第92話 ビテンの懊悩


「…………」


 ビテンは一人学院街の喫茶店にいた。


 理由は簡単。


 マリンと合わせる顔がないためだ。


 ケチャップパスタ(異世界ではナポリタンと云うがこの世界にナポリは無い)を食べてコーヒーを飲みながらマリンの言葉を思い出す。


「格好良い男の子」


「優秀な男の子」


「優しい男の子」


「魔術を扱える男の子」


 そういうデザインを経てマリンにキャパを使わせて出来たのが自分であるという。


 マリンにしてみれば、


「自身への裁き」


 なのだろうが、ビテンにしてみれば、


「マリンを劣等生足らしめている原因が自分だ」


 ということに相成る。


 それはつまり、


「マリンを女生徒の嫉妬や憎悪の対象に追い込んだのが自分だ」


 ということにもなる。


 おそらく……というよりほぼ確定なのだろうが、マリンのキャパは天才どころか鬼才を超えて『意味不明』の次元にあると見て間違いない。


 ビテンという人間を造り、なおかつ学院の誰よりも大きなマジックキャパシティを持たせる。


 どれほどのキャパがあればそんな芸当が可能なのか?


 想像するのも馬鹿らしい。


 そして、


「その才能を食いつぶしているのが自分自身である」


 と認識すれば心が痛い。


 マリニズムであるが故に、マリン優位主義者だ。


 ぶっちゃけマリニスト。


 そんな自分が一番マリンの足を引っ張っていたなぞ割腹ものだ。


「…………」


 コーヒーを飲む。


 しばし沈思黙考。


 思案するのはどうやってマリンの現状を打破するかである。


 マリン第一であるためマリンには幸せになってもらわねばビテンが困る。


 ここにビテン自身は勘定に入っていない。


 どこまでもマリニストなのだ。


「自殺するか?」


 そんなことを口にする。


 誰にも聞かれないように。


 だが即座に却下された。


 脳内裁判で。


 少なくともビテンがマリンの、


「理想の男の子」


 である以上、マリンはビテンに惚れている。


 別視点から見れば一種の自慰行為だが、マリンはマリンでビテンはビテンだ。


 マリンがビテンに心を仮託しているのも覚るのはそう難しくない。


 あんな自白が有った手前だ。


 ビテンが自殺すればマリンは、


「自分が追い込んだ」


 と思うだろう。


 トラウマをもう一つ生み出す結果になる。


 自信でも自負でもなく単なる一事象でそう思えた。


 正解である。


「かといって気にしないのもなぁ」


 そこが難しいところだ。


 ビテンの存在がマリンを苦しめる。


 何時だってそうだった。


 エル研究会を発足して、


「魔術の才能が無い」


 というマリンに軽蔑と嫉妬の視線を浴びせた。


 自身の怒りに代わって殺人を代行させた。


 まさに割腹ものだ。


 それに別の懸念もある。


 仮にビテンが自殺してマリンにキャパが戻ってもマリンは戻ったキャパを使い潰して第二のビテンを造るだろう。


 それでは元の木阿弥だ。


「ではどうすれば?」


 と考えて、


「八方ふさがりだな」


 と苦笑した。


「何がだい?」


 凛とした声が聞こえてきた。


「…………」


 ビテンはコーヒーを飲んでチラと声の主を見やる。


「カイトか」


「まぁね」


 プリンスの登場だった。


「今日はエル研究会なんて開かないぞ」


「知ってる」


 らしい。


「じゃあ偶然か?」


「いいや?」


 飄々とカイト。


「マリンか……」


「ご名答」


「まぁ采配としてはお前が適任だよな」


 何のか?


 は言葉にしないが。


「ビテン?」


 カイトが呼ぶ。


「僕たちは親友だ」


「微妙だがな」


「悩む親友の懊悩を肩代わりするのも友の役目じゃないかな?」


「話せと?」


「そう言っている」


 それはクズノにもシダラにもユリスにも出来ないことだ。


 唯一、


「ビテンの親友」


 を称しているカイトだからこそ踏み込める領域だろう。


「友情万歳だな」


「うん。そうでなくちゃ」


 カイトは微笑した。


「で?」


「とは?」


「何があったのさ?」


「あー」


 ビテンは沈思及び黙考した後、


「…………」


 コーヒーを飲んでから言った。


「実は……」


 とビテンとマリンの関係性を。


 包み隠さず。


 詳らかに。


 話しているうちに自虐に押しつぶされそうになりながら、それでもどうにか潰れず説明しきるビテン。


「ふむふむ」


 カイトは事情を斟酌して、


「それでビテンはどうしたいの?」


 と問うた。


「どうにか俺に割いているキャパをマリンに還元できないか悩んでる」


「なるほどね」


「本当にわかってるのか?」


 猜疑するビテンに、


「わかっているとも」


 とくにおちゃらけた様子もなくカイトは答える。


 こういう時カイトは便利だ。


「ビテンのマリニズムは十分承知だ。要するに自分の存在よりも自分の存在によってマリンが貶められている方が重要なんだろう?」


「……まぁな」


 認めたくないがカイトの分析は的確だった。


「かといってビテンが懊悩すればそれだけマリンも懊悩する」


「だな」


「仮に自殺してマリンにキャパを返しても解決策にはならない、と」


「そういうことだ」


「八方ふさがりだね」


「だから悩んでるんだ」


 コーヒーを飲んで吐き捨てる。


 マリンの才能の消費と因果とを秤にかけて前者に傾くマリンの心情もまったく理解できないわけではない。


 ただ、


「それでマリンが責められるのがマリニストとして我慢ならない」


 というだけだ。


 どこまでもマリニスト。


 マリン第一主義者である。


 後顧の憂いなく場を収める手段を仮想しては打ち消すという作業を繰り返す。


「でもそっか。そんな理由が……」


 カイトもカイトで理解はしているらしかった。


「たしかにそうならこんな能力……恐怖するのも当然だよね」


「だよなぁ」


 そこにはビテンも賛成だ。


 癇癪で友人を殺した罪科。


 その能力を捨てるためのビテン。


 である以上ビテンはマリンにとって必要な存在だ。


 こうなれば今までのマリンの言動も理解は出来た。


「ビテンは私に囚われず他の女の子と仲良くしたらいい」


 そう主張してやまないマリンだったのだ。


 その根幹を想えば心がミシリと軋んだ。


 殺人者としての自分。


 手の平の綺麗な他者。


 マリンとしても自身の理想の男の子であるため想いを寄せるが、ビテンが殺人者である自分よりそうでない他者を推すのも今ではわかる。


 わかりたくはなかったが。


 さて、


「どうすればいいと思う?」


 コーヒーを飲みながらビテンはカイトに問うた。


「うーん」


 カイトは碧眼に懊悩を乗せた。


「僕としてもビテンの自殺は困るね」


「でもなぁ。俺がマリンをして劣等生足らしめている要因だしなぁ……」


「割腹して解決するならビテンも悩んでないでしょ?」


「それは……」


 言葉に詰まる。


 明確な事実であるからだ。


 ビテンがマリンの足を引っ張っている。


 マリンはビテンを必要としている。


 この二律背反にどんな決着をつけるべきか。


 それがわからないから悩んでいるのだが。


「いっそ忘れられたらいいんだけどね」


 苦笑気味にカイトが漏らした。


「まぁ確かに」


 ビテンも苦笑した。


「でもまぁ記憶を消す薬物なんて聞いた事ないし」


「だな」


「魔術でも記憶を消す類のものあったっけ?」


「さぁな」


 と言った後、


「……っ!」


 コーヒーを飲む動作でビテンは硬直する。


 あるのだ。


 人の記憶を忘却させる魔術が。


 学術旅行で偶然発見した魔術。


 忘却の川を意味する魔術。


「どうしたんだい?」


 カイトにはわからないだろう。


 おそらくマリンにも。


 が、仮にソレを使えば、


「…………だよなぁ」


 自身が無に帰ることは必然だ。


 だが他に結論がないのも事実ではあったのだが。

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