第53話 罪状は【零】




 まるで夢の中にいるかのような感覚だ。

 自分の持てる魔力のほぼすべてをつぎ込んでも、片翼だった頃のように痛みやだるさを感じることはなかった。

 妙に自分と、自分以外との境目が曖昧に感じる。

 世界と一体となるような、人間の言うところの“神”になったかのような感覚だ。


「成功したのか?」


 辺りの光がなくなり日が沈んだ頃、闇が辺りを包み始めていた。

 星がやけに明るく、銀河の瞬きが地上に儚く降り続いている。


「成功したよ」


 空間に大きな歪みができており、そこから“向こうの世界”が見えた。木々が生い茂り、川のせせらぎが静かに向こうから聞こえてくる。

 こちらで枯れ果てている大地が、こうなってしまう前の景色と同じだ。まだ大陸が大幅に海に沈む前、大地が枯れ果てて砂漠が多くなる前の景色。

 僅かな木々が懸命に残っているこちらとは違う。

 取り切れないほどの緑が生い茂っている。

 世界の創造に成功した達成感が遅れてやってきた。

 疲れが僕から滲む。


 しかし、のんびりはしていられない。

 この歪みが消える前に僕は魔女の心臓でこの世界の全ての魔女を縛って“向こうの世界”に送らなければならない。


「みんな、本当にありがとう。あとは僕の心臓を使うだけだ」


 クロエが僕を止めようとするのを、リゾンが力づくで止めた。そう止められると僕も負い目を感じてしまう。


「笑って……送ってくれないかな、クロエ」

「っ……めちゃくちゃ言うんじゃねぇよ……これ以上無理なことを言うな」


 そうは言いながらも、クロエは僕の方を見て泣きながらも無理に笑顔を作って見せる。


 僕はひとりひとりの顔をよく見つめた。


 もう言葉はいらない。

 口を開いても後ろ髪ひかれるような別れの言葉が出てくるだけだ。


 これが最期だと思うと、本当に様々なことが頭をめぐる。ほんの些細なことも、僕はいくつも今までの出来事を思い出した。

 僕は初めの魔女、イヴリーンと同じことをするのだと思い起こす。


 存在するだけで罪と人間咎められたけれど、人間の為に命を賭して自分の命を差し出した。それが結果としてよかったのか、悪かったのかは僕には判断ができない。

 その中で、僕はアナベルと話したことを思い出す。



 ――過去―――――――――――――――――



「魔女というだけで、人間にとっては罪なの」


「罪名を与えられるとき、魔女は讃えられるのよ」


「人間が罪と定めたもの全て捨てて、楽しく生きられる?」


「あんたの罪は“傲慢”と“強欲”かしら」


「罪と咎められたって、生きる権利はあるわ」



 ――現在―――――――――――――――――



 ふと、自分の罪はなんだったのだろうかを考える。

 僕は魔女として、魔女から讃えられるほどの大罪を犯していたのだろうか。


 ――そんなこと、もう、どうでもいいか……


 頭の中に響くアナベルの過去の声を僕は振り払った。


「それじゃ、みんな。後は頼んだよ」


 僕は最期の魔術式を構築した。

 その魔術式は構築し終えると僕の胸の中へと入って行った。

 その魔術式に意識も、魔力も、何もかもを持っていかれるような感覚がした。


 ――イヴリーンもこんな風に見守られて逝ったのかな……


 残る最後の意識でそう考えている間に、馬の走る音が聞こえた。

 それと同時に僕の名前を呼ぶ声が聞こえて、僕の意識は引き戻されることとなる。


「ノエル!!」


 僕が目を開くと、そこにはご主人様がいた。


 ――どうしてここに……なんでここが……?


 その疑問が湧き上がりながらも、それよりも僕は驚きが先行して声が出てこない。

 馬から飛び降りるように降りて僕に近づこうとする彼は、すぐさまリゾンとクロエに抑えられて膝をつく。


 ――なんで……


 それは愚問だ。

 理由は嫌という程僕にはわかる。


「やめろ! 今からでも遅くない! やめるんだ!!」

「この人間……この期に及んで……!」

「てめぇらもなに静観決め込んでんだよ!? てめぇらはこいつが死んでもなんとも思わねぇかもしれないけどな、俺にとっては大事な女なんだよ!!」


 ご主人様がそう叫ぶと、リゾンとクロエが一気に険しさを増して殺意となった。


「殺してくれる……!」


 リゾンの鋭い爪が彼の喉を切り裂こうとした。

 クロエは魔術でご主人様の身体を焼き切ろうとした。


 しかし、僕が咄嗟に拘束魔術をかけてリゾンとクロエの動きを封じると、彼らは指一本動かすことができない程に拘束された。


「やめて、2人とも。お願い……」


 僕は2人にそうお願いをした。

 動かない身体で、顔だけは悔しさを滲ませている。


「拘束を解くけど……お願い、殺さないで。悪気はないの。ごめん」


 拘束魔術を解くと、リゾンとクロエは乱暴にご主人様を乱暴に放した。


「この男を殺す!」

「そうだ! ふざけたことぬかしやがって!!!」

「お願い、2人とも。そんな表情で僕を送り出すつもり? 落ち着いて」


 僕がそう言うと、ギリッとリゾンは自分の歯を食いしばる。

 クロエもけして穏やかではない剣幕でバチバチと身体から電撃がほとばしっていた。


「これだけは言わせてもらうぞ、人間……いいか? お前が知らないだけで、私たちは死線を潜り抜け戦った。これからの生き方や、生きてきた今までの価値観も変わるほど、ノエルに助けられた。死んでもなんとも思わない者などここにはいない!!」


 リゾンにそう怒鳴られると、罰の悪そうな顔をしたご主人様は立ち上がる。

 それでもご主人様はリゾンやクロエに食って掛かった。


「だったらなんで……こいつを死なせようとするんだよ!?」

「ノエルの覚悟がてめぇには解らねぇのかよ!」


 クロエは怒りが抑えられないようで、ご主人様の胸ぐらを掴み上げた。


「そんなもん……解りたくねぇよ……大義があれば死なせる理由になんのかよ……」

「お前ごときが想像もできない程の大義だ。いいか!? ここにいる者たち全員、ノエルを一度は引き留め――――」

「リゾン、クロエ……ありがとう。そんなに怒らないで」


 2人は懇願するように僕が見ると、顔を背けて歯を食いしばる。

 シャーロットやキャンゼル、アビゲイルは泣き続けることしかできなかった。キャンゼルはクロエの服を引っ張ってご主人様から遠ざけようとする。

 クロエも他に沢山言いたいことがあるようだったが、僕の言葉に彼は押し黙る。


「少し、2人で話をさせてほしい。すぐ戻るから」


 世界を繋げる歪みは、まだもう少し閉じる気配はない。

 少しの間なら大丈夫だ。


 僕はご主人様の手を取って、人気のない少し離れた場所へ移動する。

 その間、彼は何も言わなかった。

 少し離れたその場所で、僕はご主人様の顔をしっかりと見た。

 よく見ると服にもそこかしこに砂がついている。

 汚れているのも気にせず、僕の方を見ている。


「…………やっと名前……呼んでくれましたね……」


 そう切り出すと、ご主人様はいたたまれない表情になり、それを隠すように僕を再び抱きしめた。


「いくらでも呼んでやる……だから……今からでも考え直せ……」


 何の駆け引きもない素直な言葉だった。

 ご主人様にそう言われても、僕は覚悟を鈍らせることはない。


 もう決めた事だ。

 命を賭けて決めたことをそう簡単に覆したりできない。


「………………ご主人様、1つ、最期に聞きたいことがあります」

「最期って……俺の話聞けよ! なんで……そんなこと言うんだよ!?」

「お願いします……どうしても聞きたいことなんです」


 話がお互いに一方通行だったが、それでも主人様は僕のその問いかけに耳を傾けてくれた。


「……なんだ?」

「ご主人様のお名前、教えてください。僕にも名前を呼ばせてください」


 ずっと教えてくれなかった名前をせめて教えてほしい。

 ご主人様は僕の言葉に躊躇い唇を噛み、僕を抱きしめる腕に力が入る。

 その様子は僕には見えなかったが、長い沈黙に聞いてはいけないことをきいてしまっただろうかと不安に駆られる。

 視界に入る彼の銀色の髪を見つめる。


 やけに長く感じた数秒の沈黙の後、やっとの思いで彼は口を開いた。


「俺には…………名前がない」


 ――え……?


 その言葉に、僕は返す言葉を失った。


 彼の傷ついているような声に更に僕は狼狽する。

 あまり過去のことを詮索することはしなかったけれど、確か魔女に育てられたと言っていた。


 それでも生みの親はいる。

 生き物は勝手に生まれてくるわけがない。

 親に名前をあたえられなかったのだろうか。


 様々な思考が錯綜する中、それでも町の人間には名前がついていたことは事実だ。


「カルロス医師や……他の人たちは……?」

「あれは自分で名乗ってるだけだ。魔女に出生も死も何もかも管理されていた俺たちは、名前なんてない」

「そんな…………」


 彼は一度、僕を抱きしめるのをやめて僕の顔を見た。戸惑っている僕の顔を見て、彼は誤魔化すように弱く笑った。


「お前がそんな顔する必要ない。まぁ……俺を育てた魔女には……『0《ゼロ》』と呼ばれていた。ただの番号だがな」


 それ聞いたとき、僕は自分の『罪』を鮮明に自覚した。


 いくつもの思考が一つに収束する。

 そのゼロというものは、何もないという意味もありつつも、しかしその全てを担っている数字、記号、言葉だ。


 そう呼ばれていた彼は町の人間たちに無き者にされていたものであり、何も持たざるものであり、しかし僕の全てであったもの。


「ゼロ様……」


 僕が犯してきた罪は“零”だ。


 僕はなにもしてこなかった。

 怠惰とは違う。全て解っていても何もしようとしなかった。


 彼の為に生きて、彼の為に死のうとした。

 僕は外界の問題の何もかもをなかったことにした。

 実験されている魔族たちのことにも目を閉じた。

 抵抗することをやめて、何もかもを魔女に委ねてしまった。

 しようと思えば逃げ出すこともできたのに。

 しようと思えばガーネットの弟を助けることもできたのに。

 なにもしようとしなかった。


 自分の呪われた運命のようなものに呑まれてしまっていた。


 ――人間が定めた9つの大罪……


 セージが殺されたというのに憤怒で復讐をするでもなく、

 傲慢さを捨て、ただ奴隷という立場に身をやつし、

 強欲に求めることもなく彼以外何も望まず、

 彼の幸せの為なら嫉妬さえも切り落とし、

 食事も最低限にして暴食することもなく、

 彼にいくら抱かれても、色欲をたぎらせ僕から彼を求めることはなく、

 虚飾を吐くでもなく、ただ真実を黙し続け

 憂鬱に陥ることもなく彼の為と願って尽くし続けた。


 ――そっか……


 僕の罪は、彼そのものだった。

 ゼロとは『無』。

 僕は進みだすことを恐れて、零でいようとした。

 また失ってしまうよりは何も持っていなくていいと願ったことそのものが、僕の罪だった。


「ゼロ……それは、番号でも、特別な数字です」

「名前じゃない……」

「僕は……上手く……言えないですけど、ただの番号ではないと思います。沢山の意味のある言葉ですから。無機質な記号なんかじゃありません」

「………………」

「僕は、番号の“0《ゼロ》”ではなく、お名前として“ゼロ”様と及びしてもいいですか?」


 僕が笑って見せると、ご主人様は唇を震わせながら、懸命に泣かないように保っている様だった。


「あぁ……好きにしろ……」


 僕はご主人様の顔を見つめ、その顔に手を当てた。

 美しい顔、銀色の髪、大好きな瞳。


「あなたが僕の全てだった。あなたしか、僕にはいなかった……あなたがいないと……生きられなかった。あなたがいなくなったら、僕は生きる意味すら見失ってしまった」


 ご主人様から、堪えきれなかった何度も何度も涙が滴り落ちる。

 言葉にならない声で、言おうと必死になっている。


「あなたがいない世界なんて、見たくも……考えたくもなかった。あなたがいない世界こそ……僕にはぜろだった…………」


 その涙を僕は指ですくう。


「……あなたは僕の罪そのものです……ゼロ様」


 ゼロ様は涙をすくう僕の指を自分の手で優しく握った。

 暖かく柔らかい感触がする。


「でも、僕には大切なものがたくさんできたんです。あなたの為だけじゃない。この世に生きる全ての為に僕は命を払うんです。どうか、解ってください」


 今までの楽しかった思い出が、つい昨日のように感じる。

 ゼロ様は僕の手を掴んだまま、首を横に何度も振る。「いくな」と、言葉ではなく目で訴えてきた。

 手を離すと、ゼロ様は声を殺して涙を流し続ける。

 あまりにも痛々しいその姿に、僕はどうしていいか解らなくなってしまった。


「ごめんなさい……僕…………もう行かなくちゃ」


 少し背伸びをして彼の唇に口づけをした。

 その口づけは涙の味がして、より一層悲しみを深くさせているようだった。


「お別れですね……ご主人様……ゼロ様……最期に、僕の名前を呼んでくれませんか?」


 僕は再び魔女の心臓の魔術を展開する。

 心臓に再びその魔術式が僕の心臓へと伸びてくる。

 それをゼロ様は泣きながら必死で止めようとするが、再びリゾンとクロエに取り押さえられた。


「ノエル! ノエル!! 逝くな!! 俺の言う事が聞けないのか!?」

「目を逸らさずに見ていろ……」

「ふざけんな! 放せ!! ノエル!!!」


 あのとき、この人に助けられてよかった。


 もっと一緒にいたかった。

 もっといろんな話もしたかったし、いろんなことを一緒にしたかった。


 ――いつも気を遣ってばかりだったけど、もっと我儘も言えば良かったかな……


「こんなに愛されているなら……もっと早く、気づけば……よか……った……――――」


 意識が遠くなってくる。


 もう僕に後悔はなかった。


 ゼロ様が僕の名前を呼んでいる激声が聞こえる。


 ――もっと僕の名前を呼んでください。あなたに呼ばれない名前なら、名前がないのと同じだから


 あぁ……だからか。


 ――あなたは自分に名前がないから、頑なに誰の名前も口にしなかったんですね…………


 最期の愛する人の顔を目に焼き付けて、僕は彼の名前を呼ぶ声を聴く中


 永遠に意識を手放した。




 ◆◆◆




【50年後】


 美しい硝子の細工は色とりどりに並んでいて、一つの絵のようになっていた。

 それはまるで天使のようだ。

 六枚の翼と赤い髪の天使。


 硝子の絵から光が射しこむと、白を基調とした室内が七色に輝く。

 長い木の椅子が整然と一方向に並べられている。人々がその長椅子に座って一方向を見ていた。その正面でフードを被った1人の女が本を片手に話をしている。

 ここは町の小さな教会だ。


「こうして1人の人間の男の為に、あらくれ者の吸血鬼族と、六翼の魔女は魔族を率いてこの世界から魔女を隔離し、世界には安息が訪れました。めでたし、めでたし……」


 話が終わると人々は拍手とお辞儀をして出て行った。人々の顔には希望が満ち溢れ、楽しそうに談笑をしながら教会を出て行く。

 たった1人の車椅子の老人を除いて。


「もうその話は聞き飽きた……」


 白い服を着ているその女は、分厚い教典を片手に教会にきた人々へ毎日そう教えを説いていた。

 話し終えたその女は、1人の老人に近寄って膝をついて視線の高さを合せる。

 その老人は車椅子で点滴のチューブを腕に刺していて、呼吸を助けるボンベも車椅子につけていた。

 その病人の姿とは相反し、武骨な首輪と手枷を身体につけている。

 女が老人の様子を確認すると、もう長くはないと診断する。


「……もう、この話を聞くのはきっとあなたにとって今日が最期になるでしょう」

「あぁ……やっと……あいつの側にいける……そうしたら、あいつの……隣で眠らせてくれ……」


 教会の一番奥には、大きなガラスケースがあり、その中に沢山の花が敷き詰められていて、その真ん中に赤い髪の六枚の翼を持つ女が横たえられていた。

 生前の姿そのままに、手を胸の前で組み安らかな表情で眠っている。


「もう……50年も経ってしまったんですね……」

「ゴホッ……ゴホッ……お前らが……この世の為にノエルを犠牲にしていなかったらノエルは死なずに済んだのに……」

「あなたに毎日そう言われ続けてきましたが、それも今日が最後になりそうですね……」


 どこか、女は寂しそうな表情を浮かべた。


「本当に……あの吸血鬼のせいだ……あいつが現れなかったら、ずっとあのままだったのに。何も知らないまま、幸せな最期を俺は迎えられたんだ……」

「しかし、魔女がこちらの世界からいなくなって、やっと争いはなくなりました。ノエルのお陰です」


 今でも彼女の記憶の中に鮮明に残っている。


「その言い分も聞き飽きた……この世のことなんかどうでもいい……」


 老人は一言一言いい終わるたびに、苦しそうに肩で息をした。


「あのいけ好かない吸血鬼と婚姻を結ぶだなんて……今でも思い出して腹が立つ」

「ノエルはあぁ言ってましたけど、気持ちはあなたにしか向いていなかったと思いますよ」

「……最後まで俺のものだった……今もそうだ」

「あなたの一生もノエルのものだと誓ったから、あなたは以前ノエルがつけていた首輪と手枷をずっと身に着けているのでしょう?」


 老人は首輪に手をかけた。生前、ノエルが服従の証として身に着けていたものだ。


「ノエルがいた時間は……俺が生きてきた中でほんの数年の短い時間だったのに……俺の一生……ゴホッ……ゴホッ……!」


 老人は言い終わる前に激しく咳込んだ。

 彼はノエルの心配している顔と、そして優しい手、暖かい身体を思い出した。

 咳き込む度に何度もノエルの姿を鮮明に思い出す。

 赤い髪も、瞳も。


 自分を呼ぶ声も。


「あぁ……お前は……これからどうするつもりなんだ……? シャーロット」


 白い服と白い髪の女性――――シャーロットは苦笑いをした。


「私は、このことを風化させないように、ここでずっと教え続けます。もう誰も争いで亡くなってほしくないですから」

「人間同士でも争うもんだ。異種族がいなくなったって、その矛先が同族に向くだけだ」


 50年前からずっと変わらない姿のシャーロットは、あと何年、何十年、何百年生きるのか老人には解らなかった。


 結局、魔女の心臓自体はノエルの物を使っても、それを行使する魔女がこちらの世界に一人残る必要があったようだ。

 その大義をノエルはシャーロットに一任していた。

 シャーロット自身は妹のアビゲイルと別れるのは辛かったが、それでもノエルの願いを聞き入れた。

 命を賭して守りたかった世界を、シャーロットは守ることにした。

 魔族はシャーロットが異界への入口を開け、異界に還されてから何の音沙汰もない。


 当然だ。

 あちら側からこちらにくることはできないようにノエルはした。リゾンが魔術を試しても、こちらへの世界を開くことは出来ないだろう。

 シャーロットはそれを知りながら何も言わずに別れた。


 ――もうあの白い龍も大人になっただろうか


 と老人は考える。

 どう言ってノエルが別れたのか解らないが、納得させて離れたわけではないだろう。色々なことをあの白い龍から話を聞いた。

 ノエルの知らなかった一面をいくつも聞いたときはすぐには飲み込めなかったのを思い出す。


 ――やけにいろいろなことを思い出すな……


 もう老人は視界が霞んできていた。

 静かに『死』の迎えの足音が聞こえてきており、老人自身もそれははっきりと感じた。


「……頼みがある……俺を……ノエルの隣に横たわらせてくれないか……」

「ええ……いいですよ」


 シャーロットはノエルのガラスケースを外した。

 中からむせる程の花の香りが漂う。

 老人は点滴もボンベも外し、シャーロットの肩を借りてその花の中のノエルの隣に寄り添うように横になった。

 まるで翼に抱かれるかのように。

 そして老人はその懐かしい肌の感触や匂いを感じていた。


 触れてみると死んでいるとは思えないような柔らかな肌をしている。

 冷たい感触が指に伝わると、やはり彼女は死んでいるのだとそれは告げる。

 生前から変わらないその美しい姿。

 老人はノエルと出逢った頃から別れのときまでのことを思い出していた。

 その声を、言い方を、肌の暖かさを老人は今でも鮮明に思い出せる。


 やっと長かった人生がこれで終わりだと思うと、涙が溢れ始める。


「……本当に……お前は自分勝手なことばっかり……俺のことなんてちっとも考えてねぇじゃねえかよ……ッノエル……」


 どんなに老人が後悔しても、ノエルはもう笑いかけることはない。

 悲しい顔もしないし、困った顔もしない、泣いたりもしない、共に時間を過ごすこともない。

 あのとき彼らの時間は、完全に別れてしまった。

 もっと大事にしてやればよかったと後悔が募る。


 老人は心の中で懺悔した。


 ――それでも、俺のこと好きになってくれてありがとうな……


 こんなにも俺はノエルを傷つけていたのに、苦しませていたのに、それなのに文句の一つも言わずにずっと俺を気にかけてくれていた。

 本当の愛情を俺に注いでくれていた。

 俺がそれを感じ取れなかったように、ノエルも俺の気持ちを感じ取っていなかった。

 あんなに長い間一緒にいたのに。

 俺たちは何一つお互いのことを知らなかった。


 もっと話をすればよかった。

 何の話でもいい。

 どんな話でもいい。

 喧嘩になってもいいから、もっと俺に自分の気持ちを伝えてくれた良かったのに。


 ――離れてから、やっとお互いの気持ちが解るなんてな……


 後悔がとめどなくこぼれてくる。

 後悔の海へと溺れてしまいそうになる。息ができなくなるくらい老人は泣いた。

 ノエルが泣いていた分も全部その時間を埋めるように。

 自分が褒めたから切らないと言った赤い髪が、淡い光を浴びて赤く輝いている。


 ――お前は最期まで、俺が好きだと言った赤い髪を切らなかったんだな……


 白い翼に抱かれながら、老人の意識はそこで途絶えた。




 ◆◆◆




 ひたすらに黒が広がっている空間だ。

 自分の身体もあるのかないのか解らない。息苦しさや、動きづらさのようなものがないのを考えると、今までの感覚とは全く違った。

 だが、行くべき方向だけは解った。

 自分と何かを繋ぐものがあり、その繋がっているものを辿るように俺はその方向へ向かう。


 俺は引き寄せられるように、一方向に進んでいく。すると、白い鳥のようなものがいた。

 膝を抱えるように俯き、自分の身体を六枚の翼で抱きかかえるようにしている。

 白い翼から長く赤い髪が垂れていた。

 その周りに、自分と繋がっている糸のようなものががんじがらめになっている。

 その変わらない姿を見て、俺は心の底から安堵した。


「おい」


 俺がそう呼ぶと、そいつはうつむいていた顔を上げて赤い瞳で俺の方を見た。

 自分の身体とそいつをつなぐ糸のようなものは、俺たちが互いを認識すると溶けるように消えていった。


「ずっと……待ってました……あなたがくるのを……」

「俺も、お前にずっと会いたいと思ってた。ノエル……死ぬその瞬間までな」


 自分が死んだという事は誰から説明されずとも、解っていた。

 俺はノエルの側に近づき、抱きしめるような形となる。

 ような、というのは自分の身体が知覚できない為に腕をまわしているのかどうかわからないからだ。

 しかし、確かに暖かさを感じる。


 ノエルの魂のようなものと触れ合うと、話すことも叶わなかった互いの時間は言葉を交わさずとも互いに理解した。

 どれだけノエルが苦しんでいたのか、あの世界を憂いていたのか解ると、なんともいえない苦しさを俺は感じた。


「ずっと、気づいてやれなくて悪かった」

「僕もごめんなさい。沢山つらい想いをさせてしまいました」

「…………お前の遺した世界は、上手くいってる。もう、何も心配すんな」

「はい……共にいきましょう」

「あぁ」


 ひたすらに暗い世界に一筋の光の道ができた。その光に導かれるように、俺たちは二人で再び歩みだす。

 二度と、どんな運命も俺たちを別つことなんてできない。


 絶対に――――――――




 ◆◆◆




 シャーロットはその老人の死を見届けて、誰も見ていないことを確認してから彼の身体に魔術をかけた。

 老人の身体はみるみる若返り、ノエルと死に分かれたあの日の姿、あのときのゼロの姿となる。

 そしてノエルに抱かれるように永遠の眠りについた彼を、そのままに硝子ケースを閉じた。

 彼の最期の望み通り、ノエルの傍らに寄り添うように。


「安らかに眠ってください。ノエル、ゼロ」


 シャーロットはもう誰もいない協会を出て行った。

 七色の光がノエルとゼロの柩にふりそそぐと、その木の柩につけられた金のプレートが眩く光る。

 二人の入っている硝子ケースの木でできた部分にこう刻まれていた。


【翼人と魔女の混血 最高位魔女 ノエル 罪名・罪状は『ゼロ』】 と。




 おわり



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