第7話 住む世界

『体調はどう?』

『もう平気だよ。美琴さんは今何してるの?』

『私はご飯作ってるよ』

『ご飯何?』

『オムライス』

『美味しそう』





『今から仕事?』

『そう。夜勤だから、しばらく返信できないよー』

『分かった。何時に終わるの?』

『明日の10時が定時だけど、何時に終わるかな~』

『分かった』


 一ノ瀬少年と分かれたあの日から、美琴と一ノ瀬少年のLIMEのやり取りは毎日続いた。仕事の時以外は四六時中メッセージをやり取りしていると言っても過言ではないぐらい毎日連絡を密に取っていた。そんなある日だ。




「…何の用ですか…?」

「黙って私に着いて来たまえ。」

「嫌です。」


 夜勤明けの夕方。美琴がまだ寝ていた時間帯、インターホンの音によって起こされた美琴は、まだ頭が冷めきっていない状態で急いでインターホンのモニターへ向かって返事をした。それがいけなかった。返事をした後に寝ぼけ眼でモニターを見ると、こちらを射殺さんというほどの鋭い眼光が映っていたのだ。その表情を見て一気に美琴の眠気は覚める。そして先ほどの会話につながったのだが…――









「…何処に向かってるんですか?」

「…。」

「…。(この人なんなの本当に…。)」

 急に訪れた黒磯に有無を言わさず車に乗せられ、美琴は高層ビルが立ち並ぶ都心へと連れられていた。行先は不明だ。先ほどから何も言わない黒磯に対して美琴はだんだんとイライラが募る。


「あのぉ。どこに向かってるんですか?これは拉致ですよ。拉致。」

「…未だ、慶太さんと連絡を取っている様ですね。」

「はい?」

 急に黒磯に話を切り出された美琴は、一瞬では何の話をされているのか理解ができなかった。


「最近、慶太さんが休憩の度にスマホを弄ってらっしゃいます。あなたは私が忠告した意味が分かっていない。」

「…連絡を取ることがそんなに悪いことですか?」

「一般的な常識は通用しないのです。あの子は今が一番大事な時。皆の一ノ瀬慶太であなただけの一ノ瀬慶太じゃない。」

「…言っている意味は分かりますが…、私だって私だけの一ノ瀬君だとは思っていませんが。」

「あなたが思う思わないではないのです。皆が、彼のファンがどう思うかなのです。」

「…彼は彼です。仕事も大事だけど、プライベートとは区別するべきでは?別に私が彼を独り占めしたいわけでもないし、ただ単純に、一人の大人として彼を心配して関わっているだけです。それとも、あなたは彼にずっと一人で、孤独で居ろと言うのですか?」

「女性問題が挙がるよりはよいでしょう。」

「……理解できかねます…。」

「それはあなたが彼を自分と同じ側の人間だと思っているからそう思ってしまうのですよ。」

「…?」

「…。」

 黒磯はそれ以降何も言わなくなった。美琴は余計に訳が分からなくなる。要は、連絡を取り合っていることを問題視してのこの行動のようだが、何がしたいのか美琴にはさっぱりだ。


「はぁ…。」

(…でも、黒磯さんの言うことも一理ある気がするんだよなぁ…。)

 美琴は黒磯にはああ言ったが、彼の言っていることも理解はできるのだ。彼は一ノ瀬慶太の俳優としての仕事を守ろうとしているのだと。確かに、最近熱愛報道やらよく聞く気がする。それが一ノ瀬少年のイメージを崩してしまうのであれば、それは美琴にとっても望ましいものではない。しかし、なんだか危うい気がして美琴は一ノ瀬少年のことを放っておくことも出来ないのだ。



「…う~ん…、どうしたものか…。」



「何を独り言を言っているのですか?着きました。降りてください。」

「あっ、は…、はい…。――……って、ここどこですか…?」



 美琴は車を降りてキョロキョロと辺りを見渡すも、どこにいるのか見当もつかない。だだっ広い地下駐車場に居たからだ。黒磯は何も言わずにすたすたと美琴を置いて歩いてく。


「ちょっ!ここがどこかって聞いてるんですけどっ!?」

「テレビ局ですよ。これからバラエティー番組の収録現場に行きます。」

「…はい?」



















『どうでした?一ノ瀬君。どの子が一番かわいかった?』

『そうですね…、僕は犬派なんで、あの撫でてほしくてひたすら飼い主のテレビを邪魔をする犬が一番好きですね。』

『あ~、あれね、あれも可愛かったねぇ~。』

『はい。あんな事されたらずっと撫でてあげたくなりますよね。』


キャーーーー!


『撫でてあげたいって、君らに言ってないからっ!なんだよっ!俺が言った時はそんな反応しなかったくせに!』

『ははは』


 黒磯が大きな扉を開くと、中は薄暗く、しかし楽しげな熱気を含んだ空気が美琴の頬をかすめた。黒磯に促されるまま中に入ると、よくテレビで見るような観覧席と、その正面にはカラフルなスタジオのセットがスポットライトを浴びており、その中には見覚えのある人々。司会進行をしているのは美琴でも知っているベテラン芸人と人気歌手。そしてその対に座っているのは美琴も知っていたり知らなかったりする人々。きっと芸能界で活躍している人々何だろうと思うが、なんせ美琴がその手の情報に疎いものだからあまりピンとこない。しかし、その中でも一際きらきらとした笑顔を浮かべている見知った人物――。


(……一ノ瀬君だ…。)


 司会者に話しかけられ、しっかりとした口調で話し、にこにこと終始笑顔を絶やさない一ノ瀬少年。そして、彼の一挙手一投足に挙がる黄色い歓声。



「…どうですか?」

「…どうって…、…何ですか…?」

「この様子を見てもあなたは自分と彼が同じ世界にいる人間だと思うのですか?」

「……。」


 ーー確かに遠い人物のように見えるのは事実だった。


 キラキラとスポットライトを浴び、片や美琴自身は薄暗いスタジオの端で彼を静かに見つめることしかできない。

 横に座っている可愛らしい女性と会話をする様子や、テレビで見たことある人物と堂々と話をする姿。知っている姿だが、知らない人のようにも見える。


(…あー、そういうことか…)

 美琴がテレビに疎いがため、わざわざ彼の人気を知らしめるために、住む世界が違うのだということを理解させるために黒磯がこの場に連れてきたのだと、美琴は今になって把握した。




(…あれ…?)






「理解していただけたのでしたら、もういいでしょう。もうすぐ休憩時間に入ってしまいますので、お出口までお送りしましょう。帰りは申し訳ないですがタクシーで帰ってください。お金は出します。」

「…はい…。」

 黒磯に促され、美琴は後ろ髪を引かれながらスタジオを後にする。



(…なんか、変…?)



「これからは慶太さんから連絡があっても無視してください。そのうち彼もあなたのことを忘れるでしょう。」

 美琴は黒磯の会話など頭に入ってこず、先ほどの一ノ瀬少年と、今まで出会ってからの様子を思い出す。


「心苦しくとも、彼のためだと思ってください。彼も一時の気の迷いであなたに懐いているだけです。……聞いていますか?」

「あのっ!」

「…ん?」

「なんか、おなかが痛くてっ!今すぐトイレに行きたいですっ!…ちょっとっ、やばいっ!!」

「はい…?なんですか急に?」

「分かんないですっ!でも、私、夜勤明けお腹弱くてっ!このままじゃ漏らすっ!…大の方っ!!」

「やっ、やめてくださいっ!あなた本当に女性ですかっ!?」

「じゃあ、トイレにぃっ!!」

「こ、ここですっ!ついてきてくださいっ!あなたには羞恥心というものが無いのですか…!?」


 エレベーター前のトイレに誘導され、美琴は急いでトイレに駆け込む。そして一番奥のトイレのドアを閉めて便器に座り込み、安堵の息を吐いた。


「…はぁ…、…よし。」

 美琴は鞄の中からスマホを取り出し、LIMEのアプリを開く。



『今、君が収録しているスタジオ?テレビ局?の同じ階に居るよ。自販機があるエレベーター横の女子トイレ。黒磯さんが目印。会えたら会おう。』

 美琴は最近見慣れた表示『一ノ瀬君』にメッセージを送ってアプリを閉じた。




(…彼にとって何が一番正しいことかはわからない…。でも、これだけは確認しなきゃ…。)



 美琴はスタジオで見た一ノ瀬慶太の様子をもう一度思い浮かべるのだった。

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