっきと決定的に違う、最悪な点がある。それは、穴の向こうに魔物がいて、さっきと同じように壁ができていない点だ。


 しかも、空いた穴もそれほど大きくないため、魔物なら軽くジャンプすれば届く距離であることは試してみなくてもだいたいの想像はできる。


「蒼……助けて……」


 美紅の体は恐怖にひれ伏してしまい、思うように力が入らない。それで、下半身を持ち上げられなかったのだ。なので、震えた声は蒼に助けを求める。しかし。


「ごめんな」


 蒼はそう言い残し、全力で圭吾たちを追った。それが何を示していたのか考える必要もない。美紅はフラれたのだ。彼女自身、それに気づいて絶望する。それと同時に、自分の好きな人は他人を見殺しにして、自分だけ逃げるような最低な人間であることも知った。そんな人間ですらないやつを好きでいた自分に絶望した。


 私のことを一番に考え、私のために行動してくれる匠の方がよっぽどカッコいいと今頃になって気づいた。


 さっきみたいに手を差し伸べてくれる者は誰もいない。実乃利ならば、もしかしたら助けてくれたかもしれないが、彼女まで魔物の餌になると考えれば、自分一人の犠牲で済めばいいのかなと思う。


 足の速い魔物の後についていた魔物が到着し、穴を飛び越える。魔物にじわじわと食べられるよりは、落下死した方が楽かもしれないと考え、全身の力を抜いた。


 最初は浮遊感、徐々に落ちているという実感が湧いて、涙が溢れてくる。その涙にはたくさんの感情が詰まっていて、その一粒一粒に感情が詰まっている。宙に放たれては宝石のような輝きを放ち、儚く散っていく。まるで野に咲く花のよう。まるで人の一生のよう。


 せっかく守ってくれた匠の命を無駄にしてしまった罪悪感と死の恐怖に挟まれ、落ちる前に死んでしまいそうになった。私でなく、匠が生きてくれてた方が良かったなんて思う。でも、このまま生きることができていたのならば、私は匠の死をここまで尊く思うことはできなかっただろう。ならば。


 死んで正解。


 そう思って圧からできる限り逃げ、自我を保つ。私よりも先に落ちた魔物が地に着く音が穴の中で響く。


 目を閉じて、歯をくいしばり、何も考えないということだけを考えた。美紅は数秒もしないうちに地へ到着して、鈍い音が鳴るのと同時に意識は消えた。

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