第13話 ラホール城制圧
インドにおける火縄銃は、一六世紀前半にムガール帝国の創始者であるバーブルによって取り入れられている。インド周辺でムガールは、鉄砲先進国として無敵の存在だった。オスマン帝国の機関銃に遭遇するまでは。
ラホール城はラービー川の東に位置しているが、上流に行けば大軍でも渡れる事が分かり、川を渡って布陣する。
夜が明けると大規模な戦闘が始まった。
ムガール軍は鉄砲隊が先の戦闘で半数近くになってしまっている。今度は騎馬軍団が前面に出て来ると、怒濤のような猛攻を行い、オスマン帝国軍の右翼を突き崩すほどだった。オスマンの反撃を許さず、速攻で攻撃しようとしている。
果敢に突撃を繰り返すムガールの騎兵に対し、ムラト四世は自軍の右翼と左翼の端に別動隊を配備し、敵軍を背後から攻撃させて撹乱する作戦に出た。
しかし戦局はその成果を待つまでもなかった。鎖でつないだ大砲を軍勢の中央に配置したオスマン軍の火器が攻撃を開始すると、敵騎兵をことごとくうち倒してしまう。右翼も救援に回ったイェニチェリ鉄砲隊によって形勢が逆転し、ムガール軍は善戦する左翼を失って総崩れとなった。結果、アウラングゼーブはかろうじて戦場から離脱。さらにオスマンは進軍が早く、ムガール側はラホール城も放棄するほどの惨敗となった。
「はっはっ、ヤスべ」
「はっ」
「ムガールどもは口程にもないぞ」
「はい」
「どうだ、この機関銃の威力は!」
「…………」
安兵衛はこれまで剣の道に生きて来た。それはあくまで対等な条件の下で戦う世界だった。
だが、今ここで行われている戦いはどうだろう。火縄銃しか知らない者に、機関銃で応戦する。刀を構える相手なのに、いきなり銃を撃ち、高笑いをしているようなものではないか。
安兵衛はなんとも言えないものを感じていた。
ムラト四世は二日間の略奪を許し、またラホール城内で採用されていた料理人をそのまま用い、勝利の宴を開いた。だが料理に毒を盛られる。幸い口にした毒が少量だったために命に別状は無かったが、毒殺の計画に加担した者達は皆、残忍な方法で処刑された。
しかしラホール城を制圧した後も、周辺の勢力はムラト四世に服属する姿勢を見せず、戦闘はさらに続いた。遠征は長期化してくるし、インドの気候に合わない者も出て来る。疲弊した将兵達はイスタンブールへの一時帰還を望み始める。
アレクサンドロス大王の東方遠征は、エジプトにも行ってインドに入った時点で引き返すのだが、その期間は七年にも及ぶ。
オスマン軍の東方侵攻も、すでにコンスタンチノープルを出てから何度か年が変わっている。直線でさえ五千キロ近い距離を戦いながら進軍しているのだ。五千キロと言えば九州から北海道までを三倍するほどの距離になる。途中のオスマンに従わない都市を攻略しながらなのである。
オスマン帝国軍は当初目的としていた戦果を上げた。ムラト四世はさらにムガールの皇帝アウラングゼーブを追走し、その息の根を止めるつもりであった。しかし、補給の困難と遠征による将兵の疲れから、深追いをさけてついに一時帰還を決定する。
オスマン軍はラホール城包囲の際捕らえた、多くの女性や陶磁等の職人を自国へと連行する。もちろん見つかった宝石類の山も運ばれた。
ラホール城には臣下から選んだ行政官、さらに二千の騎馬兵とイエニチェリの一部隊を残した。
「ヤスべ」
「はい」
「日本では、機関銃でどのように戦っていたのだ?」
コンスタンチノープルへの帰還の途中、ムラト四世は機関銃の使い方に相当興味があるようで聞いて来た。
「私が日本に居た時代では、まだ機関銃は出来ておりませんでした」
「火縄銃か」
「はい」
安兵衛は火縄銃を並べて連射する様子や、敵の馬を止める杭を備える事などを話して聞かせた。ムラト四世は火縄銃を三段に並べて撃つ方式にうなずいていた。
機関銃はその火縄銃を連射出来るように工夫したものだ。あの方の話をヒントに、仁吉の考案した画期的な銃だった。
「ヤスべ」
「はい」
「では機関銃で互いに撃ち合う戦になったらどうなる?」
「…………」
ムラト四世はこの先何時までも、機関銃がオスマン軍の独占状態になっているとは考えていないようだ。いずれ敵も機関銃を手に入れるだろうと。
安兵衛は正直に答えた。
「その時は難しい戦になるでしょう」
「そうだな」
コンスタンチノープルに凱旋したオスマン軍は、市民から歓喜の声で迎えられた。
ムラト四世は将兵達に硬貨を支給して、暫くの休暇を与える事にした。
安兵衛の館は何度目かの冬を越して、花の匂いが満ちていた。懐かしい庭に出ると、ミネリマーフは侍女にそこで待つように言って、安兵衛と二人だけで歩き始めた。
「ミネリマーフさん……」
「ヤスべ様が帰っていらっしゃるのに合わせたように咲きました」
ミネリマーフはコンスタンチノープルで盛んに栽培され、この庭にも咲いているチューリップを指さす。そして組んでいる腕をずらすと、安兵衛の手首を見た。
「ずっとしていて下さったのですね」
「…………」
安兵衛の手首には、ミネリマーフから渡されたブレスレットがしてあった。
網を張ったようなメイトリックスと呼ばれる模様が出ている。この模様が表れた石は珍重されており、人気の高い宝石となっている。
安兵衛は思い切って言った。
「ミネリマーフさん、私は戦場でも貴方を思わぬ日は有りませんでした」
「…………」
ミネリマーフは微笑んで、安兵衛の胸に顔を埋めて来るのだった。
「殿」
「どうしましたか?」
幸村が深刻な顔で現れた。パインから少し話を聞いていたのだ。
「パイン様がいらっしゃいました……」
パインのもたらした報告は、ついにイングランドが機関銃の問い合わせをして来たというものだった。
ムガール帝国がオスマン軍の機関銃という火器に翻弄されている、という情報が、イングランド東インド会社を通じて本国にもたらされた。イングランドではすぐ、これは日本の新しい火器ではないかと疑ったようだ。何しろ新式火縄銃の先進性にはイングランドでも舌を巻いている。ひょっとするとサファヴィー朝ペルシャもその火器のせいで敗北したのではと。
「これは難しい問題ですね」
「…………」
イングランドと日本とは友好な交易国だ。すでに新式火縄銃は輸出しているし、機関銃も無下に断るわけにはいかない。だが今オスマン帝国はムガールと交戦中だ。そのムガール帝国にはむろん、イングランドに渡してしまうのも慎重に判断した方が良い。イングランドは日本と同じように、ムガール帝国とも交易している。どのようなルートでムガールに渡らないとも限らない。
「返事はなるべく引き伸ばす事にしましょう」
「分かりました、ではそのように致します」
幸いこの時代、イングランドと日本では通信手段が限られている。何か月も、いや一年以上掛かる事も少なくない。返事の引き伸ばしはいくらでも出来る。
パインからは佐助にも報告が有った。
「デザイン画?」
「はい、デザイン画です」
佐助は戸惑っていた。
日本から輸出された服は、縫製技術がヨーロッパに比べ劣る。それは明かだった。それに何処かヨーロッパの洋服と違いおかしいのだ。だからどんなに頑張っても、わんぴーすそのものを輸出するのは難しいだろう。だが佐助のデザイン画だけは、喉から手が出るほど欲しがっているというのだ。
パリでは「サスケ」というブランド名が、社交界の淑女だちの間で飛び交い、皆が新しいデザイン画を待ち望んでいると言って来た。
さらにパインが提示して来たデザイン画一枚の値段が信じられなかった。
「絵図一枚にそんな大金を払うと言うのですか!」
「そうです」
「…………」
パインのビジネスマンとしての才能が、パリで十二分に発揮された結果でもあった。デザイン画の一枚ごとに、ダイヤモンドにも匹敵するような値段が支払われるというのだった。
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