第1章 人間と魔女と魔族
第1話 魔女の奴隷と人間のご主人様
ジャラ……………
寝返りをうったときに、僕は首輪についている鎖の音で目が覚めた。
いつもの冷たく硬い感触だ。
夜中にまた目が覚めてしまった。よく悪夢を見てはこうして夜中に目が覚めてしまう。
また両親が殺される夢。
嫌な汗で身体が少し汗ばんでいるのが解る。
僕の長く赤い髪が汗で皮膚にはりつき、その感覚が腕や首から伝わってきて不愉快だった。
硬い石でできた床に薄い敷き毛布を敷いただけの、到底人間の寝床と呼ぶには無理がある場所に僕は眠っていた。
僕にとってはこの冷たい床は当たり前の日常だ。
悪夢から覚めて上半身を起こし、荒くなっていた息を整え耳を澄ますと、隣の立派なベッドの上から寝息が聞こえてきて僕は安心した。
暗闇の中、僕は彼を見つめる。
「ゴホッ……ゴホッ……」
安らかな寝息を遮るように、彼は咳き込む。
僕は彼――――ご主人様の背中を摩るべきかどうか考えたが、そうしなかった。数分経つと、再び安らかな寝息が聞こえてきた。
身体の弱いご主人様に、何もしてあげられないもどかしさに胸が痛くなる。
僕は、この世で最も高位の『魔女』なのに。
◆◆◆
よく眠れないまま、朝になった。
僕がご主人様のベッドのすぐ横の床で寝ているのは、ベッドが狭いからとか、ベッドを買い与えてもらえないからとか、そんな理由ではない。
僕が彼の奴隷だからだ。
僕が夢と現実の境目をさ迷っていると、彼が僕の後頭部を軽く蹴る衝撃で目を覚ました。
「おい……いつまで寝てるんだ。さっさと起きろ」
ご主人様の起きたばかりの不機嫌そうな声が聞こえ、夢と現実の狭間を行き来していた僕ははっきりと目を覚ます。
彼は少し寝癖のついている肩まである銀色の髪に、鋭い目つき。身体はどちらかというと細く、力ない印象を受ける。
それは僕がよく知っているいつも通りのご主人様だ。
「ごめんなさい、ご主人様。朝食は何がよろしいですか?」
「……俺の飯なんか作っていたら、お前が仕事に遅れるぞ」
「時間……」
僕は外を見ながら太ももの方まである、赤く長い髪を軽く整えた。
時間は……大体の日の向きを見て把握した。確かに仕事に行く時間は押し気味だ。
家は石造りで、飾り気のない内装に最低限の家財が揃っているだけ。
ご主人様の部屋は北側にあるから日は入ってこない。
「ごめんなさい、保管庫に昨日買ってきた物があるので、そちらを召し上がってください」
「あぁ……ゴホッ……ゴホッ……」
仕事に行かないといけないのに、僕は後ろ髪を引かれる思いで咳をする彼の背中を摩る。
「いい。早く行け」
目を合わせないご主人様。
僕は知っている。具合が悪いといつもご主人様は目を背ける。
心配で仕事に行きたくない。なんて言ったらきっと怒るということも僕は解っていた。
「はい……ご主人様。行ってきます」
僕は余計なことは言わずに仕事に向かった。
◆◆◆
「最近、魔女を見かけないわね。ここ数年、何をしているのか解らないよ。不気味で……」
「そうだなぁ……この辺りは外交もないし、土地は貧しいから魔女がこないだけ……なんて都合のいいこともないだろうし。どうして魔女は最近訪問してこないのかな」
「魔女が来たら……私たちは終わりよ……皆殺しにされる……」
「……僕も怖いけど、それでも生き続けていくしかないよ。不安が強いようだね。不安を和らげる薬を出しておくから」
「ありがとう先生」
先生と呼ばれた肥満気味の穏やかな顔をしている男性は、ニコリと不安そうにしている初老の女性に対して笑いかけた。この町の唯一の医師、カルロス医師。この町ではどんな病もカルロス医師が診ている。内臓病、外傷、精神病、全て彼が診ているが、そうも手広く診ていると行き届かないところもある。
しかし、カルロス医師は毎日必死に勉強し、それらの不足を補い続けている立派な人だ。
「あ、ノエルちゃんこれを保管庫によろしくね」
「はい」
僕が働いているのは、カルロス医師の医院だ。
ご主人様の病の治療が少しでもできたらと、薬学の勉強をしたり先生の手伝いをしたりしている。
治癒魔術を使えない僕は薬学に頼るしかなかった。
それに……
――魔女だということを知られるわけにはいかない
渡された薬品を薄暗い保管庫に戻して、先生のところに戻っているときに患者同士の会話が聞こえてきた。
「ここの先生、腕はいいけど……あんな子雇っているなんて」
「あそこの外れの方にある家の男と住んでいる赤い眼と髪の女の子だろ? あんな男と一緒に暮らしているなんて……どうかしている。それに、どこのなんなのかわかりゃしない」
町のはずれにある家の男とは、ご主人様のことだ。
――……大丈夫。いつものこと……
でも、悪く言われるのは僕だけであってほしい。ご主人様のことは悪く言わないでほしい。
いつもそう思いながらも、僕は言葉を飲み込んで俯く。俯くと僕の長く赤い鮮やかな髪が前に垂れてくる。
まもなくして、患者さんたちは帰っていった。今日はもう診療は終わりだ。
夕刻が太陽を殺し、夜のとばりが下りる頃。
「あぁ、ノエルちゃん。今日はもう帰っていいよ。これ、ご褒美だよ。最近頑張っているからね」
そう言って先生は一着の服を渡してきた。
綺麗な赤い色に着色されたワンピース。膝くらいの丈のものだ。材質についてもかなりの上等なもののように思う。詳しいことは分からないが、こんな上等な服は例外なく高価な値段で町で売られていることを僕は知っていた。
そんな高価なものを渡され、僕は戸惑う。
「え、服……? いいのですか?」
服に特に頓着がない僕は、その赤いワンピースを大きく目を見開いてよく見た。
僕の髪よりも少し暗い色の赤。葡萄の色とでも言うのだろうか。
「いいよいいよ。ノエルちゃん、着る服がないんじゃないかって思ってね。いつも……その……彼のお下がりの奴隷服を着ているから」
僕は大体いつも同じ服を着ている。衣服は二枚しか持っていなかった。別に必要もなかった。これはご主人様にもらった奴隷の服。彼が以前着ていた服だ。
この町がまだ、魔女に支配されていた頃はこの町の人間は全員奴隷であり、奴隷の服を着ていた。
だからこの服を着ているという、屈辱的な意味を町の人間は身に染みて解っているのだろう。僕が忌み嫌われるのはこの服を着ているからなのだろうとは理解しているが、僕はこの隷属衣で十分だと思っていた。僕は彼の奴隷なのだから、隷属衣を着ていて当然だ。
「ごめんなさい。その、気を遣わせてしまって」
「差し出がましいようだけど、今度着てきてくれないかな? きっと似合うよ」
先生は、ニッコリと僕に笑いかけた。
「あ……ありがとうございます。いつも本当に」
「……ノエルちゃん」
僕は先生を見た。ふくよかな優しげな先生。
僕は先生が好きだ。いつもこんな僕に優しくしてくれる。
でも……嫌いなところも勿論ある。
「彼の体調が優れないのは知っているが、君がそんなに尽くす必要があるのかい……?」
先生の困ったようなその言葉に、僕はいたたまれない気持ちになる。
そんなこと、誰にも立ち入ってほしくない。
僕とご主人様の関係は誰も量れないのに。
僕の触れられたくないところに、ずけずけと入ってくるその姿勢。
あなたには関係のないことなのに。
僕とあの人の関係性も、何も知らないのに。
「……やっぱり、僕がここにいると、先生に迷惑をかけちゃいますかね……?」
そういう意味で言っているのだろうか。それとも、別の何か意図があるのだろうか、それは分からないがそう返事するしかなかった。
僕はうつむき気味で、先生に渡された服を握りしめる。
先生は慌てたように困惑を露わにし、弁明を始めた。
「そうじゃない。君のことを心配しているんだ。最初に君を雇ったときは、どんな子なんだろうと思っていたが……聡明で薬学にも熱心だし。仕事もしっかりしてくれているいい子だと思ったんだ。だからこそ――――」
――もう、聞きたくない。そんな建前なんて
僕は精一杯、苛立ちも悲しみも苦しみも全て隠して、笑った。
「大丈夫ですよ、先生。僕は好きで彼のところにいるのですから」
大丈夫だろうか。
僕はちゃんと笑えているのだろうか。
少し困ったような、恐れているような顔をした先生を見て、僕はそう思った。
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