龍吟連歌

白木奏

序・始まりの章(元桑001~)

 質素で小さな書斎に、明かりが灯っている。

 窓の外からは、暗闇にすべて吸い取られたように、物音ひとつしない。

 唯一聞こえるのは、さらさらと書き綴る筆の音。


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 豊かな大地には、獣たちが跋扈していた。


 虐げられてきた人間たちは、龍神に乞い願い、九柱の守護神――囚牛しゅうぎゅう睚眦がいさい嘲風ちょうふう蒲牢ほろう狻猊さんげい覇下はか狴犴へいかん負屓ひき螭吻ちふん――の力によって獣たちを追い払い、安住の地を得た。


 しかし、守護神たちも一枚岩ではなく、国作りを巡って意見が割れ、覇下と嘲風の二柱の神は姿を消し、蒲牢の神は「国」そのものを否定した。


 回り道の末に築き上げられたのは、六つの国。


 狻猊の国――〈重厚謹厳〉

 かの守護神は火を司り、静を好む。

 強大な力を持ちながらも、それを誇示することなく、ただ粛々と人々に進むべき道を指し示す。


 睚眦の国――〈天下布武〉

 かの守護神は戦に長け、武を尊ぶ。

 血を厭わず、犠牲を惜しまない苛烈さの裏には、常により多くの人の幸を願う強い信念が息づている。


 狴犴の国――〈勧善懲悪〉

 かの守護神は法を布き、義を重んじる。

 強きものは弱きものを助けるためにいると考え、清らかな心を持ち、善悪を見定め、正しくあれと説く。


 負屓の国――〈堅忍不抜〉

 かの守護神は技に秀で、摂理に従う。

 最弱な神ゆえに、人々に他者との共存の大切さを教え、忍耐強さこそ真の強さであると証明する。


 囚牛の国――〈安居楽業〉

 かの守護神は守を固め、芸を極める。

 人の心に美の創造力を見出し、何者にも脅かされない楽園を作り、生を賛美する芸術を花開かせる。


 螭吻の国――〈水清無魚〉

 かの守護神は変化を求め、清濁併せ吞む。

 貫く信念を持たず、善悪も説かず、取り巻く環境に合わせて巧みに進むゆく。


 千年にわたる龍神の治世は、これより幕を開ける


**************************************


「何書いてるの?」

 うしろから声がして、手元を覗き込まれる。


「いや、話の整理をしてみようと、ふと思いついて……」

 答える声はまだ若いが、穏やかで知性を感じさせる響きを持っている。


「それ、ずっと昔の話だよね。整理って?」

 書きかけの文字を目で追った者は、聞くともなしに聞く。


「なんとなく、ていうか……」

 少しばつが悪そうな、照れくさそうな返事のあと、ちょっと物思いにふけるような様子で続く。

「どのタイミングだったら、間違わずにを救えたんだろうか、と……」


「あの人たちが一生懸命選んだ道を、かわりに後悔してあげること自体、ちょっと失礼だと私は思うよ」

 指摘するほどの厳しさはなく、かといって慰めるほどの柔らかさもないその声は、しばしの間を置き、ちょっといたずらっぽく続く。

「あの子に聞いてみたら?ひねくれものには、素直さをぶつけるのが一番効くかもしれないね」

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