第五章



 その日は朝から慌ただしかった。久々の仕事だ。アラストルは仮にもボスの補佐。実力は組織の二番手。実務としてはボスがめんどくさがって押しつけてくる書類仕事の方が圧倒的に多いが、その日は違った。現場の仕事だ。

 書類仕事だけならば家に持ち帰って玻璃の様子を覗いながらこなすことも出来る。だが現場となれば話は違う。アラストルとしては当然現場の方が好きだ。それも、戦闘員として活躍できるような体を思いっきり動かす仕事が。そもそも戦士になるためにナルチーゾの片田舎から王都に出てきたのだ。しかし、今日の仕事はどうも気が乗らない。けれども生活の為には金が必要だ。

 長期休暇で旅をしたせいで貯蓄は大分減ってしまった。それでなくても新しい物が好きなアラストルは特に自動車の改造部品と盗難防止の魔道具で収入の大半を使ってしまう。つまり、このまま玻璃をここで養うとなれば書類仕事の定額だけでは懐は心許ない。あの食欲を見れば、多少気に入らなくても現場の仕事をもっと増やすべきだ。

 当然のようにこのまま養うことを考えている自分に笑ってしまう。けれど、この生活も悪くない。


「玻璃、出かけてくる」

 当たり前のように長椅子を自分の居場所と占領している玻璃に声を掛ければ、まるで猫のような仕種で伸びをしながら返事がくる。

「うん」

「絶対家から出るなよ?」

 一応命を狙われているのだ。標的はアラストルとは言え玻璃にだって危険がないわけではない。

「うん」

「カーテンも閉めろ」

「うん」

「間違っても窓から顔出したりするなよ?」

「うん」

 アラストルは何度も玻璃に念を押した。しかし玻璃はちゃんと話を聞いているのかいないのか、やる気のない返事だけが返ってくる。

「どこ行くの?」

 ようやく違う音を発したと思えばまるで留守番を嫌がる子供のようなことを訊ねる。

「仕事だ」

 建前上は一応敵対組織に所属しているのだからあまり詳細を明かすべきではない。そもそも護衛にしろ暗殺にしろ、守秘義務がある。たとえ依頼人が気に入らなかったとしても。

「剣士?」

 言葉が少なすぎて質問の意味を理解するのに数秒時間が必要だったが、剣士の仕事かという意味だろう。

「ああ、お偉いさんの護衛だとよ。まあ、あんな奴が死のうが生きてようが俺たちには関係ない。金になるかならないかが問題だ」

「そう?」

 玻璃はさして興味がなさそうにお気に入りの長椅子の上で丸くなる。

「寝てる」

 ついでに毛布まで被り始めた。年季の入った赤い綿毛布は故郷から持ってきた物だった気がする。最後に洗ったのはいつだったか。年頃の娘に被らせるような品ではないななどと考えつつも、呆れてしまう。

「……お前なぁ……まぁ、暇なのは分かるが……本を読むとかいろいろあるだろ?」

 生きていく上で教養ってのは大事なんだぞと言いたくもなってしまう。時間は有限だ。玻璃の若さならまだ吸収力がある。昼寝で時間を浪費するのは勿体ないなどと思ってしまう。

 一応服にはそれなりに拘りがあるようだが、玻璃はそれほど外見に気を遣っていない。ただ、毎日長い髪を丁寧に編み込む習慣があることは知っている。それに習慣なのか一応化粧もしている。それでも一般的な女というのはもう少し、男の前で気を遣ったりするものではないかと考えてしまうのは既にアラストルが老いているということだろうかなどと考え、必死に頭の中から追い出す。

 まだ歳という程じゃない。まだまだ現役、のはずだ。

「アラストル、自分の部屋を見てから言って頂戴。本なんて、聖典すらないわ」

 硝子玉のような瞳で大袈裟に驚いたような表情を作る玻璃。

「そりゃ神なんて信じてねぇからな」

 玻璃に言われて初めて気がつく。

 男の一人暮らしにしたってアラストルの部屋は物が少ないかもしれない。家具は食器棚と長椅子、簡素な寝台と小さな机。それと書類棚の上に電話があるくらいで本はない。棚の中は本当に仕事に使う資料がある程度で玻璃が暇を潰せそうな娯楽本の一冊も置いていない。それどころか雑誌すら数年購入した記憶がない。読み物と言えば新聞程度だ。

「神様なんて居ない。だけど……朔夜さくやはいっつも聖堂で祈ってる」

 玻璃の声色から感情を読み取るのは難しい。ただ、家族が恋しいのだろうかと思わせるなにかはある。

「姉さんか?」

「うん。朔夜はいっつも神様になにかをお願いしてるんだ」

 玻璃はなにを思っているのかわからない。ただ、静かにそう言うだけだ。

「ねぇ、絵の具とか無いの?」

 暇つぶしと、思い出したように訊ねる。

「生憎絵を描く趣味はねぇからな。ペンなら在るが……」

「それ貸して」

 玻璃は手を出し万年筆を受け取り、新聞に挟まっていた広告の裏に絵を描き始めた。

 絵のことはよくわからない。けれども夢中になってくれているならその方がいい。

「大人しく留守番してろよ」

 そう声を掛けたが、既に玻璃の耳に音は入っていないようだ。




「くだらねぇ……」

 アラストルが護衛を依頼されたのはディミトリス・カファロという貴族だった。外見の印象としてはどんくさい。肥満傾向で成金趣味といったところだろうか。ちょこんと顎の先だけ髭を伸ばしているのはかなりの流行遅れだ。たしか五十年くらい前に流行っていたはずだ。

 国王に気に入られているだかで金遣いが荒く、貴族の義務も果たさずに好き勝手に振る舞っている彼を国民が許すはずもなく、とにかく嫌われているだけの男だった。尤も、気まぐれで殺されることも多い国だ。好かれても嫌われても結果はさほど変わらない。

「そこの君、カファロ様の前でそのような汚い言葉を使うのはやめなさい」

 従者らしき男が顔をしかめる。

「わかりましたよ、依頼人。で? 今日はこれからどこへ向かうんですか?」

 命を狙われていると思っているなら家から一歩も出ずに寝台の下で大人しく震えていればいいと思ったが、口に出して報酬が減るのは嫌なのでなんとか思いとどまり口には出さなかった自分を褒め称えたい。

「大聖堂だよ。今日は丁度祭りだ。そこでカファロ様のご挨拶がある」

「取り消せば良いだろ? そんなわざわざ自分から命を狙われにいくようなモンだろ」

 わざわざ嫌いな貴族の挨拶なんて聞き行くやつもいないだろう。この場所でそんな予定を組むこと自体、アラストルには理解できない。

「国王様から直々に指名されてしまってな。だから、わざわざ君に護衛を依頼したのではないか。クレッシェンテ一の剣士、アラストル・マングスタにね」

「そりゃどうも」

 アラストルはこのディミトリス・カファロという依頼人が嫌いだった。

 税金を使って贅沢三昧な生活をしていることが目に見えているからだ。

 なにより、目つきが嫌いだ。初対面の時点で舐め回すように全身を見て、軽く舌打ちをしてきた。

「ただの護衛にしちゃ報酬が多すぎる。何か裏があるんじゃねぇのか?」

「いや、ただの護衛だよ。ただ、犯行予告があったからね」

 カファロはそう言いながら髭を撫でる。視線はアラストルの体を値踏みするように眺めたままだ。

「なんでも、巷で噂の女殺し屋が犯行予告をしたらしい」

 従者だかの男が言う。

「女殺し屋?」

 嫌な話だ。確かに殺し屋は人気の商売だ。基本的には依頼を受ける側の方が力が強い。つまり、客に媚を売らずに済む。人付き合いが苦手で腕に自信があるやつは大抵選ぶ職業だ。つまり、男女だけで特定することはほぼ不可能。

「ああ、詳しくは知らないが……何せ誰も姿を見たことがないらしい」

 しかし、犯行予告をすると言うことは、なにかしらの情報が残っているはずだ。

「姿を見た奴はみんな消すってか? まさかその女……黒い髪に赤い瞳の女じゃないか?」

 まずは心当たりの一人、玻璃の外見を告げてみる。しかし相手は全く情報を持っていないようだ。

「知ってるのか?」

「少し見たことがあるだけだ」

 アラストルは家に置いてきた玻璃のことを思う。

 だいぶ大人しく言うことを聞くようにはなったものの、玻璃はアラストルを殺すように命じられている。敵対組織にいる。安全だとは限らない相手だ。

 ひょっとしたら隙を窺っているだけなのかもしれないと思わずにはいられなかった。




 祭りというのはまた盛大なものだった。この国の人間は祭りが好きだ。馬鹿騒ぎも好きだし、とにかく自分が楽しむという主観的な行動を取りがちで、自分が楽しめれば他人がどうなっても構わないという人間も多い。つまり、他国の人間には非常に危険な国だ。

 いつもの広場が全くの異空間のように思えるほど華やかに飾り立てられた広場には沢山の屋台が並んでいる。今回は異国の商人が多いらしく、異国の品が数多く並び、その珍しさに買い求める人間も多い。

 そして大聖堂の前には大きな舞台が作られ、今はそこに道化師が居る。白塗りのにやけ顔が子供達に色とりどりの風船を配っているところだ。

「芸人まで呼んだのか。随分派手にやっているねぇ」

 カファロは呑気にそんなことを言う。危機感がない。それどころか、視線が子供に向いている気がする。それも、少年に。

 アラストルは思わずため息を吐いた。

「……俺はもう二度とあんたの護衛だけは引きうけねぇ……」

 最初に会った時点で直感はしたが、この男は間違いなく性癖の方に問題がある。

「ああ、私ももう二度と君にだけは依頼しないよ。君はつまらない。まぁ、剣士としての腕には期待することにしよう」

 そう言う割に、舐め回すように体を見てくるのが気持ち悪い。

「……勝手にしろ」

 別にお前なんかに評価されても嬉しくねぇよとアラストルは心の中で零す。


 大聖堂の時計を見ると、犯行予告の時間まで丁度残り一時間だった。



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