第45話 募る想いの告白
そこには僕と、ガーネットと、リゾン、シャーロットしかいない。
月夜に照らされた僕らは、薄いけれどはっきりした影を伸ばしている。
シャーロット以外の魔女たちは昼間の戦いだけでもう随分精神的に疲弊したようだった。クロエのあの憔悴ぶりを見て戦いが楽しいなどと思う者はいないだろう。
アナベルが生きていたら面白がったかもしれないが、僕も提案した当事者でありながら面白がることはできない。
――ガーネットは大丈夫だろうか……
僕は彼のことをじっと見つめる。
少し、リゾンと向き合う前に彼と話をしておいた。他愛もない話だ。
リゾンの魔術の対策は何か考えているのかとか、この辺りの地形はどうだとか、体調はどうだとか、この辺りの動物には狂暴なものもいるからそれも気を付けるべきだとか。
子育てをしたことはないが、なんだか子供に対してあれこれ提案する親のような気持ちだった。
ガーネットもなんとも言えない様子で僕の話を聞いていた。
ガーネットにあれこれと言って心配している自分は、今までガーネットが僕に心配をしてくれていたことと同じなのだと気づき、申し訳ない気持ちになった。
普段それほど話をしない僕がガーネットに対して多弁になっていることに対してガーネットは不満そうな表情をしていた。
なんで懸命に世間話をしようとしていたのか、ガーネットは解っていたから不満そうな態度をとったのかもしれない。
「もしかしたら、自分が負けると思っているのではないか」という信頼のない考えが見え透いてしまっただろうか。
ガーネットが負けると思っている訳ではない。
ただ、絶対ということはないと僕は知っているから不安はぬぐえなかった。
――心配しすぎるのも、傷つけちゃったかな……
少し遠くから見ているが、ガーネットの方が険しい表情をしているのが解った。
僕が審判をしていざとなったら止めると豪語したものの、ガーネットの怪我の状態如何では助けることができない。
シャーロットは相手があの暴虐の限りを尽くしたリゾンが相手であるだけに緊張している様だ。僕らを何のためらいもなく殺そうとした張本人だ。緊張しない訳もない。
「お互いに、いい?」
音を魔術で遠くの2人に届ける。
「いつでもいい」
「無論だ」
始まってしまったら僕が助けに入った方が負けだ。
リゾンが大怪我をしたらシャーロットに治してもらう手はずだが、ガーネットが急所を外さないことにはリゾンが即死ということもあり得る。
リゾンは長い髪を僕のように括っていた。ガーネットも少し伸びた髪を紐で括っている。その装いに互いの本気の度合いが伝わってきた。
服もシャーロットが作った身体を動かしやすい服を着ている。白い何の特徴もない服だ。白い服にしたのは目視で出血箇所がすぐに確認できるからだ。
身体に合った服を着ている2人はやけに痩せているように見える。
「こんなことをして……いいのでしょうか」
「魔族は血気盛んなのが多いからね。あの2人は特に血気盛んなんでしょう」
「ノエルが殺し合いなどと言いだしたときも相当肝を冷やしましたよ」
「本気でやらないと意味がなかったからね。僕は今は少しすっきりしてるよ。クロエに対してね」
クロエも多少は気持ちの整理ができただろう。
ずっと隠していた後ろ暗い秘密を意図しない形で僕に暴露され、よほど追い詰められたはずだ。
「早く始めろ」
「はぁ…………じゃあ、いいね? 僕が合図したら始めてほしい」
互いに緊張感が走る。僕も合図をする機会を注意深く伺い、月明かりが一度雲に隠れ、そしてその光が射すその瞬間に僕は声をあげる。
「始め!」
合図したと同時にリゾンがガーネットに向かって一瞬で飛びかかる。早すぎて僕が瞬きをしている間にすぐに距離が縮まっている。
その速さにガーネットも追従するように動いている。一瞬でも動きを見失えば、リゾンの鋭い爪に切り裂かれて動きが鈍ることになるだろう。
リゾンがガーネットの首を狙うと、無駄のない動きで身体を後ろへ引き、ギリギリでそれをかわしている。
ガーネットがリゾンの腕を掴んで動きを止めようとするものの、リゾンも腕を掴ませない。
僕らは彼らの気が散らないように、僕らが話す会話が聞こえないように魔術で防御壁を作成した。
「ノエル……魔族とは本当は恐ろしいものなんですね……よく異界から帰還されました。あの様子を見ていると、本当にいつ殺されてもおかしくありません」
「あぁ……リゾンに一度捕まったときはいろんなことが終わったかと思った……」
「しかし、あのときのあなたは死をも受け入れるという姿勢でした」
「そうだね。あまりにもショックなことがあった後だったから、投げやりになってた部分は否定できない」
「ガーネットがいたから踏みとどまったのではないですか?」
「まぁね……」
リゾンとガーネットの両者はお互いに一度距離をとった。
目を凝らさないと解らないが、服に細かい切れ目が入っていて互いの攻撃が間一髪でよけられていることを示している。
何より僕の身体で痛みを感じていないということは、その斬撃は当たっていないということだ。
互いに何か話している様だったが、なんと言っているのかまでは解らない。しかし、その会話の直後に闘いに変化があった。
リゾンが砂に魔術をかけると、砂が渦を巻いて動き出す。
今まで鎖を操る程度の魔術しか見ていなかったが、周囲の操っている砂の量は尋常ではない。ガーネットはその動いている砂の範囲外へと移動する。
「あれはなんていう魔術系統なんだろうか……」
「物を動かすことに特化した魔術でしょうか。無機物を操る魔術……?」
「それは恐ろしい魔術だな……重力魔術みたいなものでしょう? 使いようによっては例えば人体にそのまま使えば血液中の鉄分を移動させることで人体そのものに影響を与えることもできる」
「しかし……そこまで精密に動かすのはかなりの魔術熟練が必要です」
「あるいは違うのかな」
僕らが話している間にリゾンはその砂の波をガーネットに放った。
まるで津波のようにそれがガーネットへと向かう。ガーネットはそれを器用にその砂を足場にしてのみ込まれないように跳ぶ。
それを見越したようにリゾンは更に高い波を放っていた。第二波は避け切ることができずに飲み込まれるガーネットの姿が見えた。
砂の中に岩でも混じっていたのか、僕の身体のあちこちが切れて痛み出し、僕の服に血がにじむ。
「ノエル……! 止めましょう……魔術を使える者とそうでない者とでは力の差がありすぎます!」
「今更だね……大丈夫。少し血は出たけど、ガーネットはまだまだだよ」
僕は右手の甲に痛みを感じていた。それは切り傷によるものではない。
波が収まり、砂煙が収まると膝をついたのはリゾンの方だ。目の前にガーネットが立っている。
「殴った時の痛みも伝わってくるからなぁ……」
手を確認すると、赤くなっている。リゾンの腹部を思い切り殴った際に赤くなったのだろう。
「どうやって抜けたのでしょうか。私には見えませんでした」
「……身のこなしはなんとなくわかる」
呑気に僕らが話している間に、ガーネットはリゾンの腕を再び折るべく素早く後ろへ回り込んだ。そして右腕を折る。
叫び声などは聞こえないが、恐らくうめき声程度は漏らしているだろう。
リゾンの腕を折るのはこれで2回目だ。幼い頃のことは解らないが、相手を無力化するような体術を知っている。
「ガーネットが味方で良かったよ……」
「そうですね……魔女を皆殺しにすると、会った当初は言っていたそうですね」
「そうだよ。どうなるかと思った」
「よく契約する気になりましたね……急を要したと言えど……何か打算があったのですか?」
「ううん……別に何もなかった。魔女を恨んだまま死んでほしくないって思っただけ」
「でも……話を聞いていて腑に落ちないことがあります」
「何?」
「あなたは大切に思っている人間の方を誰よりも優先する性格のように思いますが? 冷静な判断をするのなら見殺しにして適当に埋葬するという方が良かったのではないですか?」
「んー……見捨てるのは簡単なんだけど……なんていうのかな、うまく説明できないけど。傷だらけのガーネットの姿を見て、自分の姿と重なってさ……」
リゾンのもう片方の腕を折ろうとするが、ガーネットは再びリゾンから距離をとった。
まだリゾンは魔術を使える様子だ。
「ガーネットの分が悪いですね」
「魔術を使えると言っても魔女程は使えていない。それにここには身を縛るような鎖もないし……」
砂は形を替え、今度は大雑把な砂の波ではなく剣のような形へと変化する。
「武器か……剣術が得意なのかな」
「呑気なことを言っている場合ではないですよ! ガーネットが押され気味じゃないですか」
リゾンの剣は自在に変形し、剣になっていたかと思えば棒のようになったり、鎌になったり様々に器用に変形する。
それに対応するのが少し遅れるだけで僕の身体には少し深い切り傷がつく。
「いったぁ……」
強い痛みを感じ、その後に僕の身体から出血して皮膚に血が伝う感覚がしても、僕は膝をついたり痛がったりする素振りはしなかった。
やはり思っていたよりも痛みがキツイと思った僕は苦笑いになってしまう。
「あんなもので首を撥ねられたら……死んでしまいますよ!?」
事あるごとに焦るシャーロットに向かって、僕は落ち着いて返事を返す。
「まだ大丈夫だよ」
「ノエル……どちらかが死ぬまで続けるつもりじゃないですよね……? 見えているんですよね?」
シャーロットは心配そうに僕を見てくる。
しかし、僕は気づいていた。それ以上に心配そうに僕を確認しているのはガーネットの方だ。
「シャーロット、落ち着いて」
「しかし……」
「僕が平気そうな顔してないと、ガーネットが集中して戦えないじゃない」
そう言われたシャーロットはハッとした表情をしてそれ以上の抗議はしてこなかった。
シャーロットが真剣にそう訴えてくる気持ちも解るし、危険性も解ってる。それでも、僕がガーネットの足手まといになってしまうのは本意ではない。
闘って散るのならそれも悪くないなどと悲観的に考えている訳ではない。
しかし、2人の真剣勝負に僕が水を差したくなかった。
「とはいえ、結構痛いな」
少しシャーロットの方を見た瞬間、脚に痛みを感じた。切られた痛みではなく、足払いをされた痛みだった。
ガーネットが体勢を崩し、それに乗じてリゾンは思い切り棒状の砂をガーネットの腹部に突き立てる。貫通こそはしないものの、強い打撃となってあばら骨がミシミシと音を立てたのが解った。
「がはっ……」
「ノエル!」
僕が前かがみになったとき、自分の赤い髪で2人の姿が一瞬隠れた。一瞬の後、リゾンがもう一本の武器を振りかぶったのが見えた。
「止めてください! 槍に貫かれて死んでしまいます!」
そう叫んでいる間に、リゾンはガーネットに向かってその槍を突き刺していた。
シャーロットは思わず目を逸らしたが、僕は赤い髪ごしにでもしっかりと見えていた。
「勝負あったね……がはっ……ごほっごほっ……!」
「大変です、すぐにやめさせなければ……リゾンがガーネットを殺してしまいます……! すぐに治療を…………あれ? 出血していない……?」
「僕の方じゃなくて、あっちを見てごらんよ」
シャーロットが再びリゾンの方を見た後、間もなくしてリゾンは倒れていた。
しかし、そこにはガーネットの姿はない。
「な……何がおこったんですか……?」
「後で説明するから……リゾンを治してやって。あのままじゃ死んじゃうよ」
何が何だかわかっていないシャーロットは倒れているリゾンの方へかけよった。
指先をピクリとも動かさずにリゾンは倒れている。呼吸も止まりかけているように見えた。
「これは……」
「いったぁ……それが終わったら僕の方も頼むよ」
「待ってください。症状が解らないと治療できません」
「え? あぁ……リゾンは麻痺してるんだよ」
「麻痺? どうしてですか?」
「こっちにきて、ガーネット」
何を言っているのか全く分からないと言った様子でシャーロットは辺りを見回した。
すると、けして大きくはない一匹の蛇が目に入る。身体の一部が横に広くなっている黒い蛇だ。
その蛇を見てシャーロットは「きゃっ!」と短く悲鳴を上げたが、その蛇が僕の腕を登って行くのを見て何なのか漸く解ったようだ。
「変化の魔術ですか?」
「そう。ガーネットは魔術をちょっとは使えるんだよ」
話ながらもシャーロットはリゾンの身体へ治癒魔術をかけて治療を試みる。
ガーネットは蛇らしく舌をチロチロと出しながら、全く動けなくなっているリゾンを僕の肩の上から見据えていた。
「これはこの辺りに住んでる強い神経毒を保有してる蛇なの。一咬みで象も殺すと言われているすごい蛇なんだ」
「変化の魔術が使えるなんて知りませんでした」
「初めの頃はご主人様の目を欺くために猫になってもらったりしてたんだけど……そんな必要もなくなっちゃったしね」
「なるほど……魔術を全く使えないと思っていたリゾンの意表を突いたってことですね……」
ガーネットが着ていた服を自分の後ろに置いた。シャーロットにはガーネットの方へ向かないように指示をする。
「ガーネット元に戻って服着ていいよ」
僕がかがんで彼を降ろすと、僕の後ろへと蛇らしい動きで移動していった。
少しして蛇から吸血鬼の姿に戻ったガーネットは背中越しに服を纏いながら僕に声をかける。
「……怪我をさせてしまったな」
「それに気を取られすぎて危なかったんじゃない? 僕のことは気にしなくていいからって始める前に言ったのに」
背中越しにそう言うと、ガーネットは少し沈黙した。
「…………しかし、お前のおかげで勝てた」
「僕は何もしてないよ。少し蛇の話をしただけ」
試合前、僕はガーネットにこの辺り一帯の危険生物の話をした。この辺りには強い神経毒を持つ蛇がいるという話だ。
それ以上、何を言わずとも彼と僕は通じ合っていた。だからこそこの勝負に勝てたのだ。
そう話している最中に、リゾンは身体の麻痺がとけたようでゆっくりと身体を起こし始めた。しかし彼の思い通りには身体は動かないようで、何度も途中で脱力し崩れる。
「貴様……汚い手を……」
息が思うようにできないのかゼェゼェと息を懸命にしている様子だ。
「魔術を使ったのはお互い様でしょ?」
「こんな汚いやり方で勝って……私に勝ち誇るつもりか……?」
「汚いって……僕は手を出してないし。それに、ガーネットのこと本気で殺そうとしたでしょ? ガーネットは殺さないようにしてたのに」
「手心を加えたというのか……ふざけた真似を……」
リゾンはやはり動けないようで、そのまま倒れた。
意識はあるようだがまだ身体に毒が残っていて動けない様子だ。
「シャーロット、気絶させてくれないかな」
気絶する寸前まで、リゾンはこちらを鋭い目つきで睨んでいた。
◆◆◆
それから二晩が経った。
身体の回復ができた僕とガーネットは、リゾンを連れて再び異界に行こうと試みていた。
異界へ行くのは一晩経ったときでもよかったのだが、リゾンが納得してくれずに牢から出すことができなかった為に断念された。
確かに不意打ちのような形になってしまったので
――自分は魔術使ってたくせに……
そう思うが、リゾンは「卑怯だ」「姑息だ」などと言ってきかなかった。
リゾンは魔術まで使ったのに、ガーネットに対して勝てなかったということは、リゾンにとっては認めたくない事実なのだろう。
ということは、負けたということ自体は認識しているらしい。
なんで僕が罵倒されなければならないのかと思いながらも、それでもリゾンになんとか説得を続けた結果、再戦するということで話は収束に向かった。
「また今度、魔女との片がついたらガーネットとのことは自由にしてくれていいから」
「その時は容赦なくあの卑怯者とお前の首をむしり取ってやるからな」
「……その時は僕が受けて立つよ」
「お前の翼もむしり取ってやる」
「うん……覚悟しとくよ……」
ずっとこんな調子だった。
その怒っている姿は子供のようで、なだめるのが大変で時々心が折れそうになっていた。しかし、プライドが高いリゾンをなんとかなだめすかし、僕らは異界に行く準備を整える。
「リゾン、枷は一時的につけさせてもらうよ」
それに対し、リゾンは散々と僕に嫌味を言った。
僕が彼の言葉で心が折れそうになっているのを見て、少しずつ機嫌が戻りつつあったが、僕はリゾンの度重なる暴言に気分が落ち込んでいたためにその様子に気づかなかった。
リゾンには魔術および身体拘束の枷をつけ、渋々牢からだす。
機嫌が悪いときは何をされるか解らないため、僕はいつもの倍ほどに彼を警戒した。いつ首を掻き切られるか解ったものではない。
旅立つ用意ができて、僕は見送りに来てくれた魔女たちに向き直った。リゾンせいで大分表情に疲れはあるものの、精一杯の笑顔を向ける。
「行ってくるから、また少し待っていて。すぐに戻る予定だけど身体への負荷を考えて2日くらいはかかるかな」
「解りました。気を付けて」
「ノエル、本当に行くのか? 今度こそ帰ってこないなんてことねぇよな?」
「あぁ……大丈夫だよクロエ」
僕は異界へと続く魔術式に血液を垂らすと、魔術式が発動した。
「行こうか」
「ふん……」
相変わらず機嫌の悪そうなリゾンと、いつまでも悪態をついているリゾンに対してイライラしているガーネットと共に、僕は異界の扉へと脚を踏み入れた。
――はぁ……なんかすごい気まずいんだよね……
先は長くなりそうだと僕は覚悟した。
◆◆◆
【魔王御前】
「ほう。見事な治癒魔術だ」
魔王様はリゾンの腕が自在に動いていることに対して関心を示す。それに対してリゾンは全く面白くなさそうに早々に自分の部屋へと消えていってしまった。
「息子が世話になったな。いや、今も世話になっている。少し顔つきが変わったようだ」
「そうでしょうか……いつも通りに見えますが……」
「はっはっは、親にしかわからない微妙な違いがあるのだよ」
そういうものなのかなと僕は考えていた。子供が自分にいたらどんな感じなのだろうか。その成長に対して一喜一憂することになるのだろう。
そうしたら毎日気が気ではなさそうだ。
魔王様に言っては悪いが、自分の子供があんな風に素行不良になってしまったらどうしたらいいのか解らない。
「して、リゾンを届けに来てくれただけか?」
「いえ……」
ガーネットの方をチラと見ると、あまり気乗りしなそうな表情をしていた。こちらもリゾン同様にあまり機嫌が良さそうではない。
「ガーネット、言って」
「何故私が……」
素直になり切れない様子のガーネットに業を煮やして僕は彼の代わりに口を開いた。
「“死の見えざる手”を頂戴しに参りました」
「ほう……そういうことか」
魔王様は小鬼に合図すると、小鬼はすぐさま“死の見えざる手”を取りに部屋から出て行った。
「弟と向き合うことに決心がついたようだな」
「…………貴様には関係ない」
「関係ないことなどない。魔族は皆平等に気にかけている」
「ふん……」
「ノエルよ、解読の方は順調か?」
「リゾンの力添えもあり、七割程度は出来たかと思いますが……文献も何も手元にないもので、なかなか進まない状態です」
「リゾンが協力を? それは驚いた」
魔王様は本当に驚いている様子だった。
それはそうだ。僕も驚いている。
あの横暴でめちゃくちゃな性格を目の当たりにして、協力してくれたという事がまるで天変地異かのように感じた。
「協力する体裁をとりながら、ノエルに近づいて口説く口実にしただけだ」
ガーネットはぼやくようにそう言った。
「そうかもしれないけど……、ん? なんで知ってるの? あのときいなかったよね?」
「そ、それは……私のいる場所まで話し声が聞こえていただけだ。お前も恥ずかしげもなくあのようなことを! 少しは恥じらいを覚えろ」
「え……ーと……なんて言ってたっけ」
「覚えていないならもうよい!」
「はっはっは! 相変わらず仲が良いようだな」
「笑うな!」
魔王様が笑うと空気が大きく振動して部屋全体がビリビリと振動する。相変わらずの迫力だ。
そんなことを考えている間に小鬼がガラス製の入れ物に入っている“死の見えざる手”を持ってきた。
「持って行くがいい」
「はい、ありがとうございます」
僕は小鬼からその硝子の入れ物を受け取った。
その七色に燃える蝶を見るとセージのことを思い出した。
――セージ……もう少しだから……セージがいなくても、ちゃんと僕はやり遂げるから……
セージがいたら、この魔術式の解読も進むのかもしれないと考え、本当にセージが亡くなった事は魔族、ひいてはこの世界の多大な損失だと感じる。
蝶を見つめる僕をガーネットは黙って見ていた。
「今から行く?」
「いや……少し、休んでから行くとしよう」
流石にガーネットも疲れていたようだ。
「そう。では魔王様、お部屋をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「あぁ、勿論。構わないとも。小鬼に案内させよう」
小鬼が一匹誘導するように部屋から出て行くのを、僕らは魔王様に一礼して追いかけた。
相変わらず豪奢なつくりをしている割にはそこかしこが壊れていたり、血が飛び散っているのがそのままになっている。
その血を見て僕はガーネットに勝った時の報酬は何が良いのか聞いていないことを思い出した。
「そういえばガーネット、勝負に勝ったら何か欲しいものをって話だったけど、何か考えた?」
「……何故お前がほしいものを用意するのだ」
「えーと……リゾンと話していたなりいきなんだけど……リゾンはユニコーンの血がいいって言ってた」
「贅沢な奴だ」
どうやらユニコーンの血液と言うのは贅沢品らしい。
「そうだな……別にない」
「本当に何もないの?」
小鬼が立ち止まり、部屋の扉を開けてくれたので僕らはその中に入った。大きなベッドが2つと椅子、机と分厚いカーテンがついている部屋だ。
以前僕らが使っていた部屋とは少し違うが、大体は同じ構造をしている。
「まぁ……ゆっくり考えればいいよ」
僕はベッドに身体を投げ出した。空間移動の負荷が効いているのか、身体が重いと感じていた。
初めて来たときは緊張の連続だったのでそう堪えていないように思っていたが、やはり空間移動というのはとてつもない負荷がかかる。
「ところでさ……」
投げ出した身体を半分起こし、椅子に座っているガーネットの方へ向き直る。
「首のところの羽、いつまで僕に黙っておくつもりなの?」
そう口に出すと、ガーネットは目を見開いて咄嗟に自分の首の後ろを隠すように押さえた。
「隠せてると思った? 最初に眠っているときに激痛が走ったとき、ガーネットはおかしな誤魔化し方をしたの。『寝返ったときに岩で切ったのではないか?』って言ってたよね?」
「………………」
「随分冷静だった。あれだけ痛かったのに。普段だったら『もっと気をつけろ』って怒るところだったと思うんだけど? それに起きて眠ってたところを探っても尖った岩らしきものはなかったし」
ガーネットは黙ったまま目を逸らして何も言わない。
「次の日に契約についての話を突然したのも、その異常に気付いたからでしょう? 僕も牙ができてきたこととか、爪が鋭くなってきてるのは気づいてた」
「なら……なぜ黙っていた?」
「ガーネットが必死に隠そうとしてるからさ……知られたくない理由があったんでしょ?」
そう僕が口にすると、ガーネットはギリッと歯を噛みしめた。
「どんな理由か、教えてよ」
「そのようなこと…………」
「自分の身体に起きてる異変を隠す程、大切な理由なんでしょ?」
ガーネットは首の白い羽を押さえていた手をだらりと力なく降ろした。言いづらそうにしていたが、それでも彼は小さな声で言葉を紡ぐ。
「お前のせいだ……」
彼の言葉に、僕は胸が痛んだ。
契約をしてしまって、彼を縛り付けたのは僕だ。
そう考えると、否定する言葉は何も出てこない。
「……そうだね」
僕が帰る言葉が見つからず、そうつぶやくとガーネットは険しい表情で僕を睨んだ。
「違う……! お前は解っていない!」
彼は立ち上がったと思ったら、僕の方へ近づいてきて起こしている上半身を無理やり押し倒した。
突然のことに僕は面食らって何もできなかった。
そのままガーネットは僕に馬乗りになって、僕の肩を押さえる手を震わせる。
「ガーネット……?」
「まだ解らないのか……それともとぼけているだけか? 妙に鋭いお前が、気づかないわけがない」
「いっ……そんなに力を入れたら痛いよ……」
「あぁ……お前の痛みは手に取るようにわかる。それにも関わらず、お前は私のことは全くわかっていないようだな? いつもあの人間のことばかりで、私のことなど気にかけていないのだろう!?」
抵抗しようにも、腕をしっかりと掴まれて身動きが取れない。
「何言ってるの……いつもガーネットのことを気にかけてるよ」
「嘘をつくな。お前は……お前は……契約を破棄することができたら私の元から……去るのだろう?」
まるで泣きそうな声で、縋るようにそう問われる。
ガーネットの表情は、いつもとは異なる険しい表情になっていた。憂いを帯びた表情だ。
「私は……“好き”なんて解りたくなかった……」
彼はいつもそうするように下唇を強く噛む。彼が悔しいときにする仕草だ。
「私は……お前が“好き”だ……ノエル」
ガーネットの激しい感情は堰を切ったようにあふれ出し、止められなくなっていた。
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