独占的

01 愛が足りない

 一緒にいられたのはたった一年。春の訪れと共に鷹くんは高校を卒業していき、大学生になってしまった。

 僕も卒業したら同じ大学に行きたいと思っていたのだけれど、鷹くんは服飾専門の大学に入ってしまったので、あとを追うに追えない。


 興味もないのに追いかけてきたら別れるからな、と前置きされたのでいまは諦めている。

 将来はデザインや縫製なんかの仕事をしたいって言ってた。鷹くんは昔から頑張り屋さんだし器用だから、きっと夢を叶えちゃうんだろうなぁと思う。


 毎日山のような課題とにらめっこして、かなり充実した大学生活を送っているようだ。


 そのあいだの僕はといえば、夢も希望もないまま高校二年の秋を迎えた。去年までの浮かれた気分は一転して、高校に入る前の人見知りで陰気な僕に逆戻り。結果、鷹くんに構ってもらえず時間を持て余して、バイトなんかを始めている。


 個人経営のちょっとおしゃれなカフェで、時間を潰すには丁度いいくらいそこそこ忙しい。勉強は頑張らなくてもそれなりに出来てしまうので、最近はほとんどバイトばかりしている。


 だけど日に日に鷹くん不足はひどくなっていく。最後に会ったのいつだったっけ? そんなことを考えるとため息ばかりが口からついて出た。

 鷹くんは夢中になると周りのことが見えなくなるから、悔しいことに僕にしばらく会っていなくても全然平気なんだ。


 僕は毎日会いたくて会いたくて仕方ないのに、電話もメールも全然返ってきやしない。


「城野(きの)くん、お疲れ様」


「ああ、お疲れ様」


「今日も忙しかったね」


「うん」


 更衣室でぼんやり携帯電話を見ていたら、ふいに顔をのぞき込まれた。背が小さくて、顔が小さくて、目が大きい。ほかのやつらに言わせると、とびきり可愛いらしいと評判の女の子だ。

 お前に気があるみたいだぞ、なんてどうでもいいことを耳打ちされたけれど、正直まったく興味がない。


「あ、あのね。今日これから、谷崎くんと佐々木さんとご飯に行くんだけど。城野くんも一緒にどうかな?」


「……」


「あ、ごめん。なにか用がある? えっと、無理ならいいんだよ。突然だったしね。ただもしよかったらって思って」


「いいよ」


「あ、うん、そうだよね。……えっ? いいの?」


「うん」


 目の前で百面相しているその子を、なんの感情なく見ながら、どうせ早く帰ったところで鷹くんに会えるわけじゃない、と息をついた。

 行きたいわけじゃないけれど、暇つぶしだと思えば気が紛れるだろう。僕の気のない返事にも跳ね上がるように喜んでいるその子の名前は、さっぱり思い出せないけど。


 基本鷹くん以外どうでもいい。興味ないし面倒くさい。友達? そんな付き合いするくらいなら鷹くんといたい。でも僕のこの気持ち、どのくらい鷹くんに伝わってるんだろう。

 いつも十回好きって言っても、返ってくるのはそのうちの一回あるかないかだ。鷹くんは本当に僕のこと好きなんだろうか。



 嫌なことを考えてひどく胸が苦しくなった。外へ足を踏み出すと、吹き付けてくる風はやけに冷たくて、なんだか胸に出来た傷口がヒリヒリ痛んだ気がした。


「城野が来るなんて初だろう。うちの店に入って半年以上経つのに、いままで一度も誘いに乗ったことなかったよな」


「気まぐれでも嬉しいわぁ。南ちゃんが誘ったおかげかしら」


 バイト先の店を出て駅前で待ち合わせの二人と合流した。前を歩くのはいつも賑やかしい印象のある男。兄の明博とつるんでいたやつらによく似た雰囲気がある。


 大きな声で喋り、大口を開けて笑う。普段からキッチンを覗かなくてもこの男がいるのがわかるくらいだ。二十歳を超えているらしいが、あんまり落ち着きがなさそうに見える。


 その隣で澄ました顔をしている女は、地味目で控えめそうに見えて結構な仕切り屋。仕事中もあれこれとスタッフを手駒のように使っている。

 だけど派手さがないのが功を奏しているのか、真面目で頼り甲斐がある、などと言われている。それに対し謙虚に笑ってみせるが、眼鏡の奥にある目は結構強かだと思う。


「そりゃあもう、南川さんに誘われたら行きたくなるよな」


「谷崎くんは可愛い子なら誰でもいいんじゃないの?」


「佐々木さんひでぇなぁ。誰でもよくないって。やっぱり特別可愛い子じゃなきゃな、だろう?」


「……僕は付き合っている人がいるんで、興味ないです」


 さも当たり前みたいな顔をして振り返るけれど、人の好みなど人それぞれ。相手に自分の好みを強要されても困る。しかしきっぱりと言い切ったら、谷崎はあんぐり口を開け、佐々木は振り向き目を大きく見開いた。


「え? なに、城野って恋人いたんだ? 毎日びっしりシフト入ってるからてっきり。ああ、でもそうだよな。この超絶イケメン放っておく女はいないよな。お前うちの店で歴代一位の男前って言われてんだぞ」


「えー、でも毎日バイト漬けで相手の子は寂しがらないの?」


「別に、向こうは忙しいので」


「あ、もしかして年上? 大学生? 社会人? 生活が違うと時間のすれ違いも多いよな」


「だけどあんまり忙しいからってほったらかしは駄目よ」


 水を得た魚みたいに食いついてくるのが鬱陶しい。今日の選択、間違えたかな。適当に喋ってるのは聞き流せるけど、自分のことを根掘り葉掘り聞かれるのは迷惑だ。なんでそんなに他人の話を面白おかしく話せるんだろう。


「あ、あの! 谷崎くん、佐々木さん。今日のお店ってなにが美味しいんですか?」


「ん、ああ、ビーフシチューは絶品だぜ」


「確かに。でもオムライスも美味しいわよ」


「そうなんですか! 私すごく楽しみです!」


 いままで大人しく隣を歩いていた子は、急に蓋が外れたみたいに話し出した。少し前のめりなくらいの勢いで、二人のあいだに入っていく。

 あきらかに不自然なのは僕にでもわかるのに、前を歩く二人はそれに気づく様子もない。しかしうまい具合に話がそれたので、これ幸いと素知らぬふりをして歩くことにした。


 三人の後ろを黙々と歩き、ふと視線を周囲へと向ける。もう暦は十月の終わり――街のいたるところでハロウィンの飾り付けがされていて、随分と賑やかさが増している。でも煌びやかさに照らされた薄明るい夜空はなんだか落ち着かない。


 普段からどこへ行くにも直行直帰。ぶらぶらと街中を歩くのも好きじゃないから、こうして人混みを歩くのは僕にしてはかなり珍しい。ウィンドーショッピングとか意味がわからないし、外でお茶するくらいなら家でまったりしたいと思う。


 いつだって僕は一人でいるのが気楽だ。でもだからなのか、鷹くんと二人で出かけたこともあんまりない。

 道行くカップルをなにげなく視線で追いかけ、あんな風に並んで歩くことが全然なかったことに気がついた。たまに会ってキスして、セックスするだけ。


 その繰り返し。でもなんかそれって恋人じゃなくても出来そう。


 ああ、鷹くんに会いたいなぁ。ああ、なんで僕、こんなところにいるんだろう。興味の湧かないつまらない時間を消費するくらいなら、会いに行けばいいじゃないか。

 一目顔を見るだけだっていい。ちょっと抱きしめられればそれだけでも充分なはずだ。


「ごめん、帰る」


「え?」


「あ、ちょ、城野くん!」


 思い立ったら黙っていられなくなった。踵を返して駅へ足を向ける。背後で呼び止める声が聞こえるけど、ろくに返事もしないまま歩き出した。

 けれど少し足早なくらいのスピードで進んでいた僕の後ろから、か細い声が聞こえてくる。


 百メートルは過ぎたと思う。立ち止まって振り返ると、息を切らした彼女がいた。名前は、確か南川さんだったっけ?


「あ、あの、城野くん」


「……」


「ごめんね、気分悪くしちゃったかな?」


 白い頬を赤くして肩で息をする彼女は、どこか必死な顔で僕のことを見上げる。その眼差しをしばらく見つめて、ため息と共に僕は肩をすくめた。


「そういうわけじゃないよ。ただ単に、帰りたくなっただけ」


「あ、うん、そっか」


「南川さん、僕のことは気にしなくていいよ。さっきは話そらしてもらって助かったけど、無理することないと思う。ああいうのそんなに得意じゃないんでしょ」


「え? あ、あはは、やだなぁ。全部バレバレとか恥ずかしい」


 一瞬大きく目を見開いたけれど、彼女はすぐに誤魔化すように笑みを浮かべた。そして少し困ったように眉を寄せて目を伏せる。目の前に立っているのが僕じゃなかったら、きっといじらしくて可愛らしいなんて思ったりするのかもしれない。


「さっきも言ったけど、僕は付き合ってる人いるから」


「あー、うん。ごめんね。煩わせちゃって。でも急だったから、まだちょっと整理が出来てなくて。図々しいこと言うんだけど、ごめんなさい。もう少しだけ好きでいること許してください」


「君、趣味悪いね。僕なんかいいところないと思うけど」


 深々と下げた小さな頭を見ながら、思わず大げさに息を吐き出してしまった。よりにもよってこんな他人に関心のない男なんかを好きになるなんて、物好きにもほどがある。


「そ、そんなことないよ! 城野くん、無関心そうだけどすごく相手をよく見てる。人の機微に敏感だから、相手に嫌な思いをさせたことほとんどないし。自分が嫌なことがあっても顔には絶対出さないし、すごく気の回る人だってみんな褒めてた。城野くんは自分が思ってるよりまっすぐで誠実な人だと思うよ」


 それはただ単に面倒なことが嫌だからだって訂正したくなったけど、それも面倒くさいので言葉にするのをやめた。そんなことを言ってもきっと彼女には伝わらない。いま目に映る僕はおそらく彼女の中で色をつけられている。


 それは恋の盲目フィルター。目に映るすべてが色鮮やかで輝いて見える。僕にも覚えがあるものだ。目の前が塗りつぶされて、それ以外目に入らなくなる。

 目に飛び込んでくる一つ一つが、キラキラと光を含んで目を奪われてしまう。


 好き、愛してる――そんな感情で胸がいっぱいになって、その想いに溺れていく。沈み込んでいくのにも気づかないくらいに、馬鹿になってしまうんだ。


「僕は、あの人がいないと息も出来ないくらいなんだ。離れてしまうくらいなら、壊してでも繋ぎ止めたいって思うくらい。だから僕はこれから先も誰かによそ見をすることなんてないよ」


 息を飲み込んだ君の綺麗な感情なんかとは比べものにならないくらい、僕の感情は暗くて重い。深く深く根を張ったその想いはそよぐ風なんかじゃ解けたりしない。もうずっと前から僕の中には彼しか残っていないんだ。


「悪いこと言わないからやめておきな。時間の無駄だよ」


 俯いた頭をしばらく黙って見つめた。肩が小さく震えて、握りしめた手にぽつりぽつりとしずくが落ちる。だけど僕はなにも言わずにそのまま彼女に背を向けた。

 いまここでなにをしても、なにを言っても慰めにはならない。優しさなんてただの自己満足で、残酷なものだ。


 賑やかで鬱陶しい街から一刻も早く離れたくて、僕は上がる息を抑えながら先を急いだ。

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