第10話 山田長政の死

「仁左衛門様がいらっしゃいました」

「お通ししなさい」


 パインのアユタヤ商館に、一人の髷を結った日本人が訪れて来た。

 男の名は仁左衛門(山田長政)。三千人ほどが暮らしていたアユタヤ日本人町の頭領で、また日本人傭兵隊長をも務める人物だ。


 当時、東南アジアは東西交易の中継地として栄えており、国際都市であったアユタヤには日本、ポルトガル、中国など多くの国の人々が暮らしていた。

 長政は日本人町に住まい、初代頭領の下で貿易の実務を学ぶと、商人としての才覚を発揮するようになった。その手腕で主導したシャムと日本との貿易は、アユタヤ王室に莫大な利益をもたらしていた。

 その一方、戦術家としても実力を発揮していく。

 十七世紀初頭、史実では徳川幕府がスペイン船の来航禁止を検討し始めていた頃、スペインの艦隊がシャムに攻め込んだ。水上警備に当たっていた長政の軍勢は、奇襲でこれに勝利している。

 スペイン艦隊の二度に渡るアユタヤ侵攻を斥けた功績で、アユタヤ朝の国王ソンタムの信任を得て、シャムの官位を授けられる。

 しかしソンタム王の死後、長政は政権の内部抗争に巻き込まれ、宮廷内で孤立している。パインはそれを理解していた。


「パイン殿」

「仁左衛門様、どうぞお座り下さい」


 仁左衛門は椅子に座ると、ため息をつき、話し出した。


「私はどうやら、地方の防御を名目に左遷されるようです」

「…………」


 この当時アユタヤの貿易をほぼ独占していたのは日本人勢力だ。だが対立関係にあった華僑の圧力が宮廷内に及び、そのせいか分からないが、長政は左遷されるのだった。


「私で出来る事があったら何でもおっしゃって下さい」

「有難う御座います」


 仁左衛門は自分に何かあった時は、「日本人村の者達をお願いします」と言った。パインと秀矩との関係を知っている仁左衛門は、パインは必ずや日本とシャムとの懸け橋になってくれると信じていたのだ。


 長政は亡き王への忠節を守り政敵への報復を誓ったが、長政の軍事力や統率力を恐れた何者かの手により毒殺されてしまう。戦闘中に脚を負傷し、傷口に毒入りの膏薬を塗られて死亡した。天性の知勇の故に疎まれたのか、非業の死を遂げたのだ。

 毒殺は政敵の密命によるものとされている。

 さらに長政の死と同じ年に、反乱の可能性があるとして、アユタヤ日本人町は焼き打ちされ住人は虐殺された。


「日本人を救うのだ」

「はい」


 パインは出来るだけの人数を動員して、命からがら逃げて来る日本人達を救い匿った。この時点では未だ日本の商館は出来ていなかった。





「パイン殿、日本人を救ってくれたお礼を申し上げます」


 大坂城の一室で二人は向かい合っている。秀矩はまずパインが、逃げて来た日本人を救ってくれた事に感謝した。

 次に、


「それでは日本の商館設立はすぐには無理ですし、その政治状況では、下手に動けば戦争になってしまうかもしれませんね」

「…………」

「ただ、日本人が大勢虐殺されたというのに、黙っているわけにもいかない。調査の使節を送りましょう」


 パインはこれがイングランドなら、すぐに軍を派遣するだろうと思ったが、黙っていた。だが、実は秀矩もそれは十分承知していたのだ。幸村に軍の派遣準備をしておくようにと指示を出していた。





「やはりそうか」

「はい」


 シャムに派遣した調査の使節は、門前払いされたと報告が来た。


「幸村殿、これは軍を出さざるを得ません」

「…………」


 戦国時代末期には日本は五十万丁以上の火縄銃を所持していたともいわれ、当時世界最大の銃保有国となっていた。さらに武士の数はその定義にもよるが、百万とも二百万人とも言われ、対してイギリスの騎士人口は三万人であったという。

 何処の国も戦乱が続けば兵士の数は減るはずだ。

 戦国時代の長く続いた日本で、武士がこれほど多く生き残ったのは何故か。

 それは敗戦の大将が一人犠牲になる、などといった事が有ったからではないか。大将が死ねばそれで終わる。中国などでは、負けた側の兵士が皆殺しにされる事は珍しくない。日本では首をとっても手柄にならない下級の武士や足軽など、見向きもされなかったのだ。


 日本は長い戦国時代にあったため、実戦で鍛えられた五十万もの即戦力を誇る軍隊を保有していたとも言える。

 だがこのシャムにおける戦は、かの土地を征服するのが目的ではない。大軍で押し寄せては事が面倒になる。極力少ない軍の派遣を秀矩は頭に描いていた。

 九鬼水軍は戦国の時代に九鬼氏に率いられていた。その長を航海長として、秀矩自らが出陣する旨を伝えた。

 秀矩の出陣を反対する声は大きかった。

 幸村などは、


「殿が行かれる事には断固反対致します」

「そう言わないで下さい。あの方も行ったではないですか」


 あのフリーターと言われる方は、九州の地での戦にも率先して出陣したのだ。


「しかし」

「危ないことはしません」

「戦場で危ないも何もないではありませんか」

「私はこの目でアジアを見てみたいのです。行きます」


 国内には太郎兵衛殿が居ると言って、譲らなかった。

 遠征には大砲を乗せた鉄張りの巨大鉄甲船を推す者も居たが、秀矩は否定した。


「長い外洋航海で、上部が重くなる鉄張りの船は危険です。それに今回の戦では海戦は考えられません」


 和船と買い取ったヨーロッパの交易船を使用することにした。









 佐助はパインに、ヨーロッパのふぁっしょんを教えて欲しいと頼んであった。

 だが教えられたその内容は、佐助にとってあまりにもかけ離れた服装だった。見当も付かず、何の参考にもならない感じであった。

 その内容とは、


「女性はコルセットで胴を締めあげ、籐などで出来た枠でスカートを大きく膨らませるなどして、非常に動きづらいものです。髪型や服はパリの流行を追っています。有力なサロンで人気のある女主人の言動に影響され、目まぐるしく変化しているのです。

 布地に関しては、インドから輸入された華やかなプリントの木綿布が流行で、まだシルクは入って来ていないようです。アンダースカートは下に穿いているものが覗くように重ねるか、レースで縁を付けています」


 パインはイングランドやパリで見られる最新の流行を、かなり正確に知らせて来てくれた。

 だが、佐助には何が何だか、さっぱり分からなかった。結菜さんの見せてくれた未来の服装とも、全く違っていたのだ。これではふぁっしょんを商品にするという考えも挫折してしまうかもしれない。

 しかしここで、佐助は懸命に考えた。未来でわんぴーすと呼ばれている服を作り、部屋着として、いや下着としてでもいいから、着てみてもらおうではないかと。その素材にはまだ輸入されていないというシルクと呼ばれる絹を使おう。

 パイン殿はシャムの伝統的な手織物である、シャムシルク独特の美しさに着目し、産業にしようと考えているという。だったらちょうどいいではないか。


「私はトキさんにも、すかーという着物を教えて頂きました」


 パインに佐助は思いを話してみた。

 ヨーロッパで流行っているというコルセットは、女性の胴を極限まで締め付け、胸と腰を大きく見せるという誠に不思議な風習と感じる。


「日本の帯も似たようなものですが、そこまで極端な事はしません。あくまで着物を留める為のものです」

「…………」


 くノ一であった佐助は、大阪城に住まうようになってからの着物など、窮屈で仕方が無かった。ところが結菜さんのしゃしんを見て、こんなに自由で開放的な服がうらやましいと感じた。


「着物の帯もお話のコルセットと同じで身体を締め付けるものです」

「…………」

「ヨーロッパもいずれ女性は、もっと自由に動けて、楽な服装を好むようになるはずです。今のヨーロッパで外着としては無理でも、室内着としてなら可能ではないでしょうか。絹で作れば下着としてもいいのです」


 コルセットもやがて廃れ、女性の服装はもっと楽に着れるものとなって行くに違いない。本来女性はそれを望んでいるはず、だから未来のしゃしんには、コルセットをした女性などなど写っていないのだ。

 この時すでに女性たちの間で佐助の立場は絶対であった。特に若い生徒たちからは憧れと尊敬のまなざしで見られ、それなのに気さくで親しみやすいアイドルのような存在となっていた。

 シルクをヨーロッパに輸出するという考えにパインは納得した。さらに佐助さんの言われるわんぴーすと言うものも一緒に輸出してみよう。

 パインはそう考え、すぐに決断実行した。

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