第3話
全員でぞろぞろとついてこようとした部員たちを情報処理室にとどめて、僕と雨宮、五季の三人は放課後の空き教室にやってきた。普段委員会などの集まりに使われている教室は今は静かだ。すでに活動を終えている部活動もあるのだろう、外から聞こえる運動部のかけ声も小さい。
五季は先ほどと打って変わって怒りを瞳に宿している。五季が呼び出した彼氏と、僕が呼び出した二股をかけられたもう一人、宮崎紗織(みやざきさおり)が来るであろう扉をじっと睨んでいる。
隣に座っている雨宮が小声で僕に言った。
「今さらだけど、わたしパスしたくなってきたよ。女のドロドロに関わって得することはあり得ないね」
彼女の言葉に激しく同意して僕は頷いた。
とその時、扉が開いて一人の女子生徒が中に入ってきた。おずおずといった様子で入ってきた彼女は僕たちを順番に眺め、最後に五季を見て怯えたように顔を伏せた。見ると五季は今にも掴みかかりそうなほどむき出しの敵意を宮崎に向けていた。まさか今から喧嘩でも始める気なんじゃないかと不安になる。
宮崎紗織は小柄で、長身の五季華音と比べたらおそらく頭一個分低いだろう。けれど、その気弱そうな物腰と小さな背格好に似合わず、肌は日焼けしていて髪も短く切りそろえて活発な印象を与えていた。五季華音には劣るかもしれないが、十分彼女も可愛いと周りから言われる容姿だ。
おそらくテニス部に所属しているのだろう。肩に通学鞄とラケットをかけている。
宮崎紗織はどうしたらいいのかわからないようで、じっと扉の前でもじもじしている。一応僕からのメールで二股をかけられている疑惑があって、それについて確認したいことがあるから来て欲しいと伝えているので、今から何が始まるのかはなんとなく察しがついているはずだ。
いや。
僕は五季を見る。二股されているもうひとりの女子生徒がいることを伝え忘れていた。五季の怒りの形相を見ると宮崎に申し訳ない気持ちになる。
「とりあえず入って座ったら」
明らかに怒気を含む声で五季が言った。泣くときは感情のままに泣いて、怒るときは怒る。五季の言葉に僕と雨宮まで姿勢を正した。
宮崎は恐る恐る僕の前の席に腰を下ろした。
宮崎と長い机を挟んで僕、雨宮、五季が並ぶ。宮崎が座ったのは五季から一番遠い位置。宮崎は身じろぎせずにじっと下を向いている。
空気がぴりぴりする。
居心地が悪い。
自然と喉が乾いて唾を飲み込む。
やっぱり来なければよかった。今さら面倒ごとに首を突っ込んだことを後悔する。
この場合五季華音はどちらに怒っているのだろう。自分の彼氏だろうか。それとも目の前にいる宮崎紗織だろうか。
冷静に考えれば宮崎も被害者であり、言ってしまえば五季と同じ傷を負っている。けれどだからと言ってそのまま仲良くなれるということもないだろう。実際五季が宮崎に向けている視線は敵意としか形容できないものだ。
誰も言葉を発しない。
空気が張りつめる。息苦しい。
ふと横を見ると、雨宮は膝の上に小さな握り拳をおいて、身じろぎせずにじっと机の上の一点を見つめている。その表情は固い。
だれでもいいから空気を変えてくれ。そう願ったら、教室の扉が開いて男子生徒が入ってきた。
五季華音を見たときから思っていた。彼女ほど可愛い子を二股にかけるなんていったいどんな男なのだろうと。宮崎紗織を見てさらにその疑問は膨らんでいった。
そしてついにその疑問が氷解した。
まさにイケメン。
思わず世の中の不平等さを嘆きたくなるほど男子生徒の容姿は飛び抜けていた。一個上の高校三年生。雑誌やテレビに出てくるような眉目秀麗な男子生徒がそこにいた。
折原雄矢。
二股という悪事を行っている張本人。世の中には彼女ができることなく人生を終える人もいるというのに、同時に二人とつき合っている男。
折原が教室に足を踏み入れると一気に空気が弛緩した。彼が身にまとっている空気は穏やかで、それが周りにも自然と伝染するようだ。空気を変えてくれた折原に一瞬感謝しそうになるが、そもそもの原因が彼にあることを思い出してやめた。
二股なんて最低の悪事だ。今まで甘い思いをしてきたのだから、せめて最後はその罪の報いを受けるべきだ。いや、受けて欲しい。そうでなければ納得できない。
そう思っていたら、折原雄矢は少し驚いた顔をしただけで、微笑みながら宮崎の隣に座った。
「どうしたの?」
この状況に似つかわしくないあまりにも落ち着いた声。イケメンは声もかっこよかった。
折原と宮崎が見つめ合う。この状況でも宮崎は頬を赤くして照れたように笑った。
「えっと、いま部活終わったんだよ」
「教室から見てたよ。頑張ってたね」
えへへと宮崎は笑った。
「もうすぐ県大会が始まるから練習も多くなってるんだ」
「頑張ってる姿もすごく綺麗だった」
「ありがとう」宮崎は照れたように自分の髪をいじる。「けど、夏に練習が多くなるとやっぱり日焼けもひどくて」
「努力の証でしょ? それに日焼けしててもかわいいよ」
折原が宮崎の頭をぽんぽんと叩く。
……なんですかこれは。
呆然とその光景を見ていたら、五季が肩を怒らせながら折原の隣に行き、椅子を叩き潰すんじゃないかと思うほどの勢いで腰を下ろした。大丈夫だ。彼女は折原の雰囲気に惑わされず、きちんと真実が見えている。
「どういうこと?」五季は低く、冷たい声で言った。
「こらこら、せっかくの可愛い顔が台無しだよ」
イケメン折原はそう言うと五季の眉間に寄ったしわをそっと指でつついた。五季が照れたように頬を染めてうつむく。
「わたし、そんなに可愛くないよ」
背中を鳥肌が駆け抜けた。
いきなり机の向こう側の空気が変わった。三人がつくりだす空間はどこか甘ったるく、それでいて周りの人間が立ち入るのを許さないものだった。当初の殺伐とした空気はどこへ行ったのやら。
僕は雨宮を見る。雨宮も呆然とした顔を僕に向けた。
……帰ろうか? 視線でそう伝えると、雨宮も頷いて同意を伝えた。
つき合ってられない。そう思って立ち上がろうとしたら、五季が肩を震わせて立ち上がった。
「って、そんなことで誤魔化されるわけないでしょ!」
五季の顔は喜びと憎しみが混ざったような複雑な顔をしている。怒りを思い出して笑顔を抑えつけようとしているらしい。誤魔化されそうになったのは誰の目にも明白だ。
折原は不思議そうに首を傾げる。
五季は唇を震えさせながら怒鳴った。
「二股してたでしょ!? わたしとその子で。もうわかってんだからね。どっちかが本命でどっちかが遊びでしょ!? 好きだっていう感情も本命に対しての感情をもう一人の子に送っただけでしょ!?」
五季はそう一気にまくし立てた。
納得する。確かにそれなら二股しても直結しないかぎりバレる可能性は低い。本命に対して持っている好きという感情を遊びでつき合っている子にも送れば、遊びの子も自分のことを本気で思ってくれていると信じるはずだ。
けど、それを言うならこの二人のどちらかは折原にとっての本命ということだ。果たしてどちらが。
「両方とも大好きだよ」
平然と言う折原の言葉に僕は驚いた。こんなに表情を変えずに異性に好きという気持ちを伝えられるとは。折原という人間は根本的に僕とは違うらしい。
五季は鋭い視線で僕を見た。
「とぼけるなら今ここで本命を明かすから」
そういうことか。
自分がここにいる理由がわかった。僕は雨宮とともに機材の準備を始める。と、そこでふと手が止まる。こんな状況で遊び相手だったとわかった女の子は傷つくんじゃないだろうか。こんな人が多くいる場面で、本命はお前じゃないと告げられたら立ち直れないんじゃないか。
そう危惧して五季華音と宮崎紗織の表情をうかがう。さっさとしろというように五季は睨んでくる。おどおどしていた宮崎ですら自信満々の表情で僕らの準備を待っていた。
どちらも自分が本命であることを疑っていない。僕はそっと雨宮を見た。雨宮は嫌悪感丸出しで折原を見ている。
どうしたものか。けど、そもそも自分と折原が両思いかどうか知りたかったら、本人同士が直結して確かめればいいだけだ。それをしなかったということは、こうして僕らがいることにも意味があるのだろう。いや、待てよ。そもそも直結もどこまで信用できるのだろう。直結している最中に別の人間を思って好意を誤魔化すこともできるのだろうか。
直結をすることがどうにも苦手な僕にはわからなかった。
今度部活で調べてみるか。
やっぱりESSは奥が深いな。いや、それよりも今はとにかく本命を明かすことがこの状況を進展させるはずだ。そう信じて僕はESSを起動させた。ESSと関連させて特殊なプログラミングも起動させる。
「はい。じゃあまずは折原さんと五季さんふたりでヘッドエモーションつけてくれる?」
「同時に?」五季が質問する。
「うん。両方ともこのパソコンと繋がってて、両思いかどうかわかるプログラミングを起動させたから、折原さんがいま宮崎さんのことを思って好きという感情を抱いても、それが五季さんに対してじゃないことがわかるよ」
僕がそう説明すると五季は満足そうにヘッドエモーションをつける。折原もまったく動揺した様子を見せずにヘッドエモーションを装着した。ということは、五季が本命なのだろうか。
読み込みを開始する。不安そうな顔で宮崎がこちらの顔色をうかがってくる。
僕と雨宮はモニターに表示された結果を見た。
顔を見合わせる。これはいいことなのか悪いことなのか。
「どうなの?」急かすように五季が言った。
僕は宮崎の顔を見る。宮崎が僕の答えを受け取ったのか泣きそうな顔になる。
「……両想いだったよ」
宮崎は僕の言葉を聞くと目から涙をこぼした。
これは余りにもひどいんじゃないか。喜びを噛みしめている五季を無視して僕と雨宮はすべての原因である折原を睨む。
折原は平然とした顔で五季が外したヘッドエモーションを宮崎に渡した。宮崎がきょとんとした顔になる。
「ほら、君もだよ」
五季が折原と宮崎の間に割ってはいる。
「いや、さすがにそれはしなくていいよ」
五季の言い分ももっともだった。傷口に塩を塗るようなものだ。わざわざ遊びだったということを宮崎に確信させる必要はない。完全な追い打ちだ。
けど、そんな周囲の気持ちを無視して折原は言った。
「だって、紗織のことも同じくらい好きだから」
安心してというように折原は微笑む。
僕と雨宮はまた顔を見合わせた。まさかそんなことがあり得るのか。どちらも本命だという信じられない結末が。
けれども折原の確信に満ちた顔を見ると、笑って否定することもできない。宮崎紗織も戸惑った表情のまま、それでもどこか希望を瞳に宿してヘッドエモーションをつけた。
今度は折原雄矢と宮崎紗織で両思いかどうかを測定する。五季はありえないというように疑いの目を二人に向けている。
読み込みが始まった。
……結果。両思い。
えっと。この場合はどうなるんだろう。
「どうだった?」
五季が身を乗り出して訊いてきた。
「両思いだった」雨宮が複雑な表情で告げる。
「ほら。言っただろう」満面の笑みの折原。
まんざらじゃなさそうな宮崎。
混乱してきた。そもそもこの問題の終着点はどこにあるのだろう。
「じゃあ、もういいかな」
折原が立ち上がろうとしている。
もういいのだろうか。折原の二人に対する感情はどちらも、容姿がいいとか遊びだとかそういう感情ではなく、恋人同士に向ける真剣な好意だ。
果たしてこの場合はどう解決するのだろう。
「これからもみんなで仲良くやっていくよ」
折原が腰を上げる。と、その動きを雨宮の言葉が止めた。
「ちょっと待って」みんなの視線が雨宮に集まる。「確かにどっちも本命に対する感情みたいだけど、だからってこのまま二股を続けるのがいいと思えない」
なぜ、と折原が訊ねる。
「それは」雨宮は少し言葉に詰まる。「だって、なんか綺麗じゃない。恋愛っていうのは本来綺麗なもので、その感情って言うのは思い出になって、時に人生を動かしたりもするもので」雨宮は焦るように言葉を紡ぐ。「だから、うまく言えないんだけど、折原さんのそれは、だから、綺麗じゃないっていうか」
一個上の先輩に雨宮は言葉を選びながらも、それでも必死に訴えた。
僕にはなんとなく雨宮が言いたいことがわかった気がした。けど、それで折原が納得するとも思えない。
少しの沈黙が流れる。
そして不意に扉の開く音がして来訪者を知らせた。視線が移動して来訪者に集まる。見たことがない女子生徒だった。少し肥満体型で髪は整えてないのかぼさぼさで、長い前髪が表情を隠している。頬には沢山のニキビ。見るからに口数が少なそうな女子生徒が静かに中に入ってきた。
この教室に用事があるのだろうか。けれど今は二股というあまり他人には聞かれたくないことを話し合っている。
「えっと。すいません。どうかしましたか?」
相手が先輩なのか後輩なのかわからないので僕は丁寧に訊いた。
突然入って来た女子生徒は下を向いたままぼそりと言葉を吐く。
「わたしも好きなんです」
聞き取りにくい声。
「え? なんですか」僕は確認する。
「わたしも折原くんが好きなんです」
自分の耳を疑った。まさかここで公開告白とは。というか、わたしも、ということは既に彼女は折原が二股していることを知っているということだ。それでも折原が好きだと伝えたいのだろうか。みんなの目が点になっている中、折原だけは微笑を絶やさずに女子生徒に近づいて肩に手を添えた。
「もちろん君のことも大切に思っているさ」
……はい?
いまなんと申しましたか?
驚きで反応がとれないでいる周囲を無視して折原と突然入ってきた女子生徒はイチャイチャし始める。お互いの頬を指先でつつき合っている。
「相変わらず柔らかいほっぺただね」
「い、いやだ。いまニキビが多いから」
「なに言ってるんだ。きみのニキビはとってもキュートだよ」
「もう。なに言ってるのよ」
なにをしているんだこいつらは。
と、およそまともとは思えない考えが頭に浮かんだ。
もしかしてそういうことなのか。今まで二股かどうかを調べてきたが、実際にはそれは完全ではなくて、もう一つの存在、もう一人の存在が抜け落ちていたのだろうか。つまり真実は折原雄矢は三股をしていたということなのか。
いや、でも最後に加わった一人はどうにも今までと様子が違う。外見のことを悪く言うのは失礼なことだが、それでも五季華音、宮崎紗織と比べたらだいぶ見劣りする。それでも、折原は彼女のことが本気で好きだと言うのだろうか。
……もうどうでもいいよ。
「じゃあ、どうぞ」
折原はヘッドエモーションを小太りの女子生徒に渡す。そして僕を見た。はいはいわかりましたよ。やればいいんでしょやれば。ほら。でましたよ。
「両思いでした」僕は投げやりに答える。
おい。本当なのか。まさかの三股なのか。しかも全部両想いなのか。
「ちょっと待って。これ壊れているんじゃないの?」
信じられないといった様子で雨宮がそう言って小太りの女子生徒からヘッドエモーションを受け取る。
「尾道くんちょっとわたしたちで試してみよ」
「え?」突然の雨宮の提案に素っ頓狂な声が漏れた。
雨宮はすでにヘッドエモーションも頭につけている。折原が微笑を湛えたまま僕にヘッドエモーションを渡した。僕はそれを受け取るが自分の頭に装着できない。
これは直結ではない。パソコンを介しているし、両想いかどうかを測定するだけで相手の感情を共有することはしない。けれどもどうにも身体が拒絶している。
僕が戸惑っていると雨宮が察して言った。
「大丈夫? 難しい顔してるけど」
「ああ。うん。えっと」ちゃんと返事をすることができない。
「じゃあ、わたしと折原さんで試してみてもいいですか?」
折原が首肯して僕からヘッドエモーションを受け取る。僕は動けずにいる。嫌な予感がした。折原は嫌がる素振りも見せずにヘッドエモーションをつけている。
「……いや。やらなくていいよ」
「でも確かめなくちゃ」
雨宮はそう言ってゆずらない。
自分が直結まがいのことをすることはできなかったが、折原と雨宮がするのを見るのも嫌だった。
もしかして雨宮まで折原雄矢に好意を抱いてしまったなんてことがあり得るのだろうか。いや、あり得ないはずだ。雨宮と折原は初対面だ。それに、今の今まで雨宮は折原の不純な態度をまざまざと見てきた。実際雨宮が折原を見る目は嫌いなものを見るときのそれだ。
けれど不安がある。
とにかく折原雄矢はイケメンだ。イケメンに常識は通じない。容姿は僕なんかじゃとてもじゃないがかなわない。雨宮だって容姿が悪い人より良い人の方が好きなはずだ。
不安が膨らむ。いや、なにが不安なんだ? 僕は折原と雨宮が両想いでないことを願っているのか?
「早く」雨宮が急かしてきた。
しょうがない。
僕は自分が抱いている感情を消化できないまま渋々プログラムを起動させた。読み込みが始まる。唾を飲み込む。時間が引き延ばされたように遅く感じる。
結果。両思いでもなく。片思いでもなく。二人の間に恋愛感情は存在していなかった。
ほっと胸をなで下ろす。
よかった。雨宮は折原に対して好意を抱いていない。僕の安心をよそに雨宮は納得いかない顔をしている。
「ってことはちゃんと三人とも好きになってるってこと?」雨宮は小さく呟いた。
つまりはそういうことなのだろう。にわかには信じられないが、折原と三人の女子生徒は本気の恋愛感情で結ばれている。
雨宮は唇に手を当てて思案する顔になる。
「ちょっとさっきの折原さんの三人に対する感情を体験してみてもいいですか?」
折原は肩をすくめる。雨宮はパソコンを操作する。
「どうしたの?」僕は訊いた。
「両想いっていうのはそうかもしれないけど、これは単純に好きか嫌いかで語れることじゃないと思うんだよね」
「どういう意味?」
「だって好きっていう感情は同じ好きでも色々あるでしょ? お母さんのことが好きと、ご飯を食べることが好きなのは、同じ好きだけど違う感情でしょ?」
僕は考える。確かに同じではないと思うけど、どこがどう違うかと訊かれたらすぐには言葉にできない。
「それは、そうだね」
「だから折原さんは確かに三人に対して恋愛感情を抱いているかもしれない。けど、その感情はそれぞれ違うはず。それを確かめたいの」
雨宮はヘッドエモーションを装着する。そして順番に感情を体験していった。
そして静かにヘッドエモーションを外す。しばらく何も言わずに黙っていたので、僕も折原の感情を体験した。
一つずつ。それぞれ折原が三人に対してどんな好きを抱いているかを感じる。
ああ。そういうことか。
雨宮を見る。目が合い、自然にお互い頷く。
雨宮は口を開く。
「確かに折原さんは三人に対して本気の恋愛感情を持っていると思います。だけど、その種類はやっぱりそれぞれ違いました」
折原の眉が動く。
雨宮は戸惑った表情になる。このあとどうすればこの場を誰も傷つけずに収められるか考えているようだった。
三人に対する感情は同じものではない。どこがどう違うのかは今の僕では説明するのが難しい。けど、きっと折原は三人にそれぞれ異なる魅力を感じて、それに惹かれて好きになったということなんじゃないだろうか。
横目で雨宮を見る。きっと彼女は僕よりも深くこれらの感情を理解している。なぜだかそう思えた。
誰も何も喋れない。
奇妙な空気の中で一人肩を振るわせている人物がいた。五季華音は立ち上がる。その顔は怒り以外の感情を削ぎ落としたかのように見るものを震えさせた。
「ふざけないでよ!」
先ほどまでのぬるい空気を吹き飛ばすような怒声。五季はその言葉を残して教室を飛び出していった。
五季がぶちまけた怒りを意に介せず折原雄矢は二人の女子と微笑み合っている。二人の女子も嬉しそうに微笑み返す。理解に苦しむが、この三人はこの関係を良しとしたのだろう。
雨宮が五季を追いかけるように教室を出ていったので、僕も機材をまとめてその背中を追いかけた。
教室を出ていく時に肩越しに振り返る。僕らがいなくなった空間が既にピンク色に染まっている。おいおい。それでいいのか二人の女子よ。
複雑な感情を抱きつつ、それでも僕には関係のないことだと思って雨宮の姿を探す。
雨宮は空き教室から少し離れたところで五季の背中をさすっていた。五季は感情が高ぶっているのか荒い呼吸を繰り返している。
「あんな奴を好きだったなんて、悔しすぎる」
五季は唇を噛んだ。
何か声をかけるべきかと思うが、いい励ましの言葉が思い浮かばない。
「まあ、いいじゃん。早めに気づけただけ傷は浅いよ」雨宮が沈痛な面もちのまま、それでも幾らか明るく言った。
「それはそうだけど」
「あんな奴のために落ち込む必要ないよ」
雨宮の言葉に五季はちょっと驚いた顔になり小さく笑った。
「あーあ」五季は天井を仰いだ後、背中を廊下の壁に預けた。「顔はよかったし、優しかったし、わたしのことも好きでいてくれたけど」五季はうなだれる。「これは……ないわ」目線を雨宮に向ける。「それで? わたしに対する好きはどんな種類の好きだったの?」
雨宮は困惑したように小さく笑う。きっと自分の言葉が五季を傷つけることを心配しているのだろう。だからさっきも雨宮は何も言えずにただ黙ることしかできなかったのだ。
「気にしないで。きっとわたしの主観も入っちゃってるから」
「いいよいいよ。今さら変な気つかわなくて」五季はひらひらと手を振る。
雨宮は少しだけ間を置いたあと意を決したように言う。
「多分だけど、華音ちゃんに対する好きは外見に惹かれて自分のそばに綺麗なものを置いておきたいっていう欲望に近かったと思う」雨宮は五季の表情を見て、「多分だよ」ともう一度つけ加えた。
「……そっか」五季は力なく項垂れる。そして、ふらふらと歩き始める。
「大丈夫?」
雨宮が声をかけて一緒に歩き出そうとするが、五季はそれを手で制した。
「ありがとう。大丈夫。ちゃんとふっきるから」
五季は弱々しい足取りで遠ざかっていく。
五季の姿が完全に見えなくなったあと、雨宮がぽつりと言った。
「両想いでも、好きな人がいても、それでも相手が全く同じ恋愛の感情を抱いているとは限らないんだね」
その言葉は五季ではなく、ここにいない誰かに向けられてるようだった。
きっと五季の折原に対する好きと、折原の五季に対する好きは同じ好きという言葉で表せてもその感情は全く別の物だったんだ。
僕はただ黙って地面に視線を落とす。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます