第97話 ゼロへの回帰


「ビテン……。起きて……。チェックアウトしないと……」


 豪奢なベッドの上で寝こけているビテンをマリンが優しく起こそうとしていた。


「ビテン……」


「あと五分」


「好き……」


「俺も俺も!」


 飛び起きた。


「ビテンは……単純だね……」


「ことマリンにおいてはな。チャラ男ならぬチョロ男とでも呼んでもらおう」


「とにかく朝食をとってチェックアウトしないと」


 時間は朝。


 ビテンとマリンは学院の寮部屋ではなく学院街のホテルに宿泊していた。


 ビテンがマリンに、


「お泊りしようぜ」


 と云って押し切ったのである。


「何で……?」


「寮部屋だと問題が起こるから」


「何で……?」


「今は秘密だ」


 というやり取りの後デートしてホテルに一泊するビテンとマリンだった。


 朝食をとるため食堂に出向くと、


「もし、マリン様?」


 とホテルマンが問うてきた。


「こちらのお方は? 連れ込まれたのですか? そういうことは困りますが……」


 ビテンを目で指し抗議する。


「は……?」


 とマリン。


 マリンが何か言うより先にビテンが口をはさんだ。


「俺の名はビテンだ。ちゃんと金払って宿泊カードに名前書いてるぞ。確認してみろ」


「失礼します……!」


 そして確認すると、ホテルマンは全力で謝ってきた。


「申し訳ありません。こちらの不徳といたすところ。お客様に置かれましては宿泊費をお返しいたします。誠に申し訳ありません。なにとぞ穏便に……」


「気にしてねえよ。それより朝食出してくれ。あとコーヒー」


「はい。寛大な処置のほど畏れ入ります。すぐに朝食を準備させていただきます」


「どういうこと……?」


 マリンの疑問も当然だ。


「ちょっとした悪巧みの軋轢」


 飄々とビテンは答えた。


「あのホテルマンに何かしたの?」


「まぁな」


 そんなこんなで朝食をとってホテルをチェックアウト。


「マリンは家に帰りたくないんだよな?」


「うん……。まぁ……」


「じゃ、だらだらデートするか」


「あう……」


 プシュー。


 真っ赤になるマリンだった。


 ちなみに学院は冬期休暇に入った。


 年の終わりと初めに合わせた二週間ほどの休暇だ。


 大方の生徒は帰郷することになるがマリンは例外だった。


「じゃあどこに行く?」


「あう……。わかんない……」


 マリンとしてはビテンについていくのみだ。


「なら劇場に行くか。今やってるのはたしか金貨英雄伝説だったな」


「劇場……」


「嫌か?」


「ううん……。デートっぽい……」


 プシューと湯気を立ち上らせながらマリンは言った。


 それがビテンの恋慕を刺激する。


「きゃわいいなぁもう!」


 ビテンはマリンに抱きついた。


「あう……。ビテン……人目……」


「いいだろ十把一絡げなんて」


「あう……」


 いちゃこらしながらビテンとマリンは劇場に向かった。


 金貨英雄伝説の劇を見た後、


「どうだった?」


 とビテンが問う。


「面白かった……よ……?」


「なら良し。じゃあお茶にするか」


 そしてビテンとマリンは手を握り合って喫茶店に入った。


 ビテンはコーヒーを、マリンは紅茶を、それぞれ頼んでまったりと過ごす。


「あう……」


 と紅茶を飲みながらマリン。


「何を……企んでいるの……?」


「ま、これからの生き方についてだな」


「もしかして……恨んでる……?」


「何をだ?」


 心底マリンの言葉がわからないビテンだった。


「あう……」


 と怯んだ後、


「私の都合で……具現化されたこと……」


「特に感想は無いなぁ」


 ぼんやり言ってコーヒーを飲む。


「恨んで……ないの……」


「マリニズムです故」


 シニカルに笑う。


「そういう風に……私が造った……だけだよ……?」


「だからこそ尚の事……だろう?」


「あう……」


 紅茶を飲んで誤魔化すマリン。


「俺がお前の心の支えになっているだけでも俺の居た意味はあった」


「そう……かな……?」


「そうだとも」


「ビテンは殺人者を肯定するの?」


「別に俺とマリン以外の人間が死んでも興味ないしなぁ」


 ぼんやりとビテン。


 ビテンのマリニズムとビテニズムは自身とマリン以外の人間のレゾンデートルを根本から否定した。


「だからこそ」


 ではあろうが。


 ビテンはコーヒーを一口。


 と、そこに、


「相席してもいいでしょうか?」


 聞き慣れた声が聞こえてきた。


 金髪金眼のきょぬーな美少女。


 ユリスである。


「どうぞ……」


 とマリン。


「では失礼して」


 とユリスは席に座った。


 給仕に紅茶を頼むと、ニヤニヤとマリンを見た。


「デートとは豪奢ですね」


「あう……」


 マリンは例の如く委縮した。


 ニヤニヤしたままユリスは言った。







「マリンは面食いだったのですね」




「え……?」


 ポカンとするマリン。


 前後が繋がっていない。


 そう思えたからだ。


 が、特にユリスは気にすることもなくビテンに目を向けた。


「あなたのお名前は?」


「ビテン」


「ビテンですか。マリンにとっての何です?」


「一応親しい関係を築かせてもらっている者ですよ」


 肩をすくめてビテンは言った。


「えぇ……?」


 マリンは途方に暮れるより他にない。


 ユリスがまるで『ビテンを知らない』かのように振る舞うからだ。


「マリン?」


 とこれはビテン。


「疑問に思ったことを此処では口にするな」


 無茶を云う。


「後で説明してやる」


 そんな補足。


「ビテンが……そう言うなら……」


 一応納得はしたらしい。


 元より、


「悪巧み」


 と云っているのだ。


「どうやって知り合ったんですの?」


「いわゆる一つの幼馴染でして」


 ビテンはぶっきらぼうに答えた。


「ということは北の神国出身なのですか?」


「ええ、まぁ」


 そんなこんなで一服した後、ビテンとマリンはユリスと別れた。


「さて、じゃあ次はどこに行く?」


 ビテンが、


「デート続行」


 というと、


「ケーキ……食べたい……」


 とマリンは言った。


 そんなこんなでケーキ屋。


 二人で席に座ってケーキを食べる。


 ビテンはコーヒーを飲んだ。


「あう……」


 とケーキを食べながら口火を切るマリン。


「なんでユリスは……?」


「ユリスだけじゃないぞ?」


「え……?」


「お前を除く大陸魔術学院国家にいる人間は俺の事を覚えていない」


「忘れ……させたの……?」


「ああ」


「どうやって……?」


「魔術」


 淡々とビテンは答えた。


 レーテの魔術で忘れさせたのだった。


「何で……そんなこと……!」


「俺にとって俺が邪魔だから」


「え……?」


 マリンはポカンと呆けるより他にない。


「大丈夫だ。マリンも今から俺と罪とを忘れるから」


「忘却の……魔術で……?」


「ああ」


「私は……忘れたくない……」


「大丈夫だ。レーテは維持定着時間が単位時間だから。何も心配することはない。お前が俺を忘れて……それから罪悪感も忘れて……スッキリすること間違いない」


「何で……そんなこと……!」


「俺はマリニストだからなぁ」


「っ……!」


 それだけで理解できてしまうのはマリンの業だろう。


 少なくともマリン第一に考えれば、罪悪感を忘れ、ビテンを忘れ、本来のマジックキャパシティを獲得することはビテンの利に適っている。


 元々ビテンがマリンの足を引っ張っていたのだ。


 それを解消するのがマリニストとして当然の理といえる。


「心持たざる者無きなり」


 ビテンはレーテの呪文を唱え始めた。


「待って!」


 涙を流しながらマリンがビテンの詠唱を止めようとする……が、遅い。


「心持つ者に安らぎを」


 ビテンはレーテの呪文を唱え終わった。


 維持定着時間が単位時間なため効果の発現と上がる時間が同一だ。


 そしてマリンがビテンを忘れてビテンの魔術維持を行使しなくなるにはもう少し時間がかかる。


 結果としてマリンはビテンと自身の罪悪感を忘れて、ビテンの魔術維持を取り止めてしまう。


 それはつまりビテンの消滅を意味する。


「あれ……? 何で私……泣いてるんだろう……?」


 一人取り残されたマリンが呟く。


 それは誰にも答えられない疑問であった。

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