間章
「それで? 玻璃に接触したと?」
「はい……」
薄暗い部屋で、セシリオ・アゲロは不機嫌だった。出来の悪い部下は嫌いだが言いつけを守れない養女にはもっと苛立つ。どうも近頃愛養女達は反抗期らしい。思わず瑠璃に向ける視線が氷のように冷たくなってしまったのもきっとこの数日の苛立ちのせいだ。
「余計なことを……玻璃には既に釘を刺しています」
教育方針に口出しをされるのは嫌いだ。それも、養女のひとりの反抗。
そもそも瑠璃は暗殺者としての基礎すら出来ていない。言い方は悪いが、部下としては出来損ない。早々に転職を進めた方が彼女の為だとさえ思う。瑠璃は暗殺者よりは兵士、戦闘員向きだろう。ひっそりと耐え忍び標的を待ち構えるような仕事は向かない。
「でも! 玻璃にあいつは殺せない!」
それは片割れを案じてのことなのか、単に玻璃が離れていくことが気に入らないだけなのか、子供じみた焦りのように見えてしまう。
「なぜそう言いきれるのです?」
暗殺者としての腕なら玻璃は瑠璃の何万倍も優れている。瑠璃が何百年修行したところで玻璃のあの生まれつきの才能には敵いっこない。いくら足りない頭でもそれは自覚するべきだ。仕事には正当な報酬を、才能には相応の評価をしなくてはいけない。それを理解できないようではやはりこの仕事は向いていない。
「玻璃は……雨を待つと……そう言っていた」
瑠璃はまるで拗ねた子供の様な表情で言う。まったく、拾ったあの日からこの子は全く成長しない。思わず溜息が零れる。
「雨? なぜです?」
思わず眉をひそめる。なにかが引っかかる。
「ああ、あの日の……やはりまだ囚われているのですかね?」
アルジェントの一件から、玻璃は雨の日以外仕事をしなくなった。初めのうちは単に瑠璃との相性が悪いだけだと思っていたセシリオも、玻璃の拘りにはなんとなく気がついた。玻璃は気難しい子だ。昔から考えが読めない。けれども誰よりも才に恵まれている。
「玻璃は……シルバに囚われている。もう、夢と現実の区別がつかないところに居るんだ……」
だからなんとか助けろよと睨みつけるように視線を向ける瑠璃にセシリオは溜息を吐く。
セシリオ自身、玻璃を手放すつもりなんてない。折角手に入れ、育ててきた養女だ。あの子ほどの才能には中々巡り会えない。次代の恐怖になれるのはあの子しかいないと確信している。
「そんな……玻璃ちゃんに限って……」
突然の声に驚いてしまう。気配に気がつけなかった。セシリオ・アゲロとしてはありえない失敗だ。
「朔夜? 入ってきてはいけないと言ったはずです」
今にも泣きそうな表情で立っている朔夜を叱ろうとしたが、こんな表情をされては強く叱れない。どうも昔から朔夜には甘くなってしまう。けれども、叱るときは個別に呼び出して叱るべきだ。特に、瑠璃や玻璃のように注意が逸れやすい子供達は。
「部屋の外まで声が漏れていました。瑠璃ちゃん……嘘だと言って! 玻璃ちゃんがそんな……」
心の病気だみたいに言わないでと泣き崩れそうな朔夜に、瑠璃が追い打ちを掛ける。
「アラストルって男を殺せずにいる。普段の玻璃ならありえない」
瑠璃の言うとおり、普段の玻璃ならありえない。一体どんな心境の変化だろうか。あの子の記憶と力は……封じたはずだ。
「アラストル?」
朔夜は一瞬記憶を辿る仕種をし、それからはっとしたように目を見開く。
「まさか……大聖堂に居た銀髪の……」
否定するように首を振りながら朔夜は震え出す。
「朔夜、知らないというのは簡単だ。知っているふりよりは知らないふりの方がずっと簡単だからな」
そう口にしたところで、玻璃のあの妙な様子が気に掛かる。
子供みたいな純真な玻璃は嘘を吐くのが下手だとは思っているが、読めない。
「朔夜はなにか訊かれたか?」
あの男が探りに来たのではないかと思って訊ねるが、小さく「いいえ」と答えるだけだった。
「とにかく……あと四日待っても玻璃が戻らないようでしたら僕が直々に手を下す必要がありそうですね」
セシリオは普段の外見からは想像も出来ないほど不思議な色気を醸し出す笑みを浮かべる。これは……なにかを楽しんでいる。
「セシリオ……お願い、玻璃ちゃんだけは……玻璃ちゃんだけは!」
助けて。必死に縋りつく朔夜は、瑠璃が知らない【女】の用で僅かに嫌悪してしまう。
弱い女は嫌いだ。男に縋らなくては生きられないような女は嫌いだというのに、この
「わかっていますよ。僕のかわいい奥さん。でも……万が一玻璃が邪魔をするようなことがあれば……玻璃も一緒に死んで貰わなくてはいけなくなりそうですね……」
冷たいほど美しい笑みに背筋が凍りそうになる。
この男は本気だ。瑠璃の直感が告げる。
家族に拘りすぎるせいで、家族を離れる者へは容赦がない。
「ま、待って! 玻璃が失敗したなら私が挽回する。だからそれまで待って!」
この男が本気で用なしと判断したのであれば瑠璃の片割れは間違いなく壊されてしまう。そう思えば、必死になってしまう。
玻璃は瑠璃の片割れなのだ。対として、存在し続けなくてはいけない。
「……瑠璃……まぁ、あなたは玻璃の相方ですからね。まぁ、玻璃の期限の後、三日猶予を差し上げましょう。それまでは玻璃に手を貸すことを禁じます。玻璃の忠誠心を試す必要もある。失敗したならそれ相応の対応をしなくてはいけませんが……僕も、かわいい玻璃をあまり苛めたくはないのですよ? しかし、他の部下達に示しがつきませんから……」
ああ、つらいと口にする割に、彼の表情には感情が乗っていない。
恐ろしい。時々この男を人間ではないように感じる。
「……わかった」
納得はできない。けれども従わなければ自分の命さえ守れないだろう。
瑠璃は頷き、彼の様子を覗う。
「玻璃も……ドーリーの名は返上しなくてはならないようですね。あなた方も、そうならないように気をつけなさい。ヴェント、レオーネ」
わざわざその名で呼び、組織の一員であることを強調する。
「はい」
「わかってるわ」
朔夜と二人、感情を押し殺して返事をするしかない。
それでも、彼は返答に納得したようだ。
「それでは、解散です」
そう、手を叩かれた瞬間、全員が方々に散る。
床に転がったつぎはぎだらけの猫の人形だけが奇妙な存在感を放っていた。
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