万部DIVE TO BLUE
寮の食堂で川野くんと高山と夕飯を食べていた。
食堂にはこの寮で唯一テレビがあるのだが、何故かいつもアニメが流れていた。
夕食時は決まって「キテレツ大百科」が放送されていて、同じ3階の住人である白瀬くんはこの番組が大層お気に入りらしく、テレビの前に陣取りかじりつくように見て、時折「ぐふふ」と堪えきれずに笑いだしていた。
「そんな吹くほど笑う番組かな」と川野くんが漏らす。
「何がおもろいんやろ、ワイにはわからんわ」と高山がクスクスと笑っている。
「そのワイってのは方言なん?そっちの方がおもろいわ」と川野くんは高山を見て笑いだした。
僕もつられて笑ってしまう。まだ慣れないせいか、「ワイ」に違和感しかない。
「ほんましばくぞ、お前ら」と高山がキレ気味だが若干嬉しそうに笑っている。
「ワイゆうたら、僕ら『わいわいサタデー』ぐらいでしか馴染みないでぇ」と川野くん。
「わいわい、わいわい♪」とノると、高山が肩パンをしてきた。
なんだかんだで受験のストレスが常につきまとうこの生活の中、リラックスできるのがこの食事の時間であった。
受験から離れてアニメを楽しむ。仲の良い者同士で集まってダベりながら、束の間の解放された時間を共有する。
プレッシャーを忘れて胃も心も満たされる貴重な時間である。
この後は部屋に戻って、勉強をしなくてはいけない。
そう考えると、食堂から出るのが名残惜しい。
「さぁ、飯も食ったし風呂いこか」と川野くんが言い出した。
「そういえば伊澤は風呂はいつ入ってるん?」と高山が尋ねてきた。
「風呂は使わずシャワーで済ませてるわ」と答えた。
入寮して早々に金髪坊主に遭遇して以降、共有スペースには極力近づかないようにしようと決めていたのだ。
それに、他人と一緒に風呂に入るという習慣がそれまでなかったため、抵抗感もあった。
「湯に浸からな疲れとれんくない?一緒に風呂行こうや」としきりに川野くんが薦めてくる。
実家ではいつも湯船に浸かっていたので、シャワーでは物足りなく思っていたのも事実であった。
川野くんの言うとおり、シャワーだけだと疲れがとれない。
お風呂に浸かり、体をあたため、心をじっくりとほぐして、一日の終わりを噛み締める。
体と心をリセットする装置がお風呂であり、それはシャワーでは代替ができない。
そこで、「いっちょ入ってみるか」ということで、恐る恐るではあるが、大浴場デビューすることに決めた。
風呂は想像していたよりも広く、優に10人ほどは浸かれるほどの広さであった。
風呂にいるメンバーはほとんど見知った顔ばかりで、特に怖そうな連中もいない。
「これは大浴場デビュー成功ってやつ?」と考えていたが、完全に甘かった。
体を洗って、風呂に入ろうとしたとき、信じられない光景が目に飛び込んできた。
黒い何かが浮いていると思い、よく見てみるとおびただしい程の数の陰毛がまとまって浮いていたのである。
陰毛たちは「スタンド使い同士」のように引かれあい、集合し、もはや別の生命体としての存在価値を獲得し、禍々しいオーラを放っていた。
まるでクラゲのように、ゆらゆらと水面に揺れている。
「あんぎゃー」と叫び声をあげそうになり、一目散に逃げようとしたが、川野くんと高山が陰毛の向こう側から「伊澤くんはよ来いやー」と手招きをしている。
まるで三途の川の向こう側から地獄に引き込もうとしている妖怪ではないか。
彼らの声が風呂に木霊し、不気味過ぎる。
しかし、僕に残された道は一つしかない。
南無三!もう突っ込むいくしかない。
ここで逃げたら、笑い者として今後、永久に蔑まれる気がする。
男子校出身の僕には分かる。ここは逃げると完全に負け、「ノる」べき時なのだ!
僕は意を決して「ええい、ままよ!」と陰毛の海へ飛び込んだ。
一度入ってしまえば、陰毛のことなど割と気にならなくなってくるから不思議である。
それよりも、風呂で体も心も解放し、仲間とあれやこれやとダベることが何と楽しいことか。
お風呂という開放的な場所で、いつもよりも心をオープンにして気持ちよく話せる。なんと楽しからずや。
「これが裸の付き合いというやつか」と、悪くないな、と思った。
陰毛がかなり気になるが、皆一度体を洗ってから湯船に浸かっている。
そう気にすることも無いと、多少強引ではあるが、自分を納得させた。
その時、一人の男が風呂の扉を開けて入ってきた。
2階の住人で、メガネをかけたヒョロヒョロ体型のおかっぱ頭、確か名前は万部(まんぶ)くん。
どことなく宇宙人(グレイ)に似ている。
途端に「またあいつが来た、最悪や」と川野くんが呟き、表情が曇った。
「ほんましばくでよぉ、あいつ」と高山も唇を尖らせている。
風呂の空気が一変し、一体どうしたのかと戸惑っていると、またしても信じられない光景が飛び込んできた。
なんと万部くんは扉から一直線に湯船に向かい、ザブンと湯に飛び込んできたのである。
湯船に浸かる前に体を洗うという共同浴場における基本的なマナーを完全に無視し、それどころかかけ湯さえもしない。
確固たる意思で、ねるとんパーティーで意中の女性のもとへ向かう漢(おとこ)のごとく、湯船に猛進した。
「ちょっと待ったぁ!」という声が聞こえてもおかしくない状況である。
「清々しい程の自己中だ」と呆気にとられていると、南部君は30秒ほどだけ湯に使って、そそくさと風呂を出て行った。
沈黙が風呂場を支配したあと、おもむろに川野くんが、
「あれが皆が恐れる『万部ダイブ』や……」と呟いた。
「やっぱりシャワーでいいや」、僕は改めて思った。
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