第62話 西の帝国の禁忌魔術


 ビテンとマリンは認可を得て転送魔術の魔法陣を起動させた。


 大陸魔術学院を中心にハブ型に構築された転送魔術のネットワークは容易に学院生をアイリツ大陸四か国の主要都市に身を運ぶ。


 此度ビテンとマリンが訪れたのは西の帝国。


 ビテンは相も変わらず学ラン姿。


 マリンは制服の上からケープ状の黒マント。


 目立たないはずがなかった。


 そうでなくとも女性優位主義に一石を投じる存在だ。


 西の帝国の住人……少なくとも特に魔術に縁のない庶民にとってビテンはアイドルだった。


 西の帝国に対して猛威を振るったビテンではあるが、戦争を対岸の火事に思っている庶民にとっては、


「明日は我が身」


 とは考えられないのだろう。


 だからといってビテンが理由もなく帝都の庶民たちを攻撃する理由もないため、よほどのことがない限り対岸の火事に終始するのだが。


 そんなわけで、


「有難や有難や」


 とまるで生き仏のように扱われた。


「ビテン殿! 桃のはちみつ漬けなどどうでしょう?」


 帝都の市場を縦断していると、こんな誘いもちょくちょくだ。


「お言葉に甘えて」


「そっちの嬢ちゃんも」


「あう……。ありがとう……ございます……」


 ビテンとマリンは桃のはちみつ漬けを食す。


「うん。美味い」


「ふわ……甘くて……とろっとしてる……」


「いくら?」


「銅貨三枚でどうでしょう?」


「持ち合わせがない。銀貨でいいか?」


 ピンと親指で銀貨を一枚はじくビテン。


 受け取った店主は目を丸くしていた。


「こりゃ豪勢な。お釣りが作れませんから頂けません」


「釣りはいらん。とっておけ。それが良心の呵責になるなら次俺を見かけたときにまた馳走してくれ」


 気負いなくそういってビテンはマリンと手を繋いで市場を縦断する。


 目指すは門前市。


 その先にある帝城だ。


「や。これはビテン殿。我が方にも魔術を指南してはもらえないか? 十分な見返りは用意させてもらいます」


「まず女に生まれ変わるところから始めてくれ」


 この手の提案は何も一人に限った話じゃない。


「ビテン殿」


「ビテン様」


「ビテン」


 誰もがビテンを呼ぶ。


 中には女性でありながらビテンに魔術の指南を頼む人間まで現れる始末だ。


 男の志願者には、


「女に生まれ変われ」


 女の志願者には、


「学院に所属しろ」


 そう言って切り捨てるのがパターンだ。


「あー、疲れる……」


 ビテンは喫茶店の奥まった席でくてっと脱力していた。


「ビテン……大人気……」


「知ったこっちゃねえがなぁ」


 そもそもにしてビテン自身が男でありながら魔術を使える自分に明確な回答を提出できはしないのだ。


 男にも魔術を使える可能性があるのか。


 それともビテンだけが例外なのか。


 今はまだ理由がわからない。


 ビテンは、


「考えるだけ無駄だ」


 と公言している。


 とは云うものの、こうアイドル扱いされればその原因を疑うくらいはしてしまう。


「こちらコーヒーでございます」


 そう言ってウェイトレスがおずおずとビテンとマリンの二人分、アイスコーヒーを差し出して去っていった。


 グラスの中の氷がコーヒーに溶けてカランと音を鳴らした。


「うあ」


 と呻いて脱力から脱する。


 対面の席にはマリンがいて、


「…………」


 チューチューとストロー越しにコーヒーを飲んでいた。


 しばし二人はコーヒーを飲む。


 次の話題への移行は大した時間を必要とはしなかった。


「帝城に……行くんだよね……?」


「ああ」


 そもそもそのためにビテンとマリンは帝国に来たのだから。


「行っても……門前払いじゃ……ないかな……?」


「多分大丈夫だ」


「そうなの……?」


「こういう時は公的な身分に同情するがな」


 ビテンは目を細めてコーヒーを飲む。


「でも……ビテン……西の帝国に……メギドフレイム……撃っちゃったし……」


「一人も殺してないから別にいいだろ」


 むしろ山脈が丸ごと深淵の穴になってしまった分だけ地理的に南の王国が損しているともとれる。


「とりあえず腹ん中で何を考えていようと契約を反故すれば帝室の権威が下がるのが権力者の常だ」


 ビテンはコーヒーを飲む。


「ま、だから大丈夫だと思うがな」


「そうだったら……いいけどね……」


「仮にダメでも最悪の事態には陥らないだろう?」


 それだけは確信持って言えるビテンであるし、


「あう……」


 マリンも承知している事柄だ。




    *




 門前市を抜けて帝城の門の前に立つ。


「何者だ?」


 門番の兵士二名が手に持ったハルバードをX字に交差させた。


 ハルバードは決して軽い武器ではない。


 それを巧みかつ流麗に扱っただけでも兵士の質は察せられる。


「ふむ」


 ビテンはしばし考えて、


「あう……」


 マリンは怯えたようにビテンの背中に隠れる。


「…………」


 少し考えた後、


「ちょっと皇帝さん家の陛下ちゃんと遊びたいなって」


 帝室の権威を損ねた。


 というか挑発した。


 門番の血が沸騰したのは一瞬だ。


「貴様!」


 と二名の門番がビテンの喉元にハルバードの切っ先を突きつける。


 脅しではあるが脅し以上の効果はない。


 少なくとも現時点において、


『ビテンとマリンを傷つけることは出来ない』


 のだから。


「とりあえず皇帝陛下にお目通り願えるか聞いてみてくれ。多分断られはしないだろうから」


「何者だ」


「服見りゃわかんだろ。大陸魔術学院の生徒だよ」


「貴様……一人殲滅機関……ビテンか!」


「正解」


 嫌な二つ名を付け加えられたことに口をへの字に歪めたが、


「とりあえず場を荒らすのもなんだし」


 とすごい勢いで棚に上ってビテンは肯定した。


「…………。待っていろ」


 思案し、連絡員に話を通す門番の一人。


 あっさりと城門は開いた。


 ついでにあっさりと謁見の間。


 女帝陛下に向かって、


「お久」


 ビテンは怖い者なしに片手を挙げてあいさつした。


「久しぶりじゃ。如何な用か?」


 皇帝も皇帝で特にビテンの不遜さに叱責することもなく話題を先に進める。


 ちなみに謁見の間にいる護衛の兵士と魔女と宰相とが殺気を放ち始め、


「あう……」


 とマリンを怯えさせていた。


「こら。お前らマリンを怯えさすな。その殺気立った気配を今すぐ消せ」


「誰のせいだ」


 とビテン以外の人間が同一の見解を持ったが、当然自覚しているはずもないビテン。


 面の皮の厚さは折り紙付きだ。


「で、西の帝国の禁忌魔術の魔術書を読ませてもらいに来たぞ」


 そういうことだった。


「おんし。思うところはないのか?」


「借りは一つ作ったはずだが?」


「こちらの軍の侵攻を妨げた上でそう言っているのか?」


「特に被害出していないんだから良いだろ。むしろ地形的には王国が不利益出した形だ」


「……よかろう」


 議論するのも疲れたらしい。


 さもあろう。


「余についてまいれ。封印倉庫へ案内してやろう。ああ、護衛諸君。ついてくるなよ。封印倉庫は皇帝しか入ってはならぬのだからな」


「俺は皇帝じゃないが?」


「特例じゃ。ここでメギドの火を落とされても困る」


 これは言葉にはならなかったが、


「こういう魔術の使い方もあるのか」


 とビテンは一人感心していた。


 そして帝国における秘中の秘……封印級の禁忌魔術の書庫へと足を踏み入れる。


 埃がつかないように布をかぶせられている分厚い魔術書数冊。


 六法全書より分厚い本が二つに分けられて積み重なっていた。


 ビテンとマリンは神語で書かれた背表紙のタイトルを解読した。


「フォーリンムーン」


「サウザンドクレイモア」


 そしてビテンとマリンは遠慮なくこの二つの禁忌魔術の記録に乗り出した。


 とは言っても記憶ではなく記録。


 そもそも記憶するほど皇帝が時間をくれるはずもなかったが。


 ビテンはフォーリンムーンを、マリンがサウザンドクレイモアを、それぞれ、


「本当に読んでいるのか?」


 と疑わしい速度で読み進めていった。


 というのも流し見にも等しい……本をとってパラパラパララとページをすさまじい勢いでめくって次の本に取り掛かる。


 そんなことを繰り返すだけである。


 それぞれが記録し終えると、今度はビテンがサウザンドクレイモアを、マリンがフォーリンムーンを、やはり単に素早くパラパラとページをめくるだけという読み方で記録するのだった。


 読み終えるのに大層な時間は必要なかった。


 二人そろってパタンと最後の魔術書を閉じると、


「どうも。世話になったな」


「あう……。ありがとう……ございました……」


 皇帝に礼を述べた。


「………………もう読み終わったのかや?」


 表情が、


「正気かこいつら」


 と語っていた。


「ま、記録は出来たし後は複写して翻訳するだけだな」


 さも平然とビテンは言う。


 マリンは何も言わなかったが、その黒い瞳に憂慮や不自信は存在しえなかった。


「マリンはどう思った?」


「さすがに……使う機会は……ないかな……?」


「だよなぁ」


 フォーリンムーンおよびサウザンドクレイモア。


 まだ翻訳の完了は為されていないが神語に精通しているビテンとマリンは大まかなイメージくらいは掴める。


 その根拠が言っているのだ。


「あまりに度の過ぎた力だ」


 と。


 だからとて魔術への知識欲の深い二人には遠慮する理由にはなるまいが。

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