第21話 収穫祭

 秋も深まったルヴィたちの村。その中央に簡易な祭壇が設けられていた。


 祭壇の上には模様を描かれた小振りな石と木の板が並び、下には捧げ物として村で採れた穀物や野菜が置かれている。


 今日は村の収穫祭だ。


 準備を進めながら、ルヴィは隣にいるエミリーに話し掛けた。


「もう収穫祭か……今年はずいぶんと速かったな」


「はい。あっという間でしたよね」


 山積みの問題を一つずつ解決してきた日々。忙し過ぎてルヴィの記憶は曖昧だが、もう一度この村に来た日のことは良く覚えている。

 エミリーと共に村人たちの墓を清めたのだ。それからもう半年が過ぎていた。


「無事に収穫まで来たことを喜ぶべきなんだろうが……来年にやることが思い浮かび過ぎて、素直に喜ぶ余裕がないな」


 夏に耕した畑からは数種類の野菜を収穫できたが、満足いく大きさに育ったものもあれば、小振りで食べる部分がほとんど無いようなものもあった。

 畑の広さの割には収穫量が少ない状況だ。


 麦の種蒔きも行ったが、芽が出るのは来年だ。上手く行くかどうかはまだ分からない。

 税を払うのにも必要な麦を育てるのは、新しい村では来年が初めてのこととなる。何もかもが順調に進むことはないだろう。


 村人を増やす時期や村の資産のことなど、ルヴィは悩むことがいっぱいだった。


「ふふっ、ルヴィさんはすっかり村長ですね」


 隣で微笑むエミリーに救われる。気軽に相談できる相手が傍にいなければ、ルヴィに村人をまとめることはできなかっただろう。


「まだまだ半人前だけどな」


 頼りない村長だという自覚がある。そもそも、正式に村と認められていない現状では村長とは呼べないのかもしれなかった。


 エミリーがルヴィの顔を覗き込む。


「じゃあ、2人でいれば一人前ですね」


「……そうだな」


 ルヴィは少しだけ気分が軽くなって笑った。


「ルヴィさーん! こっちは終わったっすよー!」


 背後からアニスの元気な声。


「ああ、今いく! エミリー、少し確認してくる」


「はい。行ってらっしゃい」


 エミリーに声をかけて振り返れば、祭の準備が進む村の中が見えた。

 ルヴィは飾り付けられた村の中を歩き出す。


 村人はわずか8人。何もかもがささやかだが、それでも収穫祭の始まりだった。





 祭の儀式を始めるために、ルヴィは村長として祭壇の前に立った。


 祭壇に祀っているのは4つの精霊の形代。


 生活を支える“地”、恵みの“水”、芽吹く“新緑”、――そして新たに、人と人とを繋ぐ“縁”。


「――、――――」


 目を閉じ、ルヴィは精霊語で祈りの言葉を紡ぐ。


 村の長としての仕事は教わっていなくても、これだけは以前の村から継いでいる。

 ルヴィが産まれてから20年近く、繰り返し聞いてきたのだから。


「――――」


 今年の収穫物を捧げて感謝を祈り、翌年の豊作を祈願する。


 祈りの文言を唱えるたびに、ルヴィの体からは少しずつ魔力が抜けていった。


 祈りの言葉の本質は魔術と変わらない。

 魔術は意思と魔力を捧げることで精霊に手を貸してもらう行為。


 対して、祈りは精霊に対価を求めない。ただ捧げるのみだ。人の祈りによって力を得た精霊たちは、また次の年も人の営みを見守ってくれる。そう信じられている。


 ルヴィは祈った。

 今だけは心にある不安も忘れ、一心に。


 今度こそは、みんなで幸せに暮らしていけるように。


「――」


 祈りを終え、ルヴィはゆっくりと目蓋を開く。秋晴れの空が目に染みた。


 祭壇には変わらずに精霊の形代が並んでいる。その紋様が少しだけ柔らかく見えた。


 役割が終わったことで肩の力を抜き、ルヴィは背後に振り返る。

 村の仲間たちが笑顔で並んでいた。


「よ、いい村長っぷりだったぜ」


 ロイが茶化すように笑って言った。


「はいっ、立派でしたよ」


 エミリーは嬉しそうに笑っている。


「故郷の村長よりもカッコ良かったっす! 噛まないのすごいっすね!」


「ああ。初めてとは思えなかった。……それはそれとしてアニス、術師が他人の活舌を羨んでどうする。まだ詠唱に不安があるのなら、今日から練習が必要だぞ」


「うへえ、師匠。それ今言うんすかー?」


 ルヴィを褒めながらも、ハウエルとアニスはいつも通りのやり取りだ。


「はっはっはっは! 似合ってたと思うぜ村長! ……で、もう酒は飲んでいいのか?」


「アンタ、実はちゃんと聞いてなかったんじゃないだろうね……。ルヴィ。立派だったよ。やっぱり若い子の成長は速いねえ」


 カルヴィンの意識は既に久しぶりの酒に向いている。フィリダはそんな夫をひと睨みしてから、ルヴィを優しい顔で褒めた。


「ルヴィさん、食事の準備はできていますよ」


 皆の言葉が終わるのを待っていたように、最後にシエラが声を出した。微笑みながら手で示す先には、美味しそうに湯気を立てる料理が並んでいる。


「ありがとう、シエラ。――それじゃあ、みんな。祭の儀式はこれで終わりだ。後は好きに食って飲んでくれ。今日までお疲れさま」


 わ、と声が上がる。主にカルヴィンとアニスの声だった。


「上等な酒を飲むのは久々だな!」


「いっぱい働いたのでお腹空いたっす!」


 明るい声の2人に釣られ、他の村人も料理に手を伸ばしていく。

 並ぶ料理で使っている食材は、基本的に村の畑と森で採れたものだけだ。


 酒だけはどうしようもなかったので外から買ったが、野菜は村の畑から、肉はルヴィとカルヴィンが森で魔物を狩り、魚はハウエルとアニスが川から獲ってきている。

 味付けに使っている複数の香草は、シエラがいつの間にか自分で育てていたものだ。


「ルヴィさん、どの料理を食べたいですか?」


 ひと仕事終えたルヴィを座らせて、エミリーは2人分の皿を手にしている。


「どれも美味そうだから、適当に盛ってくれ」


「分かりました」


 ルヴィはエミリーを見送る。今日の料理はシエラがかなり気合を入れて作ったようで、ルヴィには味が想像し難い物も多い。


 シエラが腕によりをかけた以上どれも美味いはずなので、どの料理が来ても問題ないだろう、と悩むことは諦めた。


 騒ぐカルヴィンをぼんやりと見ている内に、エミリーが戻ってくる。


「ルヴィさん、どうぞ」


「ありがとう」


 礼を言い、料理が盛られた皿を受け取る。大き目の平皿には、数種類の料理が綺麗に並んでいた。


 匙を手に、どれから食べようかと料理を見渡したところで、一つの料理にルヴィの記憶が刺激された。

 黄色が鮮やかな卵料理だ。


「これは……?」


「おむれつ、でしたっけ。ルヴィさんのお知り合いが作った料理を、シエラさんと一緒に再現してみました。ええと、いちおう作ったのは私です」


 照れたような顔でエミリーが笑う。


 それを横目で見ながらルヴィはオムレツを匙で掬い、口にした。


「懐かしいな。確かにこんな料理だった。……でも、こっちの方が美味いよ」


「そ、そうですか? ありがとうございます……」


 はにかむように笑うエミリーを見ながら、ルヴィはもう一口食べてみる。


 やはりこちらの方が好みの味だった。


 数年前に食べたものは蛇の卵を使ったもので、今回は鳥の卵を使ったものだ。

 それも関係しているだろうが、きっと美味しく感じるのはエミリーのおかげだろう、とルヴィは思った。


 ただ料理を再現するだけではなく、ルヴィの好みの味に合わせられているのだ。


「うん。美味い。ありがとう、エミリー」


「――はいっ。どういたしまして」


 2人の周りが穏やかな雰囲気になったところで――カルヴィンが酒を片手に乱入してきた。


「よう村長! 一緒に酒飲もうぜ!」


 豪快に笑うカルヴィン。その後ろでフィリダが鬼の形相となっている。


 フィリダは先程までのルヴィとエミリーのやり取りを、拳を握って静かに応援していた。なので、夫の暴挙に怒りが止まらないようだ。


 カルヴィンの肩越しに見えるフィリダに、ルヴィは苦笑しながら手を振った。

 さすがに収穫祭で怪我は困る。


 ルヴィはカルヴィンを見た。手に持つ酒はそれなりに値の張ったものだ。


「そうだな。俺も久しぶりに飲むか。付き合うよ」


「はっはっは! さすが村長! そうこなくちゃな!」


 カルヴィンがルヴィの杯に酒を注ぐ。小さく乾杯し、ルヴィは酒を口に含んだ。


 数ヶ月ぶりの酒。近頃は節制していたので、久しぶりの酒精が臓腑に染みる。


「――ふう。いい酒だな」


「そうだろう! いやあ、村長が分かる男で良かったぜ。ハウエルは一口でひっくり返っちまったからな」


 ルヴィはハウエルを目で探した。いた。真っ赤な顔でアニスに支えられている。


「……ひっくりかえってなど、いない。酒がすこし苦手なだけだ……」


「少しじゃないっすよー、師匠。かなり苦手っす」


 シエラが水を手にハウエルの下へ向かう。すれ違うようにロイがやって来た。


「酒の味が分からないなんて不憫な奴だぜ。代わりに俺らが楽しんでやらないとな。カルヴィン、俺にもくれよ」


「おうおう! ゼツの奴からは樽で買ったからな! ロイも好きに飲め!」


 あっという間に男3人で酒盛りが始まった。エミリーとシエラが酒に合いそうな料理を運んでくれる。


「はっははは! 村の未来に乾杯!」


 あまり酒に強くはなかったのか、ロイが調子の外れた声で杯を掲げた。


 それに付き合いながらルヴィも酒を干していく。酒精混じりの吐息を漏らしながら見上げた空は、透き通るように高かった。




 宴が終わり、日が暮れかけた頃。ルヴィはエミリーに肩を借りて歩いていた。


「ルヴィさん、大丈夫ですか?」


「……回っているのが地面の方なら、俺は大丈夫だ……」


「ええと、じゃあ大丈夫じゃないですね」


 腕の下。すぐ近くからエミリーの声が聞こえる。


 ルヴィは泥酔していた。男3人での酒盛りが大いに盛り上がり、そこに途中からシエラが参加し、一切調子の変わらないシエラに釣られて飲んだのだ。


 ルヴィはぐるぐると回る視界の中で、村で一番の酒豪がシエラだったことを理解した。

 大男のカルヴィンですら途中で力尽きて眠っているのだ。


 扉が開く音と同時に、ルヴィの視界が暗くなった。


「ルヴィさん、小屋に着きましたよ」


「ああ……」


 木の匂いが強い小屋の中をヨタヨタと進み、そのまま床に倒れ込んだ。火照った体に冷えた床が心地よい。


 ぼんやりと見える視界の中では、エミリーが寝床を準備していた。


「ルヴィさん、こっちに移ってください。今お水を持ってきますから」


 ありがとう、と言う代わりに、ルヴィはエミリーの腕を掴んだ。細い、華奢な腕の感触。酔ったルヴィより体温が低い。


 なんとなく言葉が溢れ出る。


「……一緒にいてくれて助かってる……エミリーとの出会いが、きっと俺の一番の幸運だった……」


 エミリーの反応も確かめずに、ルヴィは意識を手放した。

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