第8話 窓居圭太、高槻みつきに監禁される

うららかな日曜日の午後二時、ぼくと榛原はいばら、そして高槻たかつきさおりの三人は、高槻の自宅にほど近い上町かみまち公園につどっていた。


緑豊かな広い公園のどこかに、ぼくたちを監視している誰かがいるに違いないが、そんなことなどまるでお構いなしに、ぼくたちはリラックスして、ぶらぶらと公園内を散策した。


周りには、休日の昼下がりということもあって、カップルや家族連れがそこかしこにいた。


ぼくは少し気になって、それとなく後方をちらっと見てみた。


十メートルほど離れた樹々の陰にひとり、ニットキャップをかぶり、大きな黒縁眼鏡にマスクをした黒いジャージ姿の小柄な女性がこちらをうかがっているのがわかった。


もう怪しさ全開じゃないか。


ぼくは笑いをこらえるのが精一杯だった。


ぼくは、右手をジーンズのポケットに入れて、非常用アラームの所在を確認した。


そして、右手二十メートルほど離れたところに、公衆トイレがあることを確かめた。


榛原に軽く目配せをした。


榛原はこう言った。


「じゃあ、そろそろワナを張るとするかな。


健闘を祈るよ」


ぼくはこう返事した。


「うん、ちょっとトイレ行ってくるわ」


そうして、ぼくは榛原と高槻のふたりから離れてトイレの方へ向かった。


その時、とくに尿意などなかったんだけどね。


ぼくが入り口から男性用トイレに入ろうとした瞬間、いきなりハンカチのようなもので、顔の下半分をふさがれた。


ん、この強い刺激臭はクロロホルム?


そして、一瞬でぼくの意識はとぎれた。


非常用アラームのボタンなど押すヒマもない、あっという間の出来事だった。


       ⌘ ⌘ ⌘


ふいに、鼻腔に刺激を感じてぼくの意識がよみがえった。


気付け用のスプレーをかけられたようだ。


すぐにまわりの様子を確認した。


トイレ、それもその個室の中だった。


ぼくは、両手を後ろ手に縛られたうえ、ガムテープを何重にも巻かれていた。


あと、両足のくるぶしもガムテープでぐるぐる巻きにされて、蓋をした洋式便器の上に座らされていた。


鼻腔には、クロロホルムらしき薬品の異臭がまだ残っている。


すぐ目の前には……ニットキャップも眼鏡もマスクも外したのだろうか、素顔の高槻みつきがぼくをにらむようにして立っていた。


その手には、ぼくのジーンズのポケットに入っていた非常用アラームがあった。


一瞬、息を飲んだものの、ぼくが先に口火を切った。


「や、やあ、みつきちゃん。とんだところで出会ったねぇ。


やだなぁ、そんなこわい顔しちゃって、これってSMプレイかなにか?」


そう、冗談まじりに愛想笑いをすると、その空気を断ち切るように、彼女は啖呵を切った。


「なに言ってやがんだ。


昨日だって、お前たちふたり、稲荷神社までのこのこやってきてあたしのこと、こそこそとうかがっていたんだろ。


わかってんだよ!


おあいにくさま。お前たちはあたしをハメたつもりかもしれないが、あたしはわざとハメられたふりをしたんだよ。


さおりちゃんにかけた電話の内容をわざと聞かせたりとか、魂胆が見え見えなんだよ、このボケが!」


そうか、バレバレだったんだな、ぼくたちの行動は。


彼女が霊感の強い異能者であることを知ってはいたものの、しょせん女子中学生だろうとその察知能力をなめていた。


まるで暗号をすべて米軍に解読されていた日本軍だな。


つくづく情けねー。


高槻みつきはひと息ついてから、こう続けた。


「さて、今から窓居まどい圭太けいた、お前への尋問だ」


その一言を、そのまま聞き流しそうになったが、ちょっと引っかかるものがあって、ぼくは聞き返した。


「みつき……ちゃん、なぜ、ぼくの下の名前まで知ってるんだ。お姉さんに聞いたのか?」


彼女は、ぼくをあざ笑うように顎をそり返らせた。


「そんなことが分からぬような、あたしじゃないってんだ。


なめてもらっちゃ困るね。


窓居、お前に聞きたいひとつめの質問は、これだ。


あたしの姉には、稲荷の神様によって対男性専用のテレパス能力が付与されている。


それは、お前たちふたりも知っているだろ」


ぼくはそれに無言でうなずいた。


なぜ、そこまで核心にふれる事柄まで彼女が知っているのか、


推測する余地もないくらい、ぼくには精神的余裕がなかったのだ。


「ところが、その能力はお前たちふたりにはまったく通じないと来た。


だからさおりちゃんは、お前たちと問題なく話をして普通に付き合うことが出来る。


そんなことはこの四年くらいの間で、一度もなかったのに。


いったい、なぜなんだ?


なぜお前たちだけ、特別なんだ?」


ぼくは、ここでようやく息を整えてこう答えた。


「さあ、なぜだろうね。


選ばれし者、神使しんしであるみつきちゃんにも、分からないことがあったんだ。


驚いたなあ。


言ってみればそれは、企業秘密だよ。


どこの世界に、その企業の一番の秘密を、何の対価も提示せずに、開示しろと迫る馬鹿がいるだろうか?」


ちょっと、どころか相当挑発的なツッコミ返しだったと思う。


みつきは、一瞬言葉を失った。


決して気持ちにゆとりがあったわけではなかったが、実はそのやり取りについて言えば、昨日、榛原から入念な演技指導を受けた箇所だったのだ。


榛原は、こう言っていた、


「俺たちが高槻さんのテレパス能力の及ばない、例外的な存在である理由は、かならず妹が俺たちに、直接問いただしてくるだろうな。


その理由は、実は俺たち自身にもわかっていない。


だが、それがわからないということを、正直に言っても何も得られないだろ。


よく言うじゃないか。


あるものが存在することを証明することに比べると、あるものが絶対にないことを証明することのほうが、はるかに難しいって。


俺たちに正解の準備がないことは、みつき嬢には見破れないはずだ。


ここは、思い切りもったいをつけて、話を自分たちに有利な方向に持っていくべきだな」


「つまり、ハッタリをかますってことだな」


ぼくがそう確認すると、榛原はうなずいた。


「いわばハリボテのものを本物であるかのように見せかけるということだ。


圭太の、演技力の見せどころだな」


その指導に従って仕掛けたぼくの挑発を、みつきはこう受けた。


「ただじゃ、話してやるわけがないって言うんだな。


じゃあ、くれてやるよ、とびきりのごほうびを」


そう言って、ぼくの予想だにしなかった行動に出た。


みつきはいきなり、着ていた黒いジャージのジャケットを脱ぎ捨てた。


彼女がジャケットの下に着ていたのは下着、つまりブラだけだった。


そのスリムな体つきからはまったく想像出来なかったが、意外や彼女はボリューム感のある胸を持っていた。


アンダーバストは細いが、Dカップくらいありそうだ。


これにはぼくも、正直動転してしまった。


漫画やアニメの主人公なら「わーい、ラッキー!」なんて、棚ボタを喜ぶかもしれないが、実際はそんないいもんじゃなかった。


だって、今のみつきの血走った目つきは、どう見たって正気じゃない。


もう、ドン引きなぼくだった。


「ちょっ、みつきちゃん、どうしたの。落ち着いて落ち着いて」


というぼくの制止などお構いなしに、彼女はぼくににじり寄って来た。


「さあさあスケベなおにーさん、あんたの大好きなJCの下着姿が見放題だよ?」


「いやいやいや、もっと自分をだいじにしなきゃまずいよ、みつきちゃん」


その言葉も無視してみつきは、ぼくの後頭部に手を回しぼくの顔面にその胸を押し付けた。


ブラ越しとはいえ、なんだかムニュツとした弾力を感じる。


うわっ、そこまでするの。反則じゃね?


「もうひとつ、あたしが聞きたかった質問はだな、お前たちふたりのどちらが、さおりちゃんを落としたいと思っているかだ。


さあ、どうなんだよ!」


若い女のコ特有の甘ったるい香りを漂わせ、胸をぼくの頬にぐいぐい押し付けながら、答えを要求してくる彼女に、ぼくはやっとのことでこう答えた。


「いや……どちらでもないよ。ぼくでも、榛原でもない。


だってぼくたちは……」


ぼくは、その続きを言いよどんでしまった。


「お前たちは、なんだって?」


みつきが催促するように言った。


「ぼくたちは、ガチな仲だから。


みつきちゃんのお姉さんには、まったく興味ないんだ。


そう、ぼくにはこうして色仕掛けで迫って来たってムダだからなっ!」


声を絞り出すようにして、ぼくはそう言っちまった。


「そ、そのガチな仲ってのは、も、もしかして、BL的な意味でガチってことかっ?」


みつきは、にわかに表情を一変させた。


急に目つきがトローンとして来た。


その顔つきは、完全に妄想に浸っている腐女子のそれだった。


もしかして、姉妹そろってそういう性癖があるんだろうか。


「そ、そうだ。その証拠を見たけりゃ、ぼくのパーカの右ポケットに入っているスマホを見りゃいい」


ぼくはみつきにそう指示した。


みつきが手に取ったぼくのスマホの壁紙は、榛原がピースサインをしている写真だった。


みつきは「ほほおっ」と歓声を上げた。


「これでわかったろ。


みつきちゃんがどんなに過激な誘惑をして来たって、ぼくは全然平気なんだからねっ」


きれいな女のコに身体をすり寄せられて、動揺しない男はいないが、ぼくはこう精一杯の見得を切った。


ついに、やっちまったって感じだ。


とはいえ、今回は両手両足を拘束されているという、まるでロマンティックとはほど遠い、危険なシチュエーションだから、正直うれしくもなんともない。


興奮しろとか気分を出せとか言われても実際無理だった。男って意外とデリケートなんだぜ。


みつきは、うんうんと首を縦に振った。どうやら、ぼくが女性に興味のないタイプの男であると、認めてくれたらしい。


そしてこちらにお構いなしに、ブツブツひとりごとを言う。


「いやー、昨日家でふたり並んでいるのを見たときから、こいつら絶対なにかありそうだという気はしたんだよな。


そうかそうか、納得納得」


おい、勝手に納得しないでくれ。なんか心が折れそう。


さっきのぼくのセリフやスマホの壁紙は、いうまでもなく、昨日榛原に入れ知恵されたやつなんだから。


決して、本心じゃないんだからねっ!(心の叫び)


「圭太、そんなことを口に出して言わなきゃいけないきみには悪いが、あの妹にとって俺たちが無害であることを証明するには、俺たちが女には一切興味がない人間だとカミングアウトするのが、一番有効なんだからね」


昨日、そう言って演技指導担当の榛原監督は、ぼくを説得したのだった。


他ならぬやつの頼みだから、ぼくは渋々承知したけどね。


それはともかく、偽りのカミングアウトは予想以上の威力だった。


みつきは、先ほどの好戦的なオーラを一気に失い、むしろ好意的な態度を見せて来た。


ぼくの頭をそっと撫で、よしよしと子どもをあやすように、ぼくの両頬をさすってきたのである。


確かに、ぼくと榛原がガチホモならば、たとえ姉のテレパス能力が無効な原因が不明であっても、それはさしたる問題ではない。


ぼくたちが自分の姉に対してよこしまな想いさえ抱いてなければ、みつき的にはノープロブレムなのだ。


「窓居、お前が私の敵でないのなら、これぐらいは教えてもいいだろう。


あたしのようないわゆる神使しんしは、神様と一対一でつながっているだけではないのだ。


すなわち、ほかの神使とも横のつながりがあるのだ。


特に近隣の稲荷神社の神使たちとは、頻繁に交流がある。


当然だがお前のお姉ちゃん、しのぶとも。


あたしは彼女と、じかに会ったことは一度もない。


だが神様と同様、夢を通して何度となく、対話をしているのだ。


それに最近じゃ、昼間はメールでのやり取りもしている。


神様、しのぶ、そしてあたしの三者は、神様が意図的に操作しない限り、同じ情報を共有している。


あたしとしのぶとは五年くらいのつながりがあり、以前から、彼女がお前へのブラコンをこじらせていること、そして、お前がそれをまったく受けつけないということも知っていた。


何度しのぶのボヤキを聞かされたか、わかったもんじゃない。


まあ、その頃は、赤の他人のことでもあるし、お前のことなどどうでもよかったけどな。


それがより身近な問題になったのは、つい先日、窓居があたしの姉と親しくなったあたりだ。


窓居圭太という男が、直接あたしをおびやかす存在として、初めてあたしの視野に入って来たのだ。


あたしは、会う前から、すでにお前のことを知っている。


そういうことだ」


みつきのその言葉を聞いたことで、これまでのぼくの疑問点が。すうっと消えていった。


まるで目の前にあった深いもやが、一気に晴れていくように。(続く)

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