37.「天使少女と、愛の処方箋?」

 そして、それから。僕たちは一度、宿に戻ることにしたのだった。

 

 見上げると、東の空に太陽が登り始めている。朝焼け、というヤツだろうか。

 薄暗い空。そしてオレンジ色に染まる地平線――。


 ふと周りを見ると、町の人たちも、足を止めて東の空を見上げていた。

 ――これから新しい一日が始まる。自分は、新しい一日を迎えられる。

 それは、安堵と希望が入り混じった日の出の風景なのかもしれない。


 そしてそんな景色に、一瞬心を奪われていた僕だったのだけれども……。

 みんなと一緒に町を歩く僕の隣に、ふわふわとギブリールが戻ってくる。


 ギブリールは「ただいま、トーヤくん♪」と、悪戯っぽく僕に言う。

 そしてそんなギブリールに、僕は「おかえり、ギブリール」と返すのだった。


 ――ギブリールとの、いつもの挨拶。


 しかし何やらギブリールは、「ふんふふーん♪」と鼻歌交じりで。


 ……どうしたんだろうか。いつもより上機嫌な気がする。


『トーヤくん、モテモテだねー♪』


 きっと、さっきのやり取りを見ていたのだろう。どこか茶化すようなギブリールの言葉に――けれども僕は、俯きがちに答えるのだった。

 

(僕は……全然そんなこと、無いですよ。……僕なんて所詮――好かれる資格もない、薄汚れた暗殺者、なんですから)


 そして僕は念話でそう言うと、強がって笑う。

 それは嘘偽りない、本心からの言葉だった。思わず溢してしまった本音に、僕はちょっぴり後悔する。

 人はそう簡単に過去を捨てられるものじゃない。それは、僕だって同じだ。


 人を殺し、人々に蔑まれる暗殺者――


 リゼやエレナと親しくなるたび、暗い考えがくさびのように突き刺さっていく。

 表では明るく振る舞っていても、どうしても卑屈になってしまう自分がいた。


 けれどギブリールは、ブンブンと首を振ると、僕の言葉を一生懸命否定する。


『ううん、そんなことないよっ! トーヤくんは強いし、優しいし、それに、男らしいし……好かれる資格なら、ほら、いーっぱい持ってるよっ!』


 一生懸命僕を励まそうとするギブリールに、思わずほっこりしてしまう。

 ――優しいな、ギブリールは……。


(ありがとう、ギブリール……でも、やっぱり、ダメなんだ……)


 ギブリールに優しく微笑みながらも――僕は彼女の言葉に、小さく首を振る。



『トーヤくん……』


 ギブリールは前を歩くトーヤの背中を見つめながら、小さく呟く。


『ごめんギブリール、こんなこと言っちゃって。でも、僕は大丈夫だから』


 ――トーヤくんはあの後そう言っていた。けれど……。

 ギブリールには、どうしても大丈夫なようには思えなかった。


 ――大丈夫、トーヤくん。

 キミには愛される資格があるってことを、ボクが証明してあげるから……!


 そしてギブリールは、を決心するのだった……。



  ◇



 そして『花の都亭』に向かう、僕たちだったのだけれども。


 道中、魔物が暴れ回った後ということもあって、あれほど美しかった町の風景も荒らされてしまっていた。


 ただ救いだったのは、町で人死にを全く見なかった事だろうか。

 これは皆の、そして僕の頑張りが報われた証拠と言っても過言ではないだろう。



 ちなみにあれからアンリさんだけは、まだ町の方に残っている。

 曰く、王国騎士として、今回の事件について中央へ報告しなければいけないのだそうで、その為の調査をするのだとか。


 アンリさんは「国を守る騎士として、当然の務めですから」と言っていたものの……かなり疲れていた様子だった。


 ――それも無理もない。彼女は今回の戦い、影の功労者だったのだから。

 

 後方でレオが指示し、衛兵が魔物を誘導し、最後にリゼが仕留める――この作戦の中で、現場で衛兵たちの指揮を執っていたのは、他ならぬアンリさんだった。


 伝令役のケルビンが運んだレオの指示に従い、的確に衛兵たちを指揮する。それだけでなく、包囲網から漏れた魔物たちを仕留める役割を遊撃部隊である僕と共に担っていたのだ。それはもう、疲れるのも当然としか言えないだろう……。


 後でお疲れ様、と言っておこう。……うん、そうしよう。



  ◇



 そして僕たちは、『花の都亭』の前までやって来たのだった。


 どうやらこの区画は比較的被害が少ないらしく、『花の都亭』も建物の前が多少荒れている程度で済んでいるようだった。


 ――カランカラン。そして僕たちは、建物の中へ入っていく。


 入ってすぐの食堂では、何やら衛兵たちが女主人と話していた。


 そして僕は遠巻きから、こっそりと聞き耳を立てる。

 まずいな……。彼らの目的は、僕たちを襲撃してきた暗殺者の身柄だろう。


 ここでわざわざ衛兵たちと対立するメリットは、どこにも無い。


 あの男は僕自身の手で、拷問――もとい、尋問がしたかったんだけど……。

 だが、衛兵が来てしまった以上、あの男の身柄は彼らに引き渡さざるを得ない。

 

 ――こうなったら仕方ない、か。

 そして僕はリゼ、そしてレオの三人で、衛兵たちを部屋まで案内する。

 封鎖された浴室の扉を開けると、拘束された老暗殺者の姿が見えた。

 

 どうやら一応、命は無事だったようだ。

 ――まあ、ただ、これから先の命の保証はない訳だけど……。


 僕はこの先この男に起こる事に同情しつつ、男の身柄を引き渡すのだった。

 

 

  ◇



 そして、その後。

 荷物を運び終えると、ようやく僕はベッドの上に腰掛けるのだった。


 建物全体が貸し切りだから、安全の為、他の部屋に移動した訳だけれど……

 相変わらずベッドは一つだけで、キングサイズのふかふかのふわふわだった。


 ……うーむ。ついベッドの上に登ってしまう。

 体を休めるだけなら、別に床の上でも十分なのだが。

 それどころか、暗殺者として、もっと酷い環境で休まざるを得なかった僕からしたら――むしろこの床の上ですら、贅沢なのだが。


 ――ただ、疲れた体にふかふかベッドの誘惑は、反則級としか言えない。


 まるで、『贅沢を覚えた猫』のようだな……。

 そして僕は、ゆっくりと後ろに倒れる。



 ――そういえばギブリールは、どこへ行ったんだろう。


 思えばこの館に入ってから、急に姿を見かけなくなった気がする。

 まあ彼女は半分、幽霊みたいなものだから、神出鬼没なのは今に始まったことじゃないんだけども……少し、気になるな。



  ◇



 ……そして、しばらくして。

 落ち着ける空間に戻ってきたということもあり、それぞれが気分転換に興じていたのであった。


 リゼは喉が渇いたのか、カップを棚から取り出すと、水を注いでいく。

 そしてその中の一つを手に持つと、僕の方へと近づいて来るのだった。


「……はい、これ。トーヤ君の分」


 そう言ってリゼは、僕にカップを差し出してくる。

 

「ありがとう」


 僕は静かに体を起こすと、リゼからカップを受け取る。

 ちょうど僕も喉が渇いていた所だった。何しろあれだけハードワークの後なのだ。それに全然、水が飲めていなかったし……。

 そして僕はリゼに感謝すると、カップに口をつける。


 ……ん? 何だろう、ただの水じゃないような。


「……リゼ、この水に何か入れた?」

「ええ、石鹸をくれたお店の女の子がいたでしょう? その子がオマケでくれたの。袋には、『元気が出る薬』って書いてあったわ」


 そう言って、リゼは薬が入っていた袋を取り出す。そこには確かに、『元気が出る薬』とだけ書いてあった。

 

 ――『元気が出る薬』……なんだろう、すごく嫌な気がする……!


「もしかしてリゼも、その薬を飲んだり……」

「……ええ、美味しかったわ。いちごの味がして……それが、どうかしたの?」

「いや……。僕の思い過ごしだと良いんだけど……」


 僕もあの時のことはハッキリと覚えている。

 あれは、銀級勇者に絡まれていた女の子を助けた時のこと。彼女は僕たちにお礼として、『翡翠ノ国』産の高級石鹸をくれたのだが……。


 確かあの時、お店の女の子はこう言っていたっけ。


『……それと、袋の底には『イイもの』を入れて置いたので……是非、彼氏さんと楽しんで下さいね♪』


 …………。

 えーっと、『元気が出る』って、つまり、そういうこと……?



 ――ドクン、ドクン。


 突然、心臓の鼓動が早くなる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着けっ。例えこれが『そういう類の薬』だとして……僕ならば、余裕で耐えられる……はず。


 ――僕だけならば、問題ない。

 ただ問題は、この薬を飲んだのが僕だけじゃないということだ。


 ……そして薬の効果は、すぐに現れた。


 これは……ヤバい。

 あり得ないほど充血したトーヤの己自身が、服の下から主張し始めている。

 ムクムクと芽生える、目の前の少女に襲い掛かりたいという欲求。


 そしてそれは、リゼも同じのようだった。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 リゼはトロンとした眼差しで、僕のことを見つめる。

 目に見えて分かるぐらい、リゼの顔は紅潮していた。


 ――透き通るような、美しい肌。

 ――切なげに、潤んだ瞳。


 まるで人形のように美しい、理想の美少女がそこにいた。


 そして僕はリゼの胸元に、それ・・を見てしまう。


 服の下から分かる、『二つの』――。



 ――ドクン、ドクン、ドクン……。


 まずい……僕もリゼも、完全に『発情』してしまっていた。

 

「なに、これ……。体が、熱い……」


 そしてリゼは、発情した体を持て余すかのように、体をくねらせるのだった。



  ◇



 そして一方その頃、もう一人の少女、エレナはと言えば――


 一人着替えのために、クローゼットの前に立っていたのだった。


「ふう……この男装姿では、ゆっくりくつろぐこともままならないからな……」


 そしてゆっくりコルセットを外すと、『美少年レオ』のモードから、『美少女エレナ』に切り替えるのだった。


 ……これで随分、胸元が楽になったな。

 最近は胸のサイズが大きくなってきたせいか、かなり胸元が、その……窮屈に、なってきたことだし……。

 こういうゆったりとした服を着るのが、一つの気晴らしになってしまっている。


 そしてエレナは羽織っていたローブをクローゼットに掛けると、手を止める。

 ……もう少し胸元のボタンを緩めれば、もっと楽になるんじゃないか、と。


 だが、この部屋にはトーヤがいるのだ。

 年頃の青年男子がいる部屋で、そんなに胸元を緩める訳には……。

 それに、これ以上緩めると、そっ、そのっ……胸のが見えてしまうっ……。


 ――べっ、別にっ、見せたい訳じゃないからなっ? ただ、ちょっと、楽になりたいだけだっ……!


 そしてエレナは思い切って、胸元のボタンを緩める。


 そして振り返ると、ちょうど目の前のテーブルに置いてあるカップを手に取る。


 そういえばさっき、リゼが水を注いでいたような。

 ……だとすると、リゼが用意してくれたのだろうか?

 ちょうどいい。喉が渇いていた所だったんだ。


 ゴクリ、ゴクリ。

 カップを口元に運ぶと、エレナは中の水を一気飲みする。


「……ん? いちご味、か?」


 体感したことのない不思議な味に、エレナは首を傾げる。

 そして――そんな彼女の様子を影で覗く、『一人の少女』の姿があった。


(ふふふ……どうやら上手くいったみたいだね……!)


 作戦が上手くいったことに、ギブリールはひっそりと笑みを浮かべる。

 エレナが飲んだ水は、リゼが用意したものではなく――ギブリールがこっそり念動力を使って用意したもの。


 それも全て、大好きなトーヤくんにお膳立てをするため。

 そしてギブリールは、ベッドの上のトーヤくんに視線を向ける。


 ――待っててね、トーヤくん。今ボクが背中を押してあげるからっ!

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