第20話 怠け者の憂鬱


「マ~リ~ン~」


「何……?」


「コ~ヒ~」


「うん……」


 そんなわけで特別あげつらう事もなければ逆もないとある日常の一ページ。


 その朝。


 ビテンが珍しく一人で、しかしてのろのろと起き上がってきたことは特筆していいかもしれなかった。


 もっとも朝食を作ってもらっている上に、そのコックさんにコーヒーまで丸投げで注文する辺りビテンの業の深さが窺い知れる。


 マリンの立場においては、


「ビテンに奉仕できる幸せ」


 がスローガンと言えるためウィンウィンと言えないこともない。


 かなりギリギリだが。


「おはようございますわビテン」


 朝早くから来客があった。


 ソイツは優雅に紅茶を飲んでダイニングに顔を出したビテンを迎える。


 白髪白眼のアルビノだがアイリツ大陸においては別段珍しくもない身体的特徴である。


 翻ってビテンとマリンは黒髪黒眼。


 癖っ毛のビテンと大人しいマリンとでは印象も違うが北の神国出身とあればこちらも別段珍しくもない。


 さて、


「はい……ビテン……」


 マリンがビテンにコーヒーをふるまう。


「あんがと」


 言ってコーヒーを飲みだすビテンであった。


「また……何かあったら……言って……」


「あいあ~い」


 ズズとコーヒーを飲む。


「負んぶに抱っこですわね」


 白い美少女……クズノが皮肉を言ったが、


「ありがたい限りだ」


 ビテンにとっては今更。


 空が青いことに皮肉を言うのと何ら変わらぬ至極当然の無為徒労である。


「で、なんで朝っぱらからお前がいる?」


 ビテンはクズノにジト目をやる。


「最近のビテンとマリンの素行に一言申したくて、ですわ」


「素行ねぇ」


 心当たりのないビテンはぼんやり呟いて意識をコーヒーに戻す。


「あなた方は最近講義をサボりすぎですわ。一日二日なら事情があるかと思うところですが、そうでもないようですし」


「なるほどな」


 ビテンがものぐさなのは今に始まったことでもないが、今まではマリンがそれを奮い立たせていた。


 マリニズムな主義者のビテンにしてみればマリンの言葉こそ天啓でマリンの希望こそ福音だ。


 ましてマリンは人見知りで奥手でマジックキャパシティも十分とは言えない。


 そんなマリンのフォローをするのがビテンであり、そのためにビテンは勉学の都である大陸魔術学院の門を叩いたのだから。


 そうでもなければ飛天図書館などという知識の宝庫を持っているビテンが今更魔術を学び直す必要なぞないのだ。


 それはビテンと同等以上のエンシェントレコードの理解を深めているマリンにも言えることではある。


 では何を以てという疑問も残るが案外単純な理由である。


 ビテンはコーヒーを飲んでから言う。


「そういえばお前にはまだ言ってなかったっけな」


 カチンとカップと受け皿が音色を零す。


「一応のところ単位不問になったから」


「単位不問?」


「まだ正式ではないが色付きになったんだよ。俺とマリンは」


「は……?」


 一秒。


 二秒。


 三秒。


「色付きって……色付きマントを贈呈されたんですの!?」


「正確には今期の終業式で贈与される。それまでは一般生徒には違いないが、どうせ講義に出ようが出まいが結果的かつ未来的に単位不問になるんだから講義に出る必要ねーし」


「何色のマントを?」


「俺もマリンも黒」


「黒ね……」


 飛天図書館にゼロの翻訳があるためビテンもゼロを扱えるのが道理だ。


「別段珍しい事でもないらしいぞ。そりゃ数こそ少ないが新入生がいきなりマントを貰う例は毎年あるらしいし」


 それでも男の魔術師が魔女を差し置いてマントを貰うという意味をビテンはクズノほど重くは捉えていなかったが。


「ビテン……御飯……出来たよ……?」


「待ってました」


 ビテンは破顔した。


 ちなみにクズノは既に朝食を終えている。


 今日のメニューは雑穀米と海藻サラダとボイルウィンナー。


 学食も利用できるがビテンとマリンは手作りを好む傾向にあった。


「たまにはわたくしも手料理をすべきでしょうか?」


 ふと独りごちるクズノ。


「ビテンはどう思いますの?」


「別段断る理由も無いがな」


「手応えの無い……」


 ジト目になってぶつくさ呟くクズノだったがビテンが気にするはずもない。


「ビテン?」


「何だ?」


「今日もサークル活動をするのでしょう?」


「気が乗ったならな」


 そもそもエル研究会の部室は飛天図書館と云う名のビテンの精神的露出行為に相当する魔術に依るところだ。


 が、この意味は大きい。


 少なくともエル研究会において暫定的に一人だけ色付きでない魔女クズノにしてみれば向上の足掛かりとも言える環境である。


「わたくしにゼロを教えてくださいませんこと?」


「気が乗ったならな」


 コピペで返すビテンであった。




    *




 同日。


 午後。


「茶をくれ」


 ビテンは生徒会室に赴いた。


 無論マリンも。


 マリンは、


「あう……」


 と謙虚に萎縮していたが、ビテンはそんなマリンの手を握って安心させる。


 生徒会室の来客用のソファに座って、正式な庶務から紅茶をふるまってもらう。


 ビテンもビテンで庶務ではあるのだが、それはあくまで徴兵処置においての牽制と云う意味合いでしかなく普段は(今もだが)仕事の一つもこなそうとはしない。


 今日のエル研究会の活動はクズノの意に反して休業である。


 全員が集まらない限りにおいてアナザーワールドを構築しないというのがその理由で、エル研究会の部員である生徒会長ユリスが多忙を極めていることに端を発する。


 実際ユリスは山と積まれた書類を手早く整理消化していっているが、量が量だ。


 とても一日で終わるとはビテンには思えなかった。


「ご苦労なこった」


 紅茶を飲みながらビテンは苦笑した。


「あの……何かお手伝いできることは……?」


 マリンは見かねてそう言った。


「気を遣わせてしまって済まないね。だが大丈夫だ。今のところ予定通りに進んでいる」


 即ちユリスの仕事速度が一定値に達しているということだ。


 元より一日で終わらせようという腹積もりでも無いらしい。


「あう……」


 と呻いて紅茶を飲むマリンだった。


「大変そうだな」


「たまにはこういうことがある」


「そうなのか?」


「特に予定やイベントが無くて暇を持て余したりした直後なんかに良く感じられるな。空白を埋めるほどのスケジュールがいきなり投下されるというのは」


「波みたいだな」


「実際そうだろう。嵐の前の静けさと云うか静けさの後の嵐と云うか」


「今回は何に振り回されてるんだ」


「賓客を一人迎える」


「お偉いさん……というか偉ぶっている人間か」


「然りだ」


「ビテン……」


 とこれはマリン。


「なんで『偉い』じゃなくて……『偉ぶっている』なの……?」


「大陸魔術学院および同名周辺都市国家は政治的空白地帯だ。である以上、貴族や司祭の肩書は無いモノとなる。だろ?」


「なるほど……」


「仮に教皇猊下が来たってここでは一市民だ」


「なるほど……」


「で?」


 ユリスが問うた。


「仮に教皇猊下が来たら君は一般人として扱うのかい?」


「あー……」


 ビテンは、


「嫌な顔」


 をして紅茶を飲んだ。


 関係ないがユリスは会話をしながらもサラサラと羽ペンを泳がせて、よどみなく書類を消化していく。


「どうだかな……」


 遠慮のないビテンには珍しく歯に物が挟まったような言。


 これには理由がある。


「マリンはどうするんだい?」


「恐縮……します……」


 仮に教皇猊下が本当にタダの一市民であってもマリンにとっては恐い他人に相違ない。


「ブレませんね、あなたは」


 一応皮肉のスパイスを利かせたはずのユリスであったが、


「あう……」


 マリンはいつも通りだった。


 ビテンはマリンの心象をよく存じているので気持ちはわからないでもない。


 取扱注意と云うか割物注意と云うか。


 後ろめたさで言えばビテンよりマリンの方が顕著だ。


 それをユリスも鋭敏に察知しえたのだろう。


「ふむ……」


 サラサラとペンを走らせながら一考する。


「ビテンとマリンは北の神国の出身でしたね」


「ああ」


「はい……」


「ではプレッシャーを与えるようで心苦しいのですが此度学院を訪問するお偉いさんはデミウルゴス教皇猊下です」


「…………」


 シンと場が静まった。


 カリカリとペンの音だけがビテンの耳に聞こえてくる。


 生徒会員らは沈黙したまま目の前の書類を処理していく。


 ビテンの思考は空白で埋まっていた。


 マリンも同様。


 数秒ほどして漸くアイデンティティが色を取り戻す。


「……マジで?」


「嘘と思いたいなら特に止めはしませんが」


 書類を片しながらビテン並みに無遠慮な言を紡ぐユリスであった。


「うわぁ」


 その一言がビテンによる教皇への感想を如実に表していた。


 ここが北の神国ならば極刑モノの態度ではある。


 政治的空白地帯であるからこその言動とも取れるが。


「一応粗相の無いように願います」


 特にビテンの反応に興味なさげに忠告だけはするユリス。


「猊下がねぇ……」


 感慨深げにビテンは言葉を発して嘆息する。


 興味がわく情報ではないが憂うには値した。


 そもそも『ビテンとマリンにとって教皇猊下は他人じゃない』のだ。


 何を以て訪問するのかはわからないが巻き込まれずに済むという考えを肯定できるほどビテンも楽観論者ではない。


「デミィ……」


 マリンがポツリとつぶやく。


 それはビテンにしか聞こえなかった。

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