起源
「ほら、今だ、今しかない」
そう言って志那 圭吾(しな けいご)が藤間 美紅(とうま みく)の背中を押す。もう放課後になり、夕焼け色に染まった教室を四人でこっそり覗いていた。四人の目は美紅が片思いしている東与賀 蒼(ひがしよか そう)に向いていた。彼は誰もいない教室で静かに勉強しており、耳にはイヤホンをしている。
「でもぉ……」
美紅は緊張に押し潰されて今にも泣きそうで、外見に見合った弱々しい声を上げる。そんな弱気な彼女の肩に優しく手が置かれた。
「好きなら頑張りなよ。このタイミング逃したら、次いつくるかわかんないし、私たちが見守ってるから心配しない」
美紅を励ますのは圭吾の彼女の実乃利だ。彼女は持ち前のお姉さんオーラと、明るい表情を行使して美紅が前進するよう促す。しかし、美紅は硬直したままであった。
「んじゃあ、ゆっくり深呼吸してみて」
「すぅ……はぁ……」
美紅は小さな口で息を吸って、吐いた。おかげである程度の落ち着きを取り戻した。それでも、心音が自分の体内から溢れそうなほど大きな音を立てる。
「はい、これで大丈夫」
「俺も隣にいるから、もっと肩の力を抜いて」
実乃利の真似をして反対の肩に手を乗せるのは池原 匠(いけはら たくみ)だ。彼は美紅の肩を揉み始める。
「ほら、こんなに固くなっちゃって。もっと、その貧相なおっ――」
匠が下品な例えをしようとしてしまったため、美紅のツインテールが勢いよく揺れる。それに続いて小さいながらも力のこもった拳が匠の脇腹へヒットする。
「痛っ! 痛ぇ……すみません、貧相なんて言って……。まぁ、実際に貧相ってことは間違って――ってぇ、そろそろ内臓が壊れるぅ」
「じゃあ余計なこと言わないで」
二発目の弾丸が飛んだ。美紅の緊張はいつのまにか和らいでいた。美紅はそれに気がついたが、匠に感謝しようとは思っていない。恥ずかしいし、プライドが許さなかったからだ。
対して匠は、美紅の緊張具合が和らいだように見え、良かったという感情と蒼への嫉妬心が上手く溶け合い、灰色に染まった。
圭吾と実乃利はその光景を温かい目で眺めていた。これが甘酸っぱい青春なんだなと皮肉に近い言葉を脳裏に浮かべる。
そんな時、教室にいる蒼が机に並べられていたノートをリュックに入れ、そのリュックを担いだ。片付けている最中、イヤホンを外していて、美紅はそのタイミングをなんとか捕まえる。
「あの、蒼くん」
「どうした?」
「その……」
震える声が廊下まで漏れ、彼女の緊張が他の三人にも伝染する。美紅の表情は笑顔とも怖がっているとも取れる顔であった。見ている側もドキドキしてしまう瞬間。頬を赤らめた美紅は目を泳がせて続きの言葉を躊躇う。
「あ、こ、今度、どこか行かないかな〜って思って」
「そうだね、最近忙しくてみんなで集まれてなかったから。それに、受験も控えてるから、行くなら今しかないかもね」
「う、うん……みんなで」
彼女は二人きりで行きたいとは言えず、流れるままに話を進めた。美紅は蒼と会話する時、自分の気持ちを隠そうとすることに必死で、素直になることを忘れてしまう。自分の強欲さと後悔を忘れて自我を保とうとする。
「どこ行くの?」
「あ、まだ、決まってない」
外の二人はもどかしい思いを胸に溜め込み、匠は胸が苦しく締め付けられながも、その可愛さに見とれる。この三人は傍から見れば変態に見える。しかし彼らは先生に不思議そうな顔を向けられても、歯牙にも掛けない。
「じゃあ、決まったら教えて。予定空けるから」
美紅が小さく頷くと、蒼は用事があるからまた明日ねと言ってイヤホンをつけ直し、帰っていった。美紅はバイバイと小さく手を振る。蒼の開けたドアとは反対のドアから入れ替わるように三人が教室に入った。蒼にバレていないようで、三人は胸をなでおろした。
「もっと落ち着けばよかったのに」
「まぁ、美紅なりに頑張ったんじゃね?」
圭吾の言葉から美紅を守るように匠が褒める。いつもの匠なら、美紅を茶化すだろうが、今回ばかりは空気を読んだらしい。
「うーん、五人で行くったって……ねぇ」
実乃利はどこへ行くかを考えていた。五人で行っても、蒼と美紅を二人きりにさせることができる場所……。
「肝試しとかはどう?」
「あ、良いな。吊り橋効果狙えるし」
「他にも、私たちが誘導すれば二人きりにさせられると思うし」
「この学校の地下にあるって言われてる魔物の牢屋探すって理由で、夜中ここに侵入すればいける!」
さすがカップルと言いたくなるほど息ぴったりの会話に、匠が羨ましげな目線を送る。美紅はその意見に賛成し、日付を来週の土曜日に決定した。
土曜日の夜中、午後十時をいくらか過ぎた時間。親の目をかいくぐり、学校の塀を飛び越え、予め開けておいたベランダの窓から圭吾、匠、蒼、実乃利、美紅の五人は校内に侵入した。
「夜の学校って新鮮だね」
実乃利が楽しそうに微笑み、その後ろで美紅がガクガク震えている。懐中電灯のおかげで、ある程度は明るいものの、不気味な雰囲気は取り除けない。
「そんな悠長なこと言ってないで、早く帰ろうよっ!」
「おいおい、まさかオバケが出るとでも思ってんのか? 子供じゃあるまいし」
「うるさい! 怖いものは怖いの! わかる?」
匠が茶化すと鋭利な言葉が夜の学校に響く。いやいや、おまえの方が怖いよ。と匠は心の中で呟いた。
「まぁまぁ、せっかく来たんだし、喧嘩しないで」
蒼が王子様のようなカッコいい笑顔で二人を宥めるものだから、どちらもすぐに引き下がった。
校長室を前に、全員が立ち止まる。それは、地下へと続く道が校長室にあるという噂があるからだ。
「そういえば、鍵は持ってるの?」
美紅が急に冷静になり、呟いた。ウキウキ気分だった美紅を除いた四人は一番の楽しみを潰されたことにがっかりした。
「やっぱ持ってないんだ。じゃあ、帰ろうよ」
美紅は急かすように言う。
「くっそー! せっかく来たんだ、せめて探検させろよぉ――」
匠が校長室の扉を開けようと悪あがきする。すると、鍵がかかっていなかったらしく、扉はいとも簡単に開いた。
中には優勝旗などの貴重品が飾られており、両サイドに本棚、中央にはソファーと机があってその奥には先生用の仕事机がある。
「え、えぇー⁉︎」
美紅は絶望した様子で実乃利の肩を掴み直した。そこで、五人は校長先生が忘れっぽい人だったなと思い出す。
朝会があることを忘れて生徒たちを待ちぼうけさせたことや、体育祭の日、普通に休日と勘違いして休んだことなど、校長先生にはたくさんの伝説がある。そのため、鍵をかけ忘れていてもおかしくなかった。
五人は校長室を念入りに調べ、ありとあらゆる物を出しては片付けてを繰り返した。しかし、地下へと続くものは何も見つからなかった。本棚の裏に地下への階段があるわけでもない。
「まぁこんなもんよ。噂は噂。オバケ同様、地下の話も実際には存在しないんだよ。あっ」
地下への道が見つからず、諦めかけた時、匠が誤って本を落としてしまった。その本はこの五人を導くように創立記念品が置かれている机の下に潜り込んでしまう。
匠がそれを取ろうと机の下に手を入れ、掻き回すと、カチッという音が鳴った。それと同時に、校長室の床のところどころに穴が空く。その穴はピンポイントで五人の足元にできた。
五人は何かしらの反応をする余裕もないまま、悲鳴と共に地下へと消えていった。
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