間章
アラストルが立ち去った後、なんとなく彼が隠し事をしている気がした。嘘の気配というのだろうか。どこか後ろめたさを含むものだ。
けれども誰にでも隠し事のひとつやふたつあるだろう。無理に暴く必要はない。ここは秘密を暴くための場所ではないのだから。
「
印象的な赤毛。いつも突然現れ、その場の空気を支配する。
しかし、その存在にも慣れている。彼という存在は朔夜の特別なのだから。
「朔夜、なにかありましたか?」
もう一度声が響く。
彼は訊ねるくせに、あまり関心がなさそう。彼にとっては朔夜のことを知る必要があるというよりは、こう訊ねるべきだから質問しているのだろう。こう訊ねるのが家族らしいから。彼にとって重要なのは家族【らしさ】だ。
「いいえ、なにも。今日もいつも通り神父様のお話を聞いてきました」
女神の教えを彼は朔夜以上に知り尽くしている。そもそも朔夜がこの国に足を踏み入れる前から、彼は女神を支える一人だった。
「なにか実りは?」
そう訊ねるのもたぶんそれが家族らしいからだろう。
「セシリオ、それを求めるために通っているわけじゃないのよ? あなたには理解できないかしら?」
少し困って笑う。笑って誤魔化す。幼少期からの癖が抜けない。
彼に求められる役を演じたい。期待に応えたい。そう、思っているけれど、目の前のセシリオ・アゲロという男は朔夜の予想から外れた行動ばかりを取る。もう二十年近くも彼と過ごしているというのに、未だに彼の考えを完全に読むことは出来なかった。
「僕のかわいい奥さんが満足するのであればなんでも構いませんよ。僕は。尤も、僕はあなたと違い、そういった信仰心は持っていませんが」
「酷い人」
「今更でしょう?」
そもそも、この女神の教えを与えてくれたのは彼の方だった。拾われた、と言うよりは捕獲されて彼の
セシリオ・アゲロという男は、つまり人間の真似事をしたいのだ。朔夜達を養女に迎えたのは単純に家族の真似事をしたかっただけ。朔夜を妻に迎えたのは夫婦の真似事がしたかっただけだ。むしろ、妻を愛する夫という役が欲しかっただけ。別に相手が朔夜である必要もなかった。ただ、そこに居たから選ばれた。二人の
敬虔な信者の真似事、妻を愛するよき夫の真似事、
人間離れしすぎた暗殺者は恐れられ過ぎたせいで、人間の真似事をしたがるようになってしまった。少なくとも朔夜はそう解釈している。
実際、セシリオはぶっ飛んだ思考回路の自分の基準で
つまりこれはただのごっこ遊びだ。
そう、彼が酷いのは今更だ。
「玻璃ちゃんの情報が入ってこないわ。あなた、なにかしているのかしら?」
数日前から帰ってこない末の
「いいえ、僕はなにも」
真っ直ぐ見つめたところで、彼は動揺もしない。
もともと考えの読めない人だ。訊ねるだけ無駄だったかもしれない。
「僕のかわいい奥さん、そんなに悲しそうな表情をしないでください」
どうやら表情を変化させたのは朔夜の方だったらしい。昔から隠し事が下手だと言われてしまう。
「大丈夫です。きっと玻璃はこちらに戻ってきますから」
安心させるように優しく抱きしめられたところで、安心することが出来ない。
家族ごっこを続けているうちは問題ない。
「……ええ」
「玻璃には裏切れない理由がある」
「……ええ……そしてそれは私も同じ」
そう。同じ。
ぞわりと、本能に訴えかける恐怖のせいで体が震えてしまう。
「あなたは裏切ったりしませんよね? 朔夜」
まるで念を押すように言われる。
「勿論よ。と言いたいところだけど……ごめんなさいね。私は玻璃ちゃんたちのためならいつでもあなたを裏切れるわ」
怖いけれど、彼に嘘を吐けるほど朔夜は不誠実な人間ではない。
なにを考えたのか、セシリオは目を伏せた。
「そうでしたね。あなたは。昔から自分よりも
その微笑みが、少し寂しそうに見え、朔夜もまた困り果てた笑みを向ける。
「ごめんなさいね」
「朔夜、世界の全てが僕の敵であったとしても、あなたにだけは僕のそばに居て欲しいと願ってしまいます」
セシリオは夢想家。御伽話の中で生きている人だから、自分の理想を作り上げようとしている。
「それは無理よ。私はあの二人を守るためだけに生かされた存在。私はまだ彼女との誓いを果たしきれていないの」
遠い昔の記憶。なにと引き換えだったかは、既に覚えてはいない。けれどもその約束がとても大切だと言うことだけはよく知っている。
その覚悟に気がついたのだろう。セシリオは溜息を吐いた。
「嘘でも「そうしましょう」と答えて欲しいところだったのですが……あなたは相変わらずあの女の言いなりですか? 魔女なんて信用するものではありませんよ」
「あら、私だって魔女みたいなものじゃない?」
「あんな悪女とは一緒にしませんよ。僕はいつの日かあの女を殺します。それでもあなたはあの魔女を信頼するのですか?」
セシリオはあの魔女が嫌い。自分だって彼女を頼ることもあるくせに、嫌っている。
「ええ、あなたよりはずっと」
「酷い人だ」
「今更、でしょ?」
お互い視線が合い、笑い出す。
今はまだ大丈夫。こうやって家族ごっこを続けている。
まだ大丈夫。
二人の笑い声を聞いた部下達が怯えている。その事実に気付かないまましばらく二人は笑い合った。
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