独り占めしたい

葉月めいこ

 

独占欲

 僕にはそれはそれはもう可愛くて仕方がない恋人がいる。小さくてキラキラでちょっと素直ではない二個上の彼氏。普段は無口で、視力が弱いので眉間にしわが出来て目つきが悪い。


 それゆえに周りからは怖がられることが多い。しかしいざベッドの中となると、胸がキュンキュンするほどに可愛くて仕方がない。

 あまり陽に焼けない白い肌はシミ一つなく綺麗で、その肌はキメが細かく触り心地がいい。白い肌が朱色に染まるのを見るたびに、僕の胸の高鳴りは止まなくなる。


「……臣、和臣」


 そうそう、情事の最中に小さく僕の名前を呼ぶ声が甘やかで、堪らない。


「鷹くん」


 名前を耳元で囁き、くすぐるように指を身体に這わせれば小さく肩を震わせる。微かに潤んだ瞳で僕を見上げるその視線に、何度となく僕は理性を吹き飛ばした。


「和臣っ、起きろっ」


「いっ、痛っ」


 突然背中に感じた痛みに身体が跳ね上がった。驚きのまま辺りを見回せば、先程まで目の前にあった鷹くんの艶めかしい姿態はなく、自宅のこたつでうたた寝していたのだと気づく。

 そして痛みを感じる背中をさすりながら背後を振り返ると、そこには僕をじっと見下ろしている人がいた。


 僕はそんな彼を見上げ目を瞬かせた。普段はセットしてツンツンに立てている金色の髪が今日は自然に下りていて、いつもよりほんの少し幼い印象を与える。でも長めな前髪の下にある薄い眉は不機嫌そうにひそめられていた。


「あ、鷹くんいらっしゃい」


「いらっしゃいじゃねぇよっ、なんだこの汚部屋」


 僕の声にますます顔をしかめた鷹くんは、部屋の中を指差し苛々したように小刻みに足を踏み鳴らす。そんな剣幕に僕はのんびりと室内を見回した。

 少し広めの八畳にはベッドと本棚とテレビ、そして僕がいまいるこたつのみで必要最低限だ。


 ただし、部屋の隅には未洗濯な衣類が積み上がり、ゴミ箱から溢れそうな、いやだいぶ溢れて床に散らかっている紙ゴミや、適当にビニール袋に詰められたゴミ袋。読みかけの漫画本や参考書などが転がっている。


「お前、半月でこの有様とかありえねぇ」


「鷹くん、それは僕のことを半月も放っておいたことだってわかってる?」


 不貞腐れて口を尖らせた僕など見向きもせずに、鷹くんは上着やマフラーを壁掛けのハンガーに掛けると、山のような洗濯物を取り上げて部屋を出ていく。僕の住んでいるこの家は八畳一間に三畳ほどのキッチン、バストイレ別の物件。


 洗濯機は脱衣所にあるのでそこへ向かったのだろう。しばらくすると微かに洗濯機が回る機械音がした。そしてその次はキッチンで水音が響き、食器の触れ合う音が聞こえてくる。シンクに溜まりに溜まったものを洗っているのだろう。


「マジ有り得ねぇ」


 ブツブツと繰り返される呟きと共に乱雑な足音が部屋に戻ってくると、その足音の主はゴミ袋を片手に部屋中のゴミを拾い集め出す。そんな様子を僕はテーブルに顎を乗せたまま黙って見つめていた。


 そして四、五十分も経てば、床を覆っていたあらゆるものがなくなり、見事に広々とした空間に変わる。窓を全開にして掃除機をかけ、フローリングも磨かれ、澱んだ空気さえも一掃された。


「さすが鷹くん」


 小さく拍手する僕を横目に、陽が傾きほんの少し薄暗くなった部屋に電気を灯すと、鷹くんは勢いよくカーテンを引く。そしてようやく彼は大きく息をついた。


「ったく、お前みたいな生活力のない奴に一人暮らしさせるとか、おじさんとおばさんの気が知れねぇ。マジ実家に帰れ」


 いまだ眉間にしわを刻みながら、独り言のような小さな声で文句を呟き、鷹くんは僕の向かい側に座るとこたつに入り込んでくる。


「は? なにそれ。僕は鷹くんとおんなじ高校行きたくて、頑張ってこっち出てきたんだよ」


 部屋を掃除してくれたことには感謝するけれど、いまものすごくカチンときた。少し声を荒らげて目の前の彼を睨むと、ほんの少しうろたえた表情を見せる。それでも僕の苛々は収まらない。


「おんなじ高校って言ったって、一年だけだっただろ」


「一年だけでも重要だし、大学も一緒のとこ行くし。大体ね、北海道と東京じゃ遠距離すぎるでしょ。鷹くんは僕と付き合ってる自覚ある?」


 中学に上がる少し前、親の転勤で北海道へ行くまで僕と鷹くんは比較的近くに住んでいた。親同士が兄弟、要するに僕と鷹くんは従兄弟という関係だ。でも僕はそんな関係よりもずっと深い恋心を鷹くんに抱いていた。


 夏休みや冬休みのたびに鷹くんのもとへ行き、何度となくそれを伝えてきた。最初はまともに相手にはしてくれなかったけれど、いつしか彼の手を掴む僕の手が大きくなり、彼を見つめる僕の視線の高さが変わる頃。

 少しずつ鷹くんの気持ちも傾き始め、僕が高校に入った年にようやく抱きしめることが出来るようになった。


「お正月もさ、僕のこと放って行くし」


「お、大晦日は一緒にいただろ」


「はぁ? 普通に考えて年越し一緒にしたら、初詣とかも一緒に行くでしょ? なんで友達だけ優先して行っちゃうかな。確かに友達付き合いは大事だよ、百歩譲ってそれはわかるよ。でも僕は鷹くんと一緒にいたかったし、友達と一緒でもついて行きたかった。それなのにそれから半月も放置? マジありえなくない?」


 テーブルに両手を付いて勢いよく立ち上がると、鷹くんは小さく肩を跳ね上げ僕を見つめる。そんな視線をじっと見つめ返せば、いつしか彼の視線は右往左往と空を泳ぐ。


「だって、お前あいつらのこと嫌いだろ」


「別に、嫌いじゃないよ。面倒くさいだけ。人のこと見るたびに騒ぎ立てるから、鬱陶しいだけだよ」


 鷹くんの容姿から簡単に想像できてしまう彼のお友達は、学生時代によくいるちょっと派手で素行が目に付く、俗に言う不良グループのようなものだ。どうしてあぁいった人達は皆揃いも揃って騒がしいのだろう。


「仕方ないだろ。お前、高校に入った時から目立ってたし、俺ら三年の女子とかもイケメン入ったって騒いでたし」


 ボソボソと喋りながらも挙動不審なくらい視線を動かす鷹くんを見つめたまま、彼の横に僕は腰を下ろす。胡座をかいて俯きがちな顔を覗き込むと、ふいと顔をそらされた。けれど目の前にあるうなじがほんのり赤くなっている。


「鷹くんは僕のことどう思ってるの?」


 そっと耳元に唇を寄せて囁きかければ、更に白い肌に赤みが広がった。俯いたまま顔をそらしている彼の言葉を促すように僕は無防備なうなじに口付ける。


「ざ、残念なイケメン」


「はっ?」


 ほんのちょっと甘くなりかけた雰囲気が一気に砕かれた。


「確かにお前は顔立ち整ってるし、背は高いし、見た目はかなりいいけど。生活能力ないし、大雑把だし、面倒くさがりだし、手間かかるし」


「それは鷹くんが乙女男子すぎるから気になるだけでしょっ」


「誰が乙女男子だっ」


 ムッとした雰囲気を隠さずに語気を荒らげると、目の前の鷹くんもまた同じような顔で振り返る。


「掃除に洗濯、料理にお菓子作りに裁縫が好きな鷹くんは、十分過ぎる乙女男子だと思うけど?」


 一見した容姿とは裏腹に、鷹くんは昔から渋々などではなく自ら進んでそれらをやりたがる。しかも隠しているつもりのようだが、ぬいぐるみ好きなところもあって、いつ嫁にもらっても大丈夫な程に可愛いところがある。


「それに、鷹くん曰く残念なイケメンの僕に、可愛く啼かされちゃってるのは誰?」


 ふっと目を細めた僕の表情を見た鷹くんは慌てたように立ち上がろうとする。けれどそんなことを許すはずもなく、僕は勢い任せに彼を床に押し倒した。

 両肩を押さえ付けている僕に抵抗して、ジタバタともがく鷹くんの肩を更に強く掴むと、僕は彼に覆い被さるようにして唇を奪った。


 文句を言いたげに開きかけた唇の隙間から舌を滑り込ませて、彼のものを絡め取る。唾液が顎を伝うほどに口内を蹂躙すれば、弱々しく彼の手が持ち上げられ僕の腕をぎゅっと掴む。


「……んっ」


 鼻先から甘えた声が上がると、僕は掴んでいた肩を離してサラサラと音を立てそうな綺麗な金色の髪を梳いて撫でた。

 僕はこの髪がすごく好きだ。以前あまりにも鷹くんの髪が綺麗だから、自分も髪色を変えようかなと言ったことがあった。


 でもそれに対して鷹くんの反応は、今以上に目立つし、お前は黒髪でも似合うから絶対に染めるなというキレ気味なものだった。けれどその時、小さな独占欲が見えた気がして嬉しかった。


「和臣」


「ん? なに?」


「すんの?」


 首筋に口付けながら服の下に髪を撫でていた手を滑り込ませると、ほんのり目尻を赤くした視線に見つめられる。僕の反応を窺うような揺れたその目は、心の内に優越感を与える。

 僕はなにも言わずに小さく笑むと、たくし上げた服の隙間に現れた白い肌を舌先でゆっくりと撫で上げた。


「っあ」


 小さな声と共にビクリと跳ね上がった腰を押さえて、彼の中心に向けて空いているもう片方の手を滑らす。ほんの少し逃げるように腰をくねらせるけれど、こちらは誘われているような気分にしかならない。


「したいよ。だって半月ぶりに会えたんだし、いいよね?」


 デニムのボタンを外しファスナーに指をかけると、こちらを見ていた目がぎゅっと閉じられた。その可愛らし過ぎる反応に僕の手も遠慮がなくなっていく。

 少しずつ反応を見せ始めたものを強く擦れば、上擦った吐息混じりの小さな声が聞こえてくる。


 更に追い詰めるように僕は肌を指先でなぞり、口付けていく。しかし僅かに僕と鷹くんの熱が高まり始めたその時、部屋にインターフォンのチャイムが鳴り響いた。

 その音に驚いたのか、鷹くんは肩を跳ね上げて目を開いた。


「和臣、誰か来た」


 けれどもいまこの状況下で、はい、そうですかと止める気にはならない。しかし鷹くんの声を無視しながら手を動かしていると、落ち着きなく彼は逃げ出そうとし始めた。

 そしてなんの嫌がらせかと思うほどに、連続してチャイムが鳴らされ続ける。小さく舌打ちをして扉の向こうにある玄関を睨むが、終いにはドアを叩かれた。


「あっ」


 苛々とする音の二重奏に拳を握り締めた瞬間、急に鷹くんはなにかを思い出したかのように声を上げた。その声に僕は嫌な予感がして、冷ややかな視線で彼を見下ろしてしまった。


「鷹くん?」


「わ、わりぃ。あいつらに今日ここに居ること言ってた」


 いまだに続く二重奏は止むことを知らない。僕がゆっくりと身体を持ち上げれば、鷹くんは慌てて床を這い立ち上がって乱れた髪や服を直した。そして飛び出すように部屋を出て玄関扉を開けた。

 覚えがある賑やかな声が室内に聞こえてきて、思わず拳で床を殴ってしまった。


「よお、臣くん明けおめ」


「相変わらずのイケメンだな」


「新年会やるっつったら鷹志がお前んとこ行くって言うから、来ちゃったわ。つうか、広いなお前んち」


 遠慮もなくずかずかと、人のうちに上がり込んできた野郎どもに引きつった笑いを返しながら、ちらりと鷹くんに視線を向ければ思いっきり不自然にそらされた。そしてゆらりと立ち上がった僕の気配を察したのか、ほんの少し後ずさりする。


「たんまり飲み物と食いもん買ってきたから」


 彼ら三人の手を塞いでいたビニール袋が床にどさりと置かれる。


「余ったの冷蔵庫入れといて」


 彼らは袋の中から好き勝手に取り出した飲み物と食べ物をテーブルの上に広げると、そそくさとこたつに入りそこら辺に上着などを放った。そして几帳面な鷹くんがそれらを丁寧にハンガーへ掛けていく。


 ため息混じりにそんな様子を横目で見ながら、僕は床に放って置かれた飲み物が入った袋を両手に持ち、キッチンへ足を向けた。


「なにこの展開」


 まだひんやりとしている缶チューハイやビールを冷蔵庫に収めながら、思わず言葉がついて出る。次第に冷静さも戻ってくるが、それ以上にふつふつと込み上がるものを感じた。


「鷹くん、ちょっと」


 キッチンから少し大きな声で彼を呼べば、扉の向こうから鷹くんは小さく顔を出す。僕の様子を窺うような視線に僕は至極優しく笑いかけ、手招いた。


「扉は閉めて、こっち来て」


「あ、あぁ」


 戸惑いながらも僕の言葉に従い扉を閉めると、鷹くんはゆっくりと近づいてくる。けれどそれが焦れったくて、僕は腕を伸ばして彼の手首を掴んだ。

 そしてそれを勢いよく引き寄せる。けれど僕は抱きしめることはせずに、近づいた身体を今度は引き離すように壁へ押し付けた。


「あのさ、鷹くん」


 顔の横に両手を付いて瞳を覗き込むようにして見つめると、驚きに目を見開いた彼の肩が反射的に大きく跳ね上がる。身体を強ばらせる鷹くんの耳元に唇を寄せれば「ごめん」と小さな声が聞こえた。


「謝るってことはわかってるんだよね? ホント鷹くんはさぁ、俺のこと怒らせるの得意だよね。家の住所まで教えちゃうとかって有り得ないから」


「和臣、あの」


 トーンの下がった僕の声に鷹くんは焦ったように言葉を紡ごうとするが、それをいまの僕が受け入れてあげるわけがない。


「鷹くん、今夜覚えておいてね。もしあの人達が酔いつぶれて、寝こけてうちにそのまま泊まるようなことになっても、遠慮なくヤるから。泣いても駄目だよ」


 血の気が引いて青褪めた目の前の顔に優しく口付ける。そして小さく首を傾げ満面の笑みを浮かべてあげると、鷹くんはズルズルとその場にしゃがみ込んだ。

 そんな彼が大騒ぎをして盛り上がっている連中を、日付が変わる前に大慌てで追い出したのは言うまでもない。



独占欲/end

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