第18話「撃て!」

 ついに砲撃が始まった。ところが当時の鉄砲や大砲は、すべて滑腔砲なので、的中率は悪い。砲身内に ライフリング (旋条)が無い砲で照準器もないから、命中率はゼロ%に近いなんて笑える話だ。砲弾は撃ってみなければ何処に飛んで行くのか分からないという代物だった。


 それでもスペインとポルトガルの帆走軍船からの艦砲射撃は、相当な威力を持つものであり、日本にはこれに堪えうる要塞も砲もなかった。日本における野砲の類はまだ極めて貧弱であったのだ。なにしろ黒船四隻の来航から二四〇年以上もさかのぼった時代なのだから無理もない。


 そしてこの長崎の港でも、ガレオン艦四隻で合計数百発の砲弾が撃たれたりしたら、やはり被害は出る。しかし、すでに住民は皆逃げてしまった後なので、建物が破壊されただけではあった。



 翌日スペインとポルトガルの兵が上陸して来た。数は一五〇〇から二〇〇〇くらいだとの報告があった。豊臣軍が来るまでにはまだ間がある。最前線の清正軍は少しづつ後退して、様子を見るという姿勢を徹底していた。


 上陸した敵軍の兵士らによる略奪はすぐ始まった。だが、さすがに金持ちの市民は金目の物を持って逃げたのだろう。めぼしいものが無いし、生け捕る女子供も居ない。それが分かると敵軍はすぐに他の獲物を目指し移動を開始した。


 やがて熊本の隣からは小西行長軍や、九州南端の薩摩から島津忠恒殿が到着、迎撃軍は総勢三〇〇〇ほどとなる。ちなみに行長自身は、豊臣軍と共に大阪より来ることになっている。


 豊臣軍はまだ到着していないが、迎撃軍の総指揮をお願いしたいと清正殿から頼まれる事となった。


 軍議では、敵艦船に海上からの攻撃が出来なかとの案も出されたのだが、何しろ船舶の能力は敵軍が圧倒的に優勢であった。


 スペインのガレオン艦は複数のマストを持ち、操艦の技術により、ある程度風上にも進むことが可能である。これに対し、長崎港周辺の和船はマスト一本を有するのみで、櫓に依存していた。しかし狭い入り江内でなら、小回りの利く和船の方が有利ではないかという者もいた。


 だが洋上で敵艦隊を攻撃することは到底無理だと、採用されることは無かった。ただし陸上戦の場合はどうか。スペイン、ポルトガル兵に劣らず日本の兵も長期にわたる戦によって鍛えられ、精強であった。


 鉄砲の装備とその集団戦法は上陸してきた敵兵と互角に戦えるに相違ない。スペイン軍はフィリピンを征服したようなわけには到底ゆかないだろう。


 それに陸戦が長引くと、マカオ、マニラの基地から長途の航海を必要とする兵站の問題がある。兵や武器・弾薬を搬送したうえで長期間にわたる戦には途方もない経費を伴うだろから、彼らがどこまで本気で日本と戦う気があるのかが試される一戦でもあった。



 信長が建造した大型の木造鉄装船は一五七八年。その二〇年後に建造された朱印船は長さ三六m、横幅九mであり、他にもほぼ同規模のスペイン軍船に匹敵する船が建造されて、それが大砲三門によって武装されていたという。


 ただそれが外国の軍船に対して、そく使えるレベルにあったのかどうかは分からない。



「トキ」


「はい」


「太郎兵衛は逃げて無事なんだろうな?」


「無事です」


「では、これからはイギリスの商船との取引を増やすように言ってくれないか」


 この時代スペインの無敵艦隊がイギリスに敗北するなどして、世界の覇権はスペインやポルトガルからイギリスに移りつつあった。これから手を結ぶならイギリスではないか。

 できればイギリス政府か軍の要人とのつながりが欲しいところだ。



 長崎の港町を襲った敵は、内陸に向かい進軍を始めたとの情報に、豊臣軍の到着を待たずに、おれは迎撃を決意する。


 内陸の町はまだ住民が避難していない。このまま進軍させるわけにはいかないのだ。


 幸村の手の者らの情報から、敵の侵入ルートは予想が付いた。先回りをして鉄砲隊を置く。その数は清正隊、行長隊、忠恒隊の総勢二〇〇〇弱で、残り鉄砲隊以外の一〇〇〇は五〇〇づつ左右の丘に伏せさせている。


 敵側に騎馬隊は居ないから、馬よけの柵などは必要ない。鉄砲隊が二列に並び準備を整える。戦国の世を生き抜き、もう鉄砲の威力は皆骨身にしみついている。二段構えの銃による威力もだ。


 火縄銃は慣れてくれば速射で、一分間に二から三発は撃てるという。戦争は競技や見世物ではないのだから、作法やきめ細かな手順などは度外視してかまわない。敵よりも出来るだけ早く、どれだけ多くの弾丸を発射するかが問われる。


 ただし当時の銃は距離があったら千発に一発の命中すら期待できないという、情けないものであった。だからこそ一度に連発する必要がある。散弾銃と思えばいい。狩猟などでは、飛び散った小さな弾の一発でも当たれが鹿は死ぬ。


 二〇〇〇挺近い鉄砲が五分間に発射する弾丸は、約二五〇〇〇発になる計算だ。ここでさらにしつっこく計算すれば、千発に一発も当たらないのなら、一万発に一発なら当たるだろう。二五〇〇〇発なら二から三発は当たることになる。当時の火縄銃は口径が大きかったようなので、身体のどこかに命中すれば相当なダメージだろう。


 しかしこの戦ではそれ以上に期待している事が有った。実はこの少し前に仁吉より連絡が有り、何とか新しい火縄銃が出来たと言って来たのだった。


 話を聞いてみると、どうしても銃身の内側に理想の溝を削る事は出来ないと絶望しかけた時だった。仁吉はコペルニクス的発想の転換をしたのだ。筒の内側を削るのではなく、最初から溝のある筒を造ってしまったらいいではないかと。


 まず銃身の内径となる太さの鉄棒に筒の内側とは逆の溝を掘る。あるいはまだ熱いうちに溝を打つ。筒の中を削るのと違い、外側を細工するのは容易だ。次の行程で、その鉄棒に焼けた鉄棒を隙間なく巻き付け、打って鍛錬しながら銃身の形に仕上げ冷ます。後は溝を壊さないように、芯となった鉄棒を慎重に回転させながら叩いて抜き取る。そして仕上げに溝を研磨すれば、ライフリングを施した銃身の出来上がりだ。


「そうか、出来たか!」


「お殿様に満足して頂けるかどうかまだ分かりませんが……」


 仁吉が遠慮がちに出してきた火縄銃を試射してみる事にした。

 その銃には他にも様々な工夫が施されていたのだが、実戦で使えるかどうか、試射だけではまだ分からない物だった。それでも試しに二〇〇丁ほど造らせてみた。

 そして今回の戦に、その銃は幸長の鉄砲隊として参加させているのだ。




 やがて敵の姿が林の間から現れて来た。


「合図をするまでは撃つなよ」


 敵を十分引き付けるのだ。

 だが待つまでもなかった。敵はずんずんとためらわずに進軍して来る。まったくこちらを恐れている風には見えない。


 隊列を組むでもなく、それぞれが勝手に歩いてくる。まるで散歩ではないか。そして鉄砲の射程距離に入ると、やっと止まった。


 敵の銃はマスケットで、日本側にも銃があることは分かっているはずだが、銃撃戦はこれが初めてだ。フィリピンやその他のアジアの国を攻撃した際は、スペインやポルトガル軍はマスケットで圧勝したのだろう。ここでもさっさと片付けようぜ、といった感じがありありなのだ。


 マスケットを悠々と構え、兵士それぞれが勝手に撃ち始めるではないか。中には笑っている者もいる。


「撃て!」


 おれの声が響くと、一度に六〇〇発を超える銃弾が発射された。


 一番隊は片膝をついた者と、すぐ後ろに立った者が二列に並んで射撃。撃ち終わるとその場で弾の装填を始める。すると後ろに控えていた二番隊が、一番隊のすぐ前に出て同じように射撃。次は三番隊と、少しづつ前進して行く。


 混成部隊ではあったが、既に多くの戦を経験して皆このような連射にも慣れている。


「二番隊撃ち方用意、撃て!」


 再び六〇〇発の銃弾が敵に浴びせられる。どちらの側も一人二人と倒れる者が居る。敵はマスケットに次の弾を装填し始めているのだが、ほとんどの敵兵はまだ装填を終わってない。


「三番隊用意、撃て!」


 さらに六〇〇発だ。

 敵はやっと装填を終わり、撃ち返してくる。


 だが、日本の鉄砲隊の銃撃は終わらない。

 ここでついに仁吉の銃を構える幸長・四番隊の出番となった。


「四番隊、撃て!」


 数は二〇〇丁ではあるが、その新式銃から轟音が響くと、敵兵がバタバタと倒れるではないか。大変な威力を発揮したのだった。


 さらに銃撃は続く、


「一番隊、撃て!」


 白煙が周囲を厚く覆い、敵の兵士に動揺が見られ始めた。

 日本勢からの銃弾の雨が一向に止まない中で、必死に弾を装填している。


「二番隊、撃て!」


 敵兵の中には、ついに地面に伏してしまう者が現れた。だが先込めのマスケットに弾を装填するには、鉄砲を立てた状態でやらなければならない。地面に伏した状態では非常に困難なのだ。


 敵は次第に反撃出来なくなってしまった。なのに日本の鉄砲隊は徐々に前進しているので、次第に的中率が上がってくる。銃弾による被害はまだそれほどでもないが、このままではまずいと気づいただろう指揮官が撤退を指示した。


「いまだ、掛かれ!」


 おれは全軍に突撃を命令した。

 左右の丘からも待機していた兵士が駆け下りて来る。遂にスペインとポルトガルの連合軍将兵は、クモの子を散らすように逃げ始めた。


 後は追撃される側からの銃撃は全く無かった。逃げながらマスケットを操作する事など不可能だからだ。

 この追撃で鎧を身に着けている敵兵は、首を狙われ切られた。


 スペインとポルトガルの軍船は長崎港を離れ、帰って行った。


 翌年、日本との交渉再開を求める使者を乗せ、ポルトガル軍艦二隻が再び長崎に来港したが、臨戦体制を敷いた日本勢は使者の受け入れを拒否した。

 その後、スペインやポルトガルと日本との関係は、次第に離れていくことになる。


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