第4話 還都

 吾輩は猫のようなものである。しかして、今は彼らの敵である。

 吾輩が猫カフェ「ホトトギス」に収容され、早一週間。もちろん、人間からしたらほんの瞬き、睫毛の先程に短いやもしれないこの一週間は、吾輩にとっては苦労の連続であった。

 ちなみに、吾輩にとってホトトギスでの日々は既に過ぎ去った、文字通りの過去のものである。それを、忘れないうちに思い返しながら、得るべく教訓を探しているに過ぎない。吾輩の身体と言える部分はホトトギスというアウシュヴィッツから解放されていて、ただ、記憶の中でのみ彼の地を放浪するのみである。

 吾輩は燦燦と降り注ぐ木漏れ日が、体のキジ三毛模様の毛を照らすさまをのんびりと眺めながら激動の日々を思い返した。


 そう。あの時も、今とそう変わらない天気だったはずだ。なぜ、「だったはず」などと曖昧な表現を用いたかというと、吾輩は外の陽気も知れぬ場所に居たからだ。勿論、件のトキワビル三階の猫カフェ「ホトトギス」である。

 トキワビルは、その一階にハ虫類カフェ。そのまた上の階にはフクロウカフェが縦に並んでおり、猫カフェ「ホトトギス」と合わせて三重動物カフェと安直に呼ばれているとかなんとか。吾輩からすれば、生態系ピラミッド此処に在りといった具合にしか見えない。吾輩は生態系から外れた位置にひっそりとしている身なものだから、とんでもなく血生臭いビルによくもまあ巻き込まれたものである。


 なお、完全に蛇足で補足で舌足らずではあるが、吾輩が生態系から逸脱している一つの理由として、生きている状態と死んでいる状態が半々のアレのような状態だからというものがある。シュレなんとかに関しては、諸君らは耳にタコが出来る程聞いただろうから割愛する。


 そんなわけで、吾輩は生態系の頂点にも、ビルの頂点にも胡坐をかいて鎮座する「ホトトギス」にいた訳だ。

 ペットケージで運ばれている最中、吾輩は人間の都合で勝手に拉致された身であるから、その分ただ飯を食らうべく、この確保作戦の責任者に対して唯我独尊、強談威迫といった態度をとろうとしていた。吾輩はその考えを至極当然で、当たり前の話だと今でも固く信じている。

 だが、そうはいかなかった。

 猫カフェという場所に、猫と言い切れはしないものの、おおよそ猫らしいものがちょこんと居座っている訳であって、そんなものが縫い包みのように動かぬ訳にはいかなかった。看板猫が、本当に看板のように動かない訳にはいかなかった。……看板猫は少し誇大広告だったから取り消そう。

 ともかく、その猫カフェ「ホトトギス」には、労働を強制する力が働いていたのである。力とはその場の猫を統率する、いわばボス猫であり、それもまた労働していたのである。


 全くの余談だが、力を英語に言い換えるとforceフォースとなり、なんだか宇宙にまで響きそうである。猫は宇宙にまでそのミームを伸ばす訳だ。……どういう訳なのだろうか。


 話を戻そう。さてさて吾輩はペットケージからぬるりと「ホトトギス」の地に足を着けると、早早と自分が自分らしく存在できる場所を見つけ出してそこに収まった。

 キャットタワーによって狭まった部屋の角である。そこから、意識を現実から切り離し、自信を猫のような縫い包みのようなものであると念じ始めた。

 吾輩が野良として採用している生存戦略として、適者生存がある。場に合わせて柔軟に、自分が楽に振舞えるように考え方を変えるのだ。吾輩は猫のようなものなので、どちらかと言えば猫の縫い包みの方が近い存在なのだ。こうすれば、全く動かなくても人間からせっつかれない。上手くいけば、人間が縫い包みを洗濯するタイミングで脱出できるやもしれない。

 するとその風林火山的怠惰をいち早く察知したのか、先住の猫であるテャーシャに猫パンチを食らったのである。吾輩の深淵なる策略をあっさりと見抜いたこの猫、テャーシャこそがこの猫カフェ「ホトトギス」のボス猫である。

 吾輩は性質上、常に存在するわけではなく、さっきまで触れていた筈が、次の瞬間にはすり抜けたり不安定な面がある。しかし、テャーシャはそのカオスな周期を的確に読み取ったのか、単に運が底なしに良かったのか、全ての猫パンチを成功させた訳だ。実に不可解である。これが銀幕の宇宙に轟くforceとやらの威力なのか。アーメン。

 吾輩はもはやメッカであり、安住の地となったその部屋の角を自陣として構え、いわおの様に丸まっていたところを何度も殴打され、渋渋泣く泣く、そのほかの面面たる先猫に囲まれる中央へと押し込まれるように移動させられた。

 中央に躍り出た吾輩は猫たちの視線を一手に集めた。しかし、「渋渋泣く泣く」と表現したものの、吾輩は別に視線を集めることに関して苦手という訳では無い。単に状況というものに束縛されることが嫌なだけである。吾輩は意味も無く自由を体現したいのだ。

 それから、テャーシャは吾輩が一体何者で、どういった要件で来たのか説明するように無言で促した。別にこのような場でやらなくとも、吾輩がここのボスであるテャーシャにあれこれ説明するだけで良いのではないのだろうかとも思ったのだが、昨今の政治的事情から、情報はオープンであるべきなのだろう。人間社会の変化に合わせて、猫社会も変わっていくである。


 しかし、その社会を構成しているのは、僅かであっても野生を残している猫である。早速、一猫ひとねこから「ヌァーオ」と半ば威嚇気味に言われた。そう言われても吾輩は「ny-ア」としか返事する他ない。吾輩は来たくてここに来たわけではないからだ。

 だが、その返事が気に障ったのか、「ヌァーオ」と発言した猫は続いて「ア゛ーォ」と語気を荒げた。他の猫たちも一斉に不満を露骨に乗せた鳴き声を浴びせてくる。吾輩はオウムのような繰り返しだが、「nyーア」と再び返事をした。そこで、ボス猫テャーシャが仲裁に入る。

 「フンス」

 もはや、鳴き声というよりは鼻息の域だったが、その一声、その一息で血の気の多い猫たちは身を竦め、一歩後ろへ引き下がり爪と髭を大人しくさせた。それからテャーシャは付いて来い、と言わんばかりに「フスッ」と音を立てて歩き出した。鎧袖一触、威風堂堂たる姿は正にボス猫と言えるだろう。


 ちなみにだが、吾輩は彼らの言葉を一つも理解できなかった。相容れないという訳では無く、吾輩は猫語を知らないのである。ここまで、すべてフィーリングで動いている。それでも何とかなるのが世の中というものだ。


 テャーシャは尻尾をゆらゆらと揺らし、店内に飾ってある「ルイス・ウェイン」の絵画の下、壁紙の境目に座り込んだ。そして、何度か小刻みに猫パンチを繰り出した。すると、壁紙の境目が徐々に広がっていって猫一匹分の薄暗い洞窟が現れた。吾輩は、この自分以上に奇妙な現象に暫く目を疑った。サイケデリックな絵画に酔ったのだろうかと思い、何度か瞬いたが洞窟は確かに存在していた。……欠陥住宅ということにすれば良いのだろうか、この奇術は。

 吾輩が壁に空いた洞窟の前で驚き二の足を踏んでいると、「何をしているんだ。早く行きな」と言った風に「フンス」と鼻を鳴らした。もしかすると、「働かないものは不要だ。早く出ていけ」と言っていたのかもしれない。どちらにせよ、吾輩はこの窓のない部屋から脱出する道を手に入れた。


 まあ。吾輩は分からぬ問題を抱え込まない主義だ。なんせ、自分の正体も放り出しているくらいだ。吾輩はテャーシャの気が変わらぬうちにと、猫一匹分の狭くて薄暗い洞窟に体を押し込もうとしたのだが、その直前。吾輩と洞窟の間に一匹の猫が割って入ってきた。先程、吾輩と対立した猫である。正確には、対立したと吾輩が捉えている猫である。忘れようも先程のことで、はっきりくっきりと見覚えのある白黒はっきりとしたぶち模様だ。

 ぶち猫は吾輩の目の前に立ちふさがったまま、果敢にも恐ろしいボス猫テャーシャに何かを訴えかけた。だが、テャーシャが恐いのか中途半端に及び腰で、うごにゃごした鳴き声を正確に聞き取れた訳では無いし、仮に聞き取れたとして理解は出来なかったのだが、おそらくそのまま何事も無く吾輩が外へ出ることに反対しているようだった。

 大方、吾輩がなんの代償も無いままに「ホトトギス」から脱出すると、他の猫たちが納得しないといった内容だろう。

 意外にも、先程とは打って変わってテャーシャはその訴えを一蹴することなく聞き入れ、吾輩に向かって再び「フンッ」と鼻を鳴らす。どうやら、吾輩はこの店で一日働かなければ出ることは叶わないようだ。ボス猫も猫たちを束ねる為には、常に我を通す暴君でいる訳にはいかないらしい。猫であれ、人間であれ、社会性を持つと顔を立てなければならない。全く、面倒である。


 そして、吾輩はほとんどの猫としこりを残したままギスギスとした猫カフェ勤労を這う這うの体で終えた。


 これが物語だったなら、吾輩は他の猫たちと交流を深め、最後には涙さえ見せたのかもしれない。吾輩に涙腺があるのかないのかはさておき、たった一日でそんなに仲良くなれる程、世の中は甘くないのである。吾輩は散々周囲の猫に気を使い、それでも眉間に皺を寄せられながら、カフェにやってくる人間たちの手に向かって猫パンチを繰り出した。

 吾輩の意図とは無関係に、猫たちとの関係性はあまり良くならず、逆にカフェにやってきた人間の客は面白がって吾輩を撫でようとした。

 「智ちに働けば角かどが立つ。情じょうに棹さおさせば流される。意地を通とおせば窮屈きゅうくつだ」とは良く言ったものだ。誰だか忘れてしまったが吾輩の根幹を成す人間だった気がする。


 そんなこんなで、あらゆる疲労でクタクタになった吾輩は、その日の終日、再びテャーシャに洞窟を開いてもらい(いつの間にか閉じてあった)、他の猫の見送りは無しに外へと脱出した。最後に聞こえたのは「フンス」というテャーシャの鼻息だ。おそらくだが、「とかくに猫の世は住みにくい」とでも愚痴をこぼしたのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る