失恋王女、首を傾げる(5)

 これから挨拶に回らなければならない、というユリアーナと後刻また会うことを約束して、シャルロッテは彼女の後姿を見送った。

 既に、アルニム伯爵には会場入りした際に挨拶を済ませている。ということは、ユリアーナはおそらくこれから、妙齢の男性がいる家の主へ紹介されるのだろう。いい人が見つかるといいわね、とその後ろ姿に祈った。

 恋愛結婚が最近の主流だというが、出会いの場は案外少ないのが現実だ。というのも、貴族の娘というのは、ほとんどが領地で生活しているからである。十六を迎えると、彼女たちはシーズンに先駆けて、結婚相手を探しに王都へとやってくる。

 社交シーズンの出会いの場は、なにも夜会や茶会に限らない。街歩きをする令嬢もいれば、歌劇場に出かけたり、公園を散策したり、観光に繰り出すものもいる。出会いだけではない、その時々の王都の流行のドレスや、こちらでしか手に入らないような宝飾品を求めたりもする。

 そのため「王都にドレスが溢れたらかき入れ時」というのが王都の商売人たちの合言葉になっているほどだ。社交シーズンの商人たちはこぞって貴族の邸に売り込みに訪れるのだという。

 ふう、と息をついて、シャルロッテは傍らの護衛騎士を振り返った。

「ごめんなさいね、待たせて……」

「いえ、全く」

 目を細めたランベルトが、さりげなく手を差し出す。ほんのわずかな間に、随分手慣れた仕草をするようになったな、とふと思った。

 自分もそうだ、とシャルロッテは我が身を振り返った。最初のころに比べて、ランベルトが隣にいるのがもはや当たり前になっている。違和感を覚えていたのが、遠い昔の事のように思えるほどだ。

 そんなことを考えている間に、二人は壁際へとたどり着いた。人は、多すぎず少なすぎず、といったところだが、伯爵家主催の夜会としては規模は大きい方である。周囲を見回したランベルトは、少し休憩しましょうか、とシャルロッテに提案した。それに頷いて、一つ息をつく。

「喉が渇いたのでは? 飲み物を貰ってきましょうか」

「いいわ……ねえ、それよりもちょっと、外を見に行かない?」

 アルニム伯爵家での夜会が他と違う所、それは温室が開放されていることだ。今の時期にはまだ咲かない薔薇や、その他の珍しい植物などが栽培されている場所で、普段は滅多に見ることができない。シャルロッテは毎年、そこに足を運ぶのを楽しみにしているのだ。

 護衛騎士として付いてきていたランベルトも、それを思い出したのだろう。軽く頷いて同意を示すと、シャルロッテの手を取って歩き出した。

 大きく開かれたテラスの窓を抜け、ランプが設置されて明るく照らされた庭を横切る。薔薇の育成の大家だけあって、庭に咲き乱れているのも主に薔薇だ。夜露に濡れて、瑞々しく咲き誇っている。その匂いを胸に吸い込んで、シャルロッテは目的地へと歩を進めた。

「わあ……今年はまた、趣があるわね……」

 温室の中は、花を見るのに妨げにならない程度にライトアップされている。ふんわりと、幻想的な空気を醸し出すよう絶妙に配置された灯りは、温室のガラスに反射して花々の思いもよらない表情を見せてくれた。

「王宮の薔薇園のライトアップも手掛けられていますからね……」

「ランベルトは、見たことがある?」

「外からは。夜間には中までは入ったことはありませんね」

「そう……見に行けたらいいわね」

 温室の薔薇を夢見心地に眺めながらそう返すと、ランベルトは一瞬だけ眩し気にシャルロッテの顔を見た。

「……そうですね」

 ふ、と微笑みを浮かべたランベルトが、噛みしめるように言葉を紡ぐ。それも、一緒に見られたらいいのに。シャルロッテはその言葉を飲み込んで、温室の奥へと足を向けた。


「あ、失礼……あ」

「いえ、こちらこそ……なんだ、お前か」

 狭い温室内、すれ違う人とぶつかりそうになる。その人物の顔を見て、ランベルトは苦笑を浮かべた。視線の先で、プラチナブロンドの青年が忌々し気に舌打ちをする。

「あら、エーミールにいさま? 珍しい所で」

 肩をすくめたシャルロッテは、周囲に視線を向けておや、と首を傾げた。

「今日は、お一人でらっしゃるの?」

「……どうでもいいだろう」

 どうやら彼はご機嫌斜めであるらしい。これまであまり耳にしたことのない、低い声がシャルロッテの耳朶を打った。触らぬ神にたたりなし、とばかりにシャルロッテはその場からさっさと逃げ出そうとする。

「いえ、珍しいと思ったものですから……じゃ、私たちは」

「ああ、いや、シャル、折角会ったんだ――少し話でもどうだい? 先日はあまり話せなかっただろう。ここは人目も少ないし……」

 突然口調を変えたエーミールからの思いもよらない言葉に、シャルロッテは目を丸くした。何を考えているのだろう、とここ最近何度も声に出した言葉が頭を過る。多分、何も考えていない――と言うランベルトの声が耳に蘇るが、今はそんなことはないだろう。

 言葉尻は柔らかいのだが、どうにも目つきが剣呑だ。多分、恐らく、いや絶対――何か良くないことを考えていそうな目をしている。

 どうにかして逃げ出したい。そんなシャルロッテの気持ちを汲んだのか、ランベルトが僅かに前に出た。

 だが、エーミールがその機先を制する。

「ヘルトリング、お前は少し下がっていろ……僕はシャルに用があるんだ」

「ちょっと、にいさま――⁉」

 いつになく粗暴な仕草で、エーミールはシャルロッテの腕を掴もうと手を伸ばす。思わずぎゅっと身体を縮こまらせ、目を閉じたシャルロッテは、予想していた衝撃が来ないことに気付いて目を開けた。

「お前……っ」

「殿下への狼藉は許しません」

 シャルロッテの眼前で、彼女の護衛騎士がエーミールの腕を捕えている。

 ぎり、と睨みつけるエーミールに、ランベルトはきっぱりとした口調でそう告げた。彼が、ただの夜会のパートナーではない、ということを思い出したのか、エーミールの顔色がさっと青くなる。いくら従兄であるとはいえ、王女への狼藉を護衛騎士に取り押さえられた、となれば処罰は免れない。それに思い至ったのか、エーミールは思ったよりも素直に身を引いた。

「すまない、ちょっと……頭に血が上ったようだ。シャル、また後で」

 へらり、と笑みを口元に浮かべ、エーミールはすぐに手を引き、よれた上着を直す。

 あまり事を荒立てたくないシャルロッテは、内心「嫌だなあ」と思いつつも、彼の言葉に曖昧に頷いた。また妙な噂を立てられでもしたら、面倒なことになる。

 そんなシャルロッテの心の内など気づきもしないだろう。「では」と片手を挙げて、エーミールはさっさと会場へと戻っていった。

「……どうしたのかしら」

「さぁ……今日、お連れの方がいないことが関係しているのか……」

 ランベルトが歯切れの悪い返事をする。

「なんにせよ、ご用心ください」

「ええ……」

 釈然としない面持ちで、シャルロッテが呟くように返事をする。その不安に寄り添うように、ランベルトはそっと彼女の手を取った。

 そうして、二人で会場に戻ったのだが――シャルロッテはすぐにそれを後悔することになる。

「やあ、シャル。先程は失礼した。ヘルトリング殿も」

 なるべく目立たぬようにしていたつもりだったが、そこはやはり旬な噂の主である王女と護衛騎士だ。気にならなくなったとはいえ、視線を集めていることはどうしようもない。

 そうなれば、見つかりたくない相手から再び見つかってしまうのもまた必然であった。

「にいさま……」

 やけに朗らかに声をかけてきた従兄に、シャルロッテは引きつった笑みを浮かべた。隣のランベルトも、自分にまで声をかけてくると思わなかったのだろう、面食らった表情を浮かべている。

 正直に言って、彼が何を考えているのか全く理解できない。

 ――いや、これまで理解できていた試しなどなかったのかもしれない。

 そもそも、なぜエーミールはこうまでシャルロッテに構うのだろう。そして、コルネリア嬢は一体どうしたのか。

 先程までとは打って変わって、ランベルトにもにこやかな笑顔を向ける従兄の顔を眺めて、シャルロッテは首を傾げた。

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