第771話 染め物
ある会社に就職することが出来た
小さな会社だが、作られている製品がものすごく素晴らしかったので、ここを選んだ
いろいろあるが、一番は染め物だった。その色合いが独特で、何故かものすごく惹かれるのだ
一通り説明を受けた後、その染め物の現場へと連れていかれた
「この薬品は特殊なものだ。絶対に素手で触れたりするなよ、死ぬぞ」
触れると死ぬ……それだけ聞くとなんて物を扱っているんだと思うが、そう言う危険な薬品や、薬品じゃなくても溶鉱炉やプレス機みたいに下手をしたら死ぬものはいくらでもある。電柱から落ちただけでも死ぬ事があるんだから
ただ、その危険度は段違いだった。触れると死ぬと言っている割に、染めるときにはゴム手袋をしただけで絹を薬品に漬けているのだ。本当に大丈夫なのか?
先輩がやっているのを見ていると、ゆっくりと絹を沈め、そして持ち上げ、絞る。薬品がしたたらないくらいに絞ったら干す。ただそれだけだった
その干された絹が、数日もすればものすごくいい色合いに変わっていった。何故かはわからないが、その色は統一されていなくて、本当に同じ薬品で作ったのかと思うほど違っていた
やってみると、案外薬品は粘着性があるようで、そう簡単に飛び散ったり、滴り落ちたりしない。不思議な事に、ゴム手袋にも薬品は付かないようだ
成分は何だろうと思うが、この薬品を造れるのは社長だけで、部長にすら秘密にされているみたいだ。まあ、この薬品の作り方が他に漏れたら、すぐに真似されてこの会社が儲からなくなるから当然なのかな?
この作業は数人でやっている。と言っても、会社の社員が20人ほどなので、他の仕事が終わった人が手伝いに来たりするので人数は固定されていない
ある日、ぼくの一つ上の先輩が手伝いに来た。見ると、目の下にクマができている
「どうしたんですが、そのクマ」
「ああ、ちょっと発売したてのゲームを徹夜でやっちゃってな」
眠そうであるが、これまでも何度かその状態で仕事をしたことがあったから大丈夫だと言って作業に入る
(あっ)
先輩がうつらうつらした事で、バシャンと薬品に手を突っ込んだ。その時、薬液が飛び散った
「キャアアアア!」
「どうした!」
「す、すみません!」
「すぐに付着してないか確認しろ!」
近くで作業していた女性が叫ぶと、すぐに部長がとんできた。部長の言う通り、薬品がとんでいないか確認する
女性の足首に少し、薬液がかかっている様に見える。普通であれば長靴を履くのだけど、この日はたまたまその女性は長くつを履くのを面倒くさがったのだ
ただ、その量は微量で、言われなければ気が付かないと思った。ぼくと先輩は仲が良かったので、先輩がひどく怒られないように黙っていようと思った。それに、触れたら死ぬと言っていたのに、全然そういう気配が無い事も黙っている理由の一つになった
先輩の周りに飛び散った薬液は、雑巾で吸い取って集められる。薬液は床にしみこまない様で、雑巾が通った後は、こぼれていたのが本当に分からないくらい綺麗になった
「ふう。幸い誰にもかからなかったか。服にかかっても大丈夫とは言え、気を付けろよ!」
ちなみに、素肌部分は基本的には無い。顔はフェイスガードをしているし、腕と足は長袖長ズボンだ。本当に、直接素肌に触れなければ大丈夫と言う、よく分からない薬品だな。そして、もう一度女性の足首をみたけれど、そこには薬品の跡が無かった。乾いたのか、ふき取ったのかは分からない
次の日に出社すると、先輩が青い顔で呆然としていた。先輩も今来たばかりのはずなのに、何があったんだろう?
「どうしたんですか?」
「ああ……。俺はやっちまったらしい……」
聞くと、昨日の女性が会社に向かう途中に交通事故で亡くなったらしい。それと先輩になんの関係があるのだろうか?
先輩が言うには、先輩が入る前にも事故が遭ったらしい。先輩も実感が無かったらしく、たまたまだろうと思っていたそうだ。先輩は責任を感じて仕事を辞めた。法律上は、先輩には何の罪にもなっていないにもかかわらず
それから、何事も無い日々を過ごしていたが、ある日、忘れ物を取りに会社へ戻った時、社長室に電気が点いているのが見えた
挨拶してから帰ろうと、ドアに近づくと話し声が聞こえた
「部長、君にはそろそろあの薬品について教えておこうと思って残ってもらった」
話は、部長と社長でしているみたいだ。あの薬品についてとは、すごく興味が引かれたので、隠れて聞く事にした
「このことは、絶対に秘密だ」
薬品について盗み聞きしたぼくは、静かにその場を去った。聞いた今でも、本当かどうかの確認をとる事ができないからだ
あの薬品に触れると、運が吸い取られるらしい。そして、たまに運を吸わせることによって綺麗な色が出るという。ぼくは今でも信じることが出来ないが、絶対に触れたくないと思った。今でも仕事は続けているが、時々、不幸な事故にあう社員はいる
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