さらばシベリア鉄道
また時は流れて、8月14日のことであった。
5つの私は、施設長さんたちと一緒に中国に入国したあと、複数の鉄道を乗り継いで第五国・ソヴィエトに入国した。
朝8時50分頃に、一行が乗っている列車がウラジオストク(ヴラヂヴァストークとも言う)の中央駅に到着した。
到着した列車から降りた一行は、モスクワへ行く寝台列車に乗る時間までの間、ウラジオストクの街並み散策に出かけた。
ウラジオストクの地名の由来は、ロシア語で『東方を征服せよ。』である。
『日本に一番近いヨーロッパ』のウラジオストクは、ムラヴィヨフ・アムールスキー半島の南端に広がる丘陵地帯にあって、両端にアムール湾とウスリー湾の2つの湾が面している人口60万4901人の極東ロシアの港町…
一行はまず、スヴェトランスカヤ通りに面した中央広場にやって来た。
この日は日曜日で、朝市が開かれていた。
広場には、たくさんの店のテントが立ちならんでいる。
カニやサーモンなどの海産物・野菜・山菜・ベリー・ハチミツなど…
地元で生産された特産品を売る店が広場にたくさん並んでいる。
一行は、朝市が立ちならんでいるテントの付近の通路をゆっくりと歩いた。
その後、一行は噴水通り(アドミラーラフォーキナー通り)~ニコライ2世凱旋門~鷺の巣展望台~トカレフスキー灯台など、ウラジオストクの街並みをたくさん見て過ごした。
私たちがここ(ウラジオストク)へ来た当時は、ソヴィエト軍の海軍基地の街であった。
そのために、外国人の来訪は禁じられていた。
どういうイキサツでここへ来たのかと聞かれても、よく覚えてへんけんお答えできません。
(ボーッ、ボーッ、ボーッ…シュシュシュシュ…ゴトンゴトン…)
夕方6時50分頃、一行はシベリア鉄道の寝台列車『オケアン』号に乗って、ウラル山脈の向こうのヨーロッパを目指した。
『オケアン』は、ロシア語で『大洋』と言う。
5つの私は、施設長さんとなみさんと一緒に4人用のクペ(ブルートレインの2等寝台車にあたる車両)で過ごした。
ウラジオストクからモスクワまでの所要日数は7日間…
営業キロが9000キロ…
陸路だけでヨーロッパへ移動するのはホンマにくたびれるわ。
ウラジオストクを出発してから三日目の朝、列車はヴァイカル湖の付近にさしかかった。
(シュシュシュシュ…ボーッ、ボーッ…)
施設長さんは、5つの私にやさしく呼びかけた。
「よーくん、ほらみてみて、真っ白な雪に染まっているおっきな湖よ。」
ワアー、きれいだ…
真っ白な雪に染まっている湖畔だ…
5つの私は、雪景色に染まっているヴァイカル湖の風景をみてよろこんでいる。
「よーくんみてみて、湖のほとりに白鳥さんたちがたくさんいるよ。」
ワアー、白鳥さんだ…
白鳥さんがたくさんいる…
5つの私は、食い入るようなまなざしでヴァイカル湖の風景をながめている。
このあとも、私は窓に写っているシベリア平原の風景をながめて過ごした。
ウラジオストクを出発してから五日目の午後に、一行が乗っている寝台列車はウラル山脈を越えてヨーロッパ側へ入った。
一行は、8月21日頃に終点のモスクワに到着した。
その後、一行はモスクワから長距離列車に乗り継いでサンクトペテルブルグへ向かった。
サンクトペテルブルグに到着後、国際列車に乗りかえてフィンランドへ向かう予定であった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます