第27話 イルマ、北へ
イルマ・ハイゼが辿り着いた砦は、対メック戦を行うだけの力を失っていた。まともに動けるメックはおらず、歩兵による制圧のみで簡単に陥落した。
「司令官も死んでいるし……まったく手応えのないやつらだ」
レディスト側に戦えるデュナミスがいなかったため、制圧に苦労することはなく、今では兵士たちが備蓄の食糧やワインを嬉しそうに運び出している。
イルマは屋上へ上がり、眼下に兵士たちの様子を眺める。彼らの開けたビール瓶が地面に散らかっている。彼女も貯蔵庫から持ってきたワインを開けて一口飲む。
「レディストのワインもまあまあいけるじゃないか」
そう呟いたイルマが見たのは、北の方角であった。
砦から北へ向かって、巨大な足跡が続いている。そんな巨大な足跡を付けるのはメック以外にはなく、形はヴァンクールとは明らかに違っている。
となると、おそらくは新型メックがこの砦に捕まって、大暴れした挙げ句に逃走したのだろう。急いで向かったのか、痕跡を残そうとすらしていない。
しかし、問題なのは北へ向かっていくとエルフェン共和国へ近付いてしまうことだ。この足跡がエルフェンまで続いているのか、それともどこかで途切れているのか。今は調査に兵を向かわせているから、その結果次第で決めなくてはならない。
イルマの背後でドアが開く音がして、一人の少女が入ってくる。彼女の副官・リアである。
「イルマ様、調査が終わりました」
「やつらはどこへ向かった?」
「国境を越え、エルフェン共和国へ逃げています」
「間違いないか?」
「エルフェン側にも入って確認しました。しばらく行くといくつもの足跡がありましたが、戦闘をした様子はないので、捕獲されたか保護されたかしたようです」
面倒なことになった。これでは戦争が拡大してしまう。イルマとしてはすぐにでも攻め込みたいと考えていたのだが、さすがに彼女個人で判断できる問題ではない。
「通信を」
リアはすでに通信機を用意していた。
イルマが通信する先は一つであった。
『イルマ、状況を報告しろ』
カミラ・ローゼンハイムの声であった。
「新型はエルフェン共和国へと逃走しました。おそらくエルフェンで捕らえられているか匿われているものと思われます」
『このまま逃してしまってはブロデアの恥である。エルフェンへ侵攻し、新型メックを追え』
「はい、仰せのままに……」
『期待している』
カミラのその言葉で通信は終わった。
イルマの手は、通信機を持ったまま震えていた。その表情には嬉しさと興奮が入り交じっている。「期待している」その言葉がイルマの表情を変えた。
カミラとイルマの出会いは、先の大戦の最中であった。とある街で、敵兵が略奪を始めた。酒も食料も女でさえも、飢えた男たちに蹂躙されようとしていた。しかし、その時略奪をしていた敵兵二〇〇人は惨殺されていたという。そして、その敵を殺したのが十歳の少女であった。
イルマがその少女を初めて見たのは、惨殺が行われた直後であった。二〇〇の死体が街中に転がる中、兵士から奪った短剣を握りしめながら、血塗れの少女が立っていた姿を見て、イルマは言いようのない興奮を覚えたのである。
その後、少女は軍に保護されたものの、ローゼンハイム侯爵の長女カミラだと分かると、彼女を軍に入れて育てていった。カミラの成長は凄まじかった。サイコダイブ能力も高く、身体能力も驚異的であった。
ブロン人の特徴を兼ね備えた金髪に碧眼、そして何よりも美しいカミラに、イルマは嫉妬すら覚えたが、一度訓練の中でカミラの強さを体験してからというもの、今では崇拝するようになった。
イルマは渇く喉にワインを流し込む。
そんなカミラに期待をかけられている。それが何よりも嬉しく、体の芯が疼いてくるのだ。
「必ず……必ず私が……!」
顔を上げたイルマは、副官に命じる。
「リア、バストラの準備はいつ終わる?」
「ヴリルの補給はもうすぐ終わります。兵士たちの方はそれよりも少しかかると思いますが」
「補給はすぐに切り上げて構わん。兵士たちにも急がせろ。モタつく者は痛めつけても構わない」
リアは頭を下げると、急いで階下へと向かっていった。
イルマは残りのワインを飲み干す。
サイコダイブにアルコールは人によっては相性が悪く、システムとの融合がうまくいかなくなることがある。しかし、イルマは酒を飲むことでより融合ができるという実感があった。機体にやや負担がかかるものの、反応速度が上がることで性能を向上させることができる、とも考えていた。
新型メックとの戦いになるのか、それともエルフェン共和国のメックと戦うことになるのか。どちらにしろ、戦闘が目前に迫っている。
「カミラ様、必ず戦果を上げてみせます……!」
ワインが体中を駆け巡り、気持ちと集中力が高まっていくのを感じる。それはカミラを想った体の火照りであり、デュナミス能力の高まりによって研ぎ澄まされていく感覚でもあった。
兵士たちが慌ただしく準備を始めた音が聞こえてきたが、それはイルマの耳に入っていなかった。
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