第3章

第1話 窓居圭太、榛原マサルの自宅で妹ミミコと出会う

ひとがひとを好きになるって、どういうことなのか、きみはわかっているかい?


ぼくは正直、よくわからない。


ぼくが中学生だったころは、クラスメート、あるいは他のクラスや後輩の女の子などにひと目惚れしてはすぐに告白していたものだが、その求愛はことごとく失敗に終わってしまった。


すべて「ごめんなさい」のひとことで、苦い思い出となってしまった。


それがぼくが「失恋王」という不名誉なあだ名を頂戴してしまったゆえんだが、それはさておき、当時のぼくにとっては、好きイコールひと目惚れにほかならなかったのだ。


相手を見て、一瞬でグッと来る。これが「好き」の本質だと信じて疑われなかったのだ。


あのころは。


だって、ひと目惚れではなく、時間をかけて相手の中身までよく知った上で相手を好きになる、そういうやりかたでは、自分が本来抱いている感情をねじ曲げて判断をすることになりはしないか?


そして、それは相手に対してもかえって不誠実にあたる態度ではないのか?


ひとにはそれぞれに長所や美質があり、そのおのおのを比較するべきではないとぼくは思っている。


言ってみれば、見るべきところもない、完全に零点のひとなどいないし、また、いいところしかない百点満点のひともいないのだ。


同じクラスの女子、約二十人の中でも、ぼくのことを馬鹿にしたり無視したりするような子を除いたとしても、半分以上は人間的にいいやつだったりする。


そのおのおのの美質を比較したり、否定したりすることは出来ない。


そうしたら、何を基準にしてひとりの子に絞り込めばいいというのだろう。


漫画やアニメ、ラノベなど、多くのラブコメの主人公は何人かのヒロインとイチャイチャして、どっちつかずの関係を続けたあげく、結局どの子も選べなくなって自滅する、なんていう愚行を繰り返しているけど、ぼくはそんなハーレムの王になりたいとは思わない。


「どの子もそれなりにいいところもあるから、ひとりに絞れない」なんて、手前勝手な言いぐさだと思う。


それに、とりあえず誰でもいいから自分と付き合うことをオーケーしてくれそうな相手に声をかけるという、安易な手にも逃げたくはない。


ぼくは、自分にとって最良であり唯一の、つまりその相手以外のひとを選ばなかったことを絶対後悔しないようなひとを探しているのだ。


こんな考えかたをするぼくのことを、あるひとは「青臭い」、また別の人は「こじらせている」と呼ぶのかもしれないがね。


現在のぼくは、少しだけ考えかたが練れてきていて、いきなりは告白せずに、しばらく相手のことを知るようにつとめたり、一方では自分のことを相手に理解してもらうための努力をするようになってきた。


でも、こういう慎重なやりかただと、恋ってなかなか前に進まないんだよなぁ。ほんと。


ぼくの名前は、窓居まどい圭太けいた


東京都内在住の、とある私立高校に通う男子だ。


ぼくは中学入学以来、三年間で三十人の女子に告白して、全戦玉砕してきたという経歴の持ち主だ。


ぼくの初恋は、いまだ始まっていない。


       ⌘ ⌘ ⌘


いまは四月の半ばだ。新しい学期も、すでに始まった。


転入生、高槻たかつきさおりと知り合い、彼女が四年近く悩まされてきた問題を、友人榛原はいばらマサルとともになんとか解決にみちびいてから、一か月半が経過した。


その後のことを簡単に話しておくと、まず、ぼく、榛原、高槻、それに新たな転入生、狐島こじま黄津子きつここと神使しんしきつこも順当に高校の一年から二年に進級した。


ぼくたち四人がそろって所属している吹奏楽部、略称吹部すいぶ長峰ながみねはるか部長、美樹みきみちる先輩もいよいよ最終学年を迎えた。


それに先立つ三月半ばの卒業式では、ぼくたち吹部は管弦楽部と合同で演奏を披露して卒業生を送り出した。


これには新入りの部員である高槻やきつこも、大いに活躍してくれた。


長らくフルートを習っていたという高槻だけでなく、ド天然なきつこまでが危なげない演奏をしていたのには、ちょっと驚いた。


聞けば、かつて神社の祭礼のお囃子をやっていたので、打楽器にはけっこう自信があるんだと言う。


そんな特技があったとは。ひとは見かけによらないもんだな。


一方、ぼくの一歳上の姉しのぶといまやラブラブな関係となった大阪の従妹いとこ財前ざいぜん明里あかりは、どういう奥の手を使ったのか東京の難関私立高校にもぐり込み、わが家に下宿してこの四月から高校生活をスタートさせている。


言うまでもなく、姉と相部屋だ。


また、高槻にベッタリだった妹みつきも、もとは高槻が在学していた女子高校に、この春入学した。


彼女は、これまで姉に背負わせていたテレパスの能力を、自らの身に引き受ける罰を受け入れた。


だから、当分の間は男性とかかわることが無理な身となってしまった。


このようにごく短期間で、ぼくの周囲にはけっこうハイレベルな美少女たちが集まって来ているのだが、恋の始まる気配はいっこうにない。


春が巡ってきたというのに……。


       ⌘ ⌘ ⌘


その日は、部活のない日だった。


例によって高校の中庭でぼく、榛原、高槻、美樹先輩、そしてきつこの五人、通称「中庭ファイブ」(中庭フォーからさらにひとり増えてしまったから改名である)は、昼休みの時間を過ごしていた。


毎度のことではあるが、女子たちの取りとめもない話を横で聞いていたぼくは、ふだんなら気配をほぼ消してそこに参加しているだけの榛原が、妙に浮かない顔をしていることに気づいてしまった。


だって、あのクールネスを絵に描いたような「無敗の男」(これはぼくの命名)がだぜ、眉間にシワを寄せているところなんて、彼と友人になってまる四年、初めて見たんだから。そりゃ気になるわな。


女子連中は自分たちの話に没頭しているのを確認したぼくは、ヒソヒソ声で榛原にこう尋ねた。


「なぁ榛原、えらく難しい顔してるけど、体の具合でも悪いのか?」


すると、榛原はかぶりを振ってこう答えた。


「いや、別に体調が悪いわけじゃない。ただ、ちょっとな……」


「ちょっと、なんだ?」


「ちょっと悩ましい問題が発生していてな、だが、ここではいささか話しづらい……」


「そうか。じゃあ、後で話を聞いたほうがいいな……」


そんな歯切れの悪いやりとりをしていると、さすがに女子たちの目にもとまるところとなった。


特にこういうことに敏感なのは、誰をおいてもきつこだ。


「あれ〜、おふたりさん、ちょっと目を離していると、すぐふたりの世界に入っちゃうんだから〜。


お熱いことで。ヒューヒュー!」


こうきつこに冷やかされて、慌てて否定に入るぼく。


「こら、やめれ〜。そんな話じゃないんだから〜」


「そうやってムキになるところが、いよいよあやしいよね」


「ったく……」


減らず口では、きつこにかなうわけがなかった。


かたわらでは、高槻も美樹先輩も苦笑している。なんだかなぁ。


まあこれで、榛原とのヒソヒソ話はいったん終了となった。やむをえない。


       ⌘ ⌘ ⌘


放課後、ぼくと榛原は女子連中に断って、別行動をとることにした。


榛原の抱えている問題がなんなのか、ぼくには想像もつかなかったが、彼の言葉のニュアンスから察するに、およそオープンにしないほうが賢明だと思われたから、ぼくひとりで話を聞くことにしたのである。


この際、きつこにあれこれ冷やかされてもしょうがない、そう覚悟を決めて。


高校を出て、特にどこへ行くとは決めていなかったが、ぼくは榛原の足の向かうがまま、並んで歩いた。


榛原のほうから、口火を切って来た。


「いろいろ説明してからって手もあるが、まずは俺の家まで来てもらってからのほうがいいかもしれない。


俺んち、来たことないよな、圭太?」


予想外のセリフだった。


榛原の家まで行く?


なにそれ、まさかのBL展開?


ぼくがとまどってすぐに返答出来ずにいると、まるで見透かしたかのように、こう付け加えた。


「ははぁ、混乱させちまったみたいだね。


安心してくれ、別におかしなことを考えてるわけじゃない。


俺の家族に会ってもらうだけだから。


今回は、その家族の問題なんでね」


そう言って、榛原は意味ありげに苦笑いを浮かべたのだった。


       ⌘ ⌘ ⌘


榛原の家は、本町ほんまち駅前の踏み切りを渡って数分歩いたところにあった。つまり、私鉄を挟んで、ぼくの家とは反対側だ。


先ほど榛原に言われたように、ぼくが彼の家を訪れたのは、これが初めてだった。


榛原はぼくの家には何度となく来ているが、その逆はなかったということだ。


だから、彼の家族には一度も会ったことがない。


家の作りは取り立てて特徴のない、一階に車庫のある、こじんまりとした三階建の一軒家だった。


築十年くらいだろうか。


家には、まだ家族が誰も帰っていなかった。


「うちは、親が共働きなんでね。


でも、本人はそろそろ帰ってくるころだ。


部活とかほとんどやっていない帰宅部組だって言ってたから。


しばらく、くつろいでいてくれ」


そう言って、榛原はペットボトルのお茶を茶碗に注いで、すすめてくれた。


ん、いま「本人」って言ったよな?


ということは、問題となっているのは、もうひとりの家族ってことだから、つまり……。


ぼくがあれこれ記憶を手繰り寄せるより先に、玄関のチャイムが高らかに鳴った。


ピンポーン。


そして、榛原がわざわざ迎えに行くまでもなく、ひとりの人影がリビングルームのドアのガラス越しに見えてきた。


とても小さな影だった。


ドアを開けて現れたのは、髪をポニーテールに結わえて紺のセーラー服を身に着けた小柄な少女だった。


身長は、そう、145センチぐらいか。


「ただいま、マーにい


きょうは早かったね」


その小さな口から発せられたのは、鈴を鳴らしたかのように高く、ひどく舌っ足らずで、まるで砂糖菓子のように甘々な声だった。


その顔立ちをよく見ると、ちょっぴりおでこが目立ち、少しタレ気味の大きな目、ちんまりとした鼻、八重歯がかすかにのぞく口元。


パーツの配置ぐあいからいってとても幼い、とんでもなく幼い。


どう見ても小学生だ。


そんな子がセーラー服を着ている。


有名私立小学校の?


ところが彼女が着ていた制服には、明らかに見覚えがあった。


とりわけ決め手になったのは、スカーフ留めに施された刺繍のふた文字だ。


HCというモノグラム。


これってぼくや榛原が昨年三月まで通っていた本町中学校、略して本中ほんちゅうのマークじゃないかよ。


ぼくを振った30人の子たちがみんなつけていた、アレ。


《小学生が中学生のコスプレ? なんで?》


思わず、そう叫びそうになったが、榛原のひとことがぼくを現実に引き戻してくれた。


「お帰り、ミミコ。


お客さんがいらしているから、ご挨拶なさい。


圭太、この子が俺の妹ミミコ、中学三年生だ」


それが榛原マサルの二歳下の妹との、初めての出会いだった。(続く)

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