第84話 武国への一歩


 マジカルアバドン潰走。


 ぎりぎりコキュートスの範囲外にいた補給線の兵士が逃げ帰って武国の将軍に伝えた事実がそれであった。


「――馬鹿な」「――マジカルアバドンを制したというのか」


 そんな感じで恐慌と不安に煽られているのは武国領となった華国の城でふんぞり返っている将軍や兵士一同。


 ところで将軍も強力な魔女である。


 が、事実は如何ともしがたく、アイリツ大陸をアンタッチャブルとして扱う方向に話が流れた、


「らしい」


 とビテンは言った。


 何故敵情を把握しているかと言うとクレアボヤンスの魔術で遠見をして読唇術で会議の内容を吟味しただけである。


 敵を知り己を知れば百戦危うからず。


 少なくとも情報収集と情報伝達の魔術だけでも片手で数えられる程度には習得しているビテンである。


 マリンもだが。


 クレアボヤンスはその一つ。


「しっかしまぁ……」


 ビテンは海風にさらされながらうんざりと言った。


「よくも殺されるためだけに七日の距離を越えてきたもんだ」


 ある種感動さえ覚えている。


 何故かと云えばビテンとマリンとデミィが逆行しているためだ。


 マジカルアバドンの軍艦はコキュートスによってズタボロにされたため使うことが出来ず、仕方なく西の帝国から商船を引っ張ってきてソレに乗っている。


 商人は神王皇帝から十分な金銭を得ているためほくほく顔でビテンとマリンとデミィを船に乗せた。


 商船と云っても下手をすれば並みの軍艦より大きい船である。


 西の帝国の皇帝が、


「武国領と渡りをつける気ならこいつが一番いい」


 と推したのが今回の商船の大商人だったのだ。


 貴族でこそないものの豪華な屋敷を各国に一つずつ持っており、その発言権は時に貴族さえ上回る。


 北西大陸とのパイプさえあるというのだから、


「商人も上の方は大したものだ」


 とビテンも舌を巻く。


 結局どんな文化や世界だろうと全体の富の半分は一パーセントの金持ちたちが掌握しているくらいでちょうどよく回るのだ。


 そういう意味では特に不平をわめいたりしないビテンである。


 というかビテンは枢機卿の家にお世話になっているため大商人のことは言えないのだが。


「ビテン~! ビテン~!」


 デミィが呼ぶ。


「何でっしゃろ?」


「ほら。魚釣れたよ?」


 デミィは呑気に魚釣りをしていた。


「船の乗員にさばいてもらおうよ!」


「構いやしないがな」


「えへへぇ」


 デミィは嬉しそうに微笑んでトテトテと商船のキッチンへと向かっていった。


 入れ替わるように此度の商船の船主……大商人が現れた。


「どうも。稼がせてもらっています」


 ニコニコと笑顔で機嫌を取る。


「実質的に俺よりあんたの方が影響力はあるだろ。そう遜る必要はないんじゃないか?」


「いえいえ。とんでもない」


 と商人。


「商人は客がいなければ干上がるものでして。笑顔満点明朗快活をモットーにしなければ生きていけない世界なのです」


「大変なんだな」


「私はだいぶ恵まれた方ですが、やはり商人とは大多数が報われないものです故」


「耳が痛い」


「これは失礼をば。決して枢機卿を貶める意図は誓ってございません」


「特に気にしちゃいないがな」


 ビテンは肩をすくめる。


「ところで」


 と話が変わる。


「教皇猊下並びに枢機卿猊下に置かれましては何用で武国へ?」


「話し合い」


 まっこと平坦に言ったものだから商人は、


「うん?」


 と呑み込めなかった。


「だから、話し合い」


 ビテンは繰り返す。


「話し合いと仰いますと……?」


「武国から華国の領土返還を求める。とりあえず華国を占領している将軍に会って話だな。それで解決しないなら武国の大総統のところまで」


「…………」


 商人は戦慄していた。


 少なくとも商人には関わり合いのないことだ。


 知らぬ存ぜぬを通せば実質的な害はない。


 それをビテンたちもわきまえてはいるのだろう。


 西の皇帝は、


「渡りをつけるに丁度いい」


 とは言ったが、ビテンたちにしてみれば、


「どうせ威力交渉になるだろう」


 と決めてかかっている。


「一応穏便に話してはみるがな」


 とビテンはいやらしい笑みを浮かべた。


 商人としては、


「状況が分かっているのか?」


 と問いたい心境だった。


 武国側は元華国の領域でさえ数万の兵士と魔女を抱えている。


 対してアイリツ大陸側はビテン、マリン、デミィの三人だ。


 勝敗なぞ火を見るより明らかだ。


 そもそも武国側が素直に交渉のテーブルに着くはずもない。


 数万対三名。


 この絶望的な状況で何をしようと云うのか。


 商人の理解の外だった。


「あの……できれば……」


「わかってる。あんたらは関係ない。俺たちは自力で武国まで来た……だろ?」




    *




 軍艦で七日のところを商船は六日でたどり着いた。


 北西大陸の地に足をつけると、


「ん~」


 とビテンは背伸びをした。


 船旅自体に文句は無い。


 風呂。


 トイレ。


 ともに完備。


 さすがに大商人の商船であり、軍艦より大きいこともあったため第三次産業は充実していた。


 実際に似たような商船で船旅を楽しむツアーも企画しているということだからソレらについて不満は無い。


 むしろ快適すぎて気味が悪いくらいだった。


 ただどうしても、


「地に足をつける」


 という感覚は人間としての根幹に呼びかける。


 そんなわけで武国の地を踏むビテンたちであったが、ここから元華国の城まで更に時間がかかる。


 商人には既に対価を払っているためそれっきりで帰りは別の船を見繕う必要がある。


 とは言っても心配事でもないのだが。


 アイリツ大陸と北西大陸を行き来している船なぞ幾らでもある。


 ちょっと口利きをして報酬を払えば乗ってくる人間は数多にのぼろう。


 とりあえず港町にて食事をとるため食堂に入る三人。


 煮魚や焼き魚の定職を食べながら今後の方針を練る。


「とりまここの将軍に話をつけるってことでいいのか?」


「だよ……」


「だね」


 もっしゃもっしゃと料理を平らげながらマリンとデミィも頷く。


「ちなみにビテン」


「何でがしょ?」


「華国の城までどれくらい?」


「馬で四日ってところだな」


「まぁ船よりはマシだね」


「あう……」


 そゆことだった。


「話が拗れたらどうする?」


 そう言ったのはデミィ。


 だがデミィの表情に憂慮は無い。


 困惑も躊躇も無い。


 あえて言うならば、


「ワクワクしている」


 が適当だ。


 数万対三人の対立公式に疑念を抱いていないらしい。


 それはビテンもそうで、マリンもそうなのだが。


 救い難い思念ではあるが根拠に基づいているため蛮勇ではない。


「将軍脅して兵を引っ込ませることが出来るかどうかだな」


 わりとビテンの声が大きかった。


 ガシャンと食器の割れる音がする。


「?」「?」「?」


 三人は音の方へと向いた。


「あ……あう……」


 ウェイトレスが真っ青な顔でこちらを見ていた。


「どした?」


 尋ねたのは無遠慮の申し子ビテン。


「あ……あう……」


 言葉にならないウェイトレスの言葉。


「あー……」


 それだけで察しえた。


「華国の人?」


「武国に忠誠を誓っております!」


「そゆこと」


 だいたいの事情は把握できた。


 他国の領土を支配するにあたって最も効率がいい政治体制。


 圧政。


 即ち、


「反抗する者は皆殺し」


 という鏖殺の政治を布いているのだろう。


 であればこそ民衆は迎合せざるを得ないのだから。


 基本的に武国は軍事国家だ。


 マジカルアバドンがその良い例だろう。


 老若男女を兵士とする超軍国主義ミリタリズム


 もっとも、


「だから?」


 と封殺できるのもビテンたちの特権ではあるが。


「やめろ……! やめてください……!」


 店主が躍り出てきてビテンたちに哀願する。


「これ以上武国を刺激するな」


 と。


「我々にまで危害が及ぶ」


 と。


 ビテンは、


「あっそ」


 と流した。


 マリンは、


「あう……」


 と躊躇った。


 デミィは、


「まぁ殺されるのは私たちですし」


 カラカラと笑った。


「華国を……取り戻してくれるのですか?」


「結果的にな」


 ビテンはぶっきらぼう。


 別に華国のために動いているわけでもないので正しい言動ではあるのだが。


「まぁ場合によってはそうなるかもな」


「……っ!」


 食堂の店長は戦慄した。


 さもあろう。


 ビテンたちにはどうでもいいことではあったが。

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