第十五章
その場の空気が凍りつくような感覚だった。
それほどまでに男の、セシリオ・アゲロが纏う気配は強大で冷たかったのだ。
「瑠璃、あなたには後でお説教ですね。それと、ここの修繕費はあなたの報酬から差し引いておきます」
静かで柔らかい、もっと言うと爽やかささえ感じさせる声で、口元には微笑みさえ浮かべているというのに、その男は全く笑ってなどいない。むしろ、感情があるかさえ疑わしいと思えてしまう、ただ型通りの振る舞い。人間を模倣しているようにしか見えない。
「げっ……なんでだよ!」
「僕のかわいい奥さんの大切な心の支えを壊したのだから当然でしょう?」
むしろ瑠璃の反応の方に驚いたというような表情をあえて【作って】いるようにしか見えない。
アラストルは思わず呆れてしまった。この男は今尚【家族ごっこ】を続けようとしている。
こんな男を恐れていたのか?
だが、このふざけた言動とは裏腹に、底知れぬ不気味なまでの強さが滲み出ていることも事実だ。
背筋がぞくりと震える。本能的にこいつと戦ってはいけないと感じ取っている。もしもイヌ科の獣人であればすぐさま尻尾を丸めて逃げているだろうとさえ思う。
そして、男の視線がアラストルを撫で、それから真っ直ぐ玻璃に向いた。
「玻璃、僕はその男を殺すように言ったはずですよ」
淡々と全ての感情を排除したような声が響く。少しだけ、出会った頃の玻璃に近いなにかがあるような気がした。
「嫌だ」
玻璃は小さな子供が親の言いつけに反発するように言う。その様子にセシリオ・アゲロは驚いたように目を見開いた。
「玻璃? 僕の言うことがきけないのですか?」
まるで想定外といった様子で対処法がわからないとでも言うような困惑の表情を浮かべている。しかし、アラストルにはその表情が作られた物なのか、彼本来の物なのか見極めることが出来ない。
「アラストルは誰も殺さなくていいって言ってくれた。だから……アラストルはいい人だよ。アラストルを殺せっていうマスターは嫌。だから……私、戦う」
玻璃は両手にナイフを三本ずつ構える。おそらくはそれが玻璃の構えなのだろう。投擲も接近戦もすぐに対応できる構えだ。
「まさか……あなたがこの僕に刃を向けるほどの
思わず、玻璃を見る。その手は微かに震えていた。
「ほら、怯えている」
「違う……武者震え。アラストルがいれば怖くない。死ぬのも……生きるのも……」
玻璃の瞳は、むしろ生にしがみつこうとしているようにさえ見える。
「そんな情熱的な告白をされちまったら加勢しないわけにはいかねぇなぁ。俺も、敵大将の首とって名を上げたいところだしな」
正直割って入る自信はなかった。けれども、必死な玻璃を見て放っておけるはずがない。どうせ、もうこれ以上の出世は見込めない身だ。元々嫁や孫に看取られるなんて夢は見ていない。ここで玻璃と死んでもきっと後悔はしないだろう。
しかし、玻璃はそんな空気を読んでくれる女ではない。
「首?」
どうして? と首を傾げる姿は実年齢よりかなり幼く見える仕種だ。
「たとえだ、たとえ!」
思わず、溜息が出る。
盛り上がるいい雰囲気だったはずがぶち壊しだ。戦いにはそれなりの空気と興奮が必要だと主張したいが、玻璃の前ではそんな物は何の役にも立たない。
けれども、少なくともセシリオ・アゲロはアラストルの求める空気に乗ってくれるつもりらしい。
「二人揃って愚かだ……この僕に勝てるとでも?」
嘲るように笑う姿は完全な悪役だ。
「やってみなきゃわからない」
そう言う玻璃の瞳に迷いはない。そのまま構えるナイフに力を込める。それと同時に、足下でなにかが蠢き始めた、その時だった。
まるで全方向から包まれるような激しい爆音が響いた。
アラストルは咄嗟に辺りを見回す。それとほぼ同時に瑠璃も辺りを見回していた。
それはこの爆音を立てたのが瑠璃ではないと言うことを明示する行動だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます