第113話『鬼の血を継ぐ者たち』

 その頃――戦場の空気ががらりと変わったのを、ノートンは感じとっていた。


 戦闘民族でもある鬼族のそういった察知能力は鋭いもので、彼が異様な空気の発生源へ足を向けると、そこではオルレアス軍の死体が無造作に散らばっていた。

 オルレアス軍だ。不自然に、片方の陣営の死体だけが転がっている。


 そして、その死体たちに囲まれるようにして1人、女が立っていた。


 肩で切り揃えられた艶やかな黒髪。女性的な凹凸に恵まれた肢体と、それを包みこんだ黒と白の軽装。よそおいはあまりにもシンプルだったが、むしろこれ以上は必要ないと言わんばかりの、完成された美しさを持った女であった。


 彼女の正体は、イツメ=カンナギ。ノートンと同じ、『鬼族』の女である。


「――久しいのう、トンツィ」


「……イツメ」


 いまいち歯切れの良くないノートンが女の名前を口にすると、幾重の血を被り、真っ赤に染まった彼女は、妖艶な微笑を浮かべてゆっくりと青年に向き直る。


 目が合うと、血の色なのかリップの色なのか、とにかく目が覚めるような赤色に彩られた女の唇から、低く滑らかな声がこぼれ落ちた。


「ふむ、相変わらず面白みのない顔じゃの。つまらぬ」


「……俺の表情の文句は、お前の母親に言ってくれ。あの人が子供嫌いで、笑った奴を叩いたりしなければ、俺だって表情豊かな奴になっていただろう。いや、」


 ともかく、とノートンは言葉を継ぐ。昔話をしている場合ではない。


「ここに倒れている奴らは……お前が、全て殺したのか?」


「そうじゃ。しかし……ニンゲンとは情けないものよな。束になってかかっても、鬼1人を相手にこの有様よ」


 顎を使ってつんと死体の山を示し、肩を落とすイツメ。

 彼女から滲むのは落胆の感情だ。その様子からして恐らく、ここでイツメに敗れた者たちは皆、彼女に傷の1つもつけられずに死んでしまったのだろう。


「まぁ、前々から思っていたことではあるが――ニンゲンというのはなんじゃ、クソか? いや、思えば鬼もクソだったな。あぁ、この世はもはやゴミ同然じゃ」


 足元の死体に片足を乗せ、罵言を吐きつけるイツメ。彼女なりの八つ当たりだったのだろう、黒いパンプスを履いた健脚は、圧をかけて死体を踏み潰した。

 脊髄の辺りが折れる音。それを聞き、ノートンの眉がぴくりと動く。


 顔にこそ出なかったが、ノートンとて感情はある。仲間の死体がもてあそばれる光景に無言の怒りを覚えた彼は、唇を結び、携えていた血塗れの刀を強く一振りした。


「お前――」


 風が鳴り、刃についた血が払われる。


「世界が、そんなに嫌いなのか」


 ――再び刀身を覗かせた得物を、鬼は強くにぎり直し、


「……なら、丁度いいな。そろそろ死に時だぞ、お前」


 紅玉を宿した切れ長の目元が、嗜虐的に歪められる。

 直後ノートンは前へ踏み込み、地面を割って弾丸のように駆け出した。荒れた大地を走り抜け、イツメに接近。ものの数瞬で距離を詰めると宙へ跳ね、彼女の頭を叩き割らんと刀を振り下ろす。


 しかし寸前、イツメが自分の腰から刀剣を抜き放ち、


「くっ……」


 刀同士が、強くぶつかり合う。刃と刃の交差点から、ききき、という金属同士が擦れる音が鳴り、


「たわけ」


 2本の刀越しにノートンを受け止めたイツメは、艶やかに口の端を引く。そしてつかを握る腕の筋肉を唸らせ、ノートンを振り払った。

 テニスボールのように打ち返され、青年は緩い弧を描いて吹き飛ぶ。


「……まぁ、流石に初手じゃあ死なないよな……」


 だんだんと粒のように遠く、小さくなっていくイツメの姿を認めながら、眼前のハードルの高さに苦笑するノートン。


「これは、骨が折れそうだ。……文字通り」


 今回の相手は鬼族、それも一族の中でもトップクラスに強い女である。やる気を出した彼女からの、本気の攻撃によって受けるこちらのダメージは、ニンゲンから喰らった時のそれとは全くもって比にならない。


 だからなるべく、攻撃は喰らわないよう警戒するつもりだが、それでも最低2、3本は折られる覚悟をしておいた方が良いだろう。


 フラム達には、しばらく世話かけることになりそうだ――。


 今頃、懸命に救護にあたっているのであろう青年のことを思いながら、ノートンは軽快に着地する。そして、随分と距離が離れてしまったイツメの姿を捕捉し、


「――」


 腰を低く落とすと、再び猪のように疾走した。


 ――ちなみにイツメとの戦闘において、最も気をつけるべきは『影』だ。


 一定の位置に留まり続けると、形の安定した影が出来てしまう。そうすると、彼女は自分の影と相手の影を繋いで足を掴んだり、首を絞めに来るため、その対処として常に動いていなければならないのである。


 まぁ、彼女の特殊能力はいわゆる『初見殺し』であり、あげく延々と動き続けることが出来る無尽の体力が必要なので、彼女の知人であり、鬼族でもあるノートンくらいにしか出来ない対策方法なのだが。


「ふん、賢くなりおって。じゃが……よい。実によい」


 満足げな表情で刀を構え、飛び込んできたノートンを迎え入れるイツメ。そこへノートンの重たい剣撃が、雨のように連続して降り注ぐ。だが、嬉々として瞳孔を開くイツメはその細やかな攻撃の全てを受け流し、


「なんじゃ、ヌシはこの程度の男なのか?」


「まぁ、元より大層な男ではない、かな!」


 勢いよく重ね合わせた刃と刃の下、身を捩って蹴りを打ち込むノートン。革靴の底がイツメの腹部に沈み込み、直後、曲線に富んだ体躯が吹き飛ぶ。


 流石のイツメも、今の攻撃までは予想できなかったのだろう。受け身を取ろうとするが間に合わず、彼女は後頭部から地面に入って背中で荒地を滑る。なお、その威力はイツメが滑り抜けた側から地面が割れていくほどで、


「ッ――」


 荒れた大地に背中を削られる痛みに、流石のイツメも歯を食いしばって耐える。だが、摩擦がかかってイツメの身体が滑走を止めた時、


「……ふ」


 薄い唇から、享楽的な色を含んだ笑みが溢れた。





 同時刻、国立展望台2階・司令室。


 今までは各地で何があっても、仕事を完遂するため平静を保っていた監視チームであったが、その静かにひりついた空気もとある監視員の言葉によって崩された。


「きっ……緊急報告です! 敵勢力が次々に中間地点を突破し、こちら側へ侵攻を開始しております!」


「――!? 推定人数は、対応できる隊はおらんのか!?」


「人数は現在30弱ですが、少しずつ増え始めています……! ですが、我が隊もほとんどが敵拠点に侵入を開始しており、今からでは間に合うかどうか……!」


「……ッ!」


 監視員の切羽詰まった声で紡がれる現状報告に、この場の全員が息を呑む。


 現在、ほぼ全ての戦力を戦場に放してしまっており、現在こちら側にはほとんど戦力が残されていない。居るのはマオラオ含む監視課のメンバーと、フラムを含む救護班のメンバー、そしてフィオネを始めとする指揮官たちだけだ。


「こン状況で30人はきついな……せや、フィオネたちは? あいつらがなんか言わんと動かれへんのやけど、なんか指示は出しとるんか?」


「そ、それが……まだ……」


 剣呑な空気にされて縮こまる班員。その様子を見て、司令室内にじわりと、不穏な空気が立ち込め始める。と、そこへ、


「す、すみません!」


 申し訳なさそうに割って入った別の監視員が、有線の受話器を持ったまま、


「たった今! フィオネさんから『マオラオを防衛に回せ』との指示が……!」


「――ハァン?」


 静まり返った司令室の中で、マオラオの間抜けな声が響いた。





 少年は、展望台の最上階に登る。


 元々は星空を見渡すことができる展望台として利用されていただけあって、ここからは遠くまで広がる荒野やスプトーラ大森林が一望できた。


 報告通り、少し遠くの大地にはこちらに進行する白装束の集団も見える。


「あれ全部、ほんまにオレが相手するんか……」


 げんなりとした表情で溢しつつ、背負っていた矢筒から矢を取り出すマオラオ。彼は屋上のふちから眼下に広がる森を見下ろすと、手にした矢をもう一方の手で所持していた弓につがえる。


「……」


 両の目が、一瞬紅く輝く。

 少年はそのまま頭上まで両腕を持ち上げ、にぎりを前へ押し出し、つるにかけた矢をゆっくりと引きながら腕を肩ほどの高さまで戻して、弓を均等に引き分けた。


 そよ風が森を撫でる音に混じる、ぎりぎりぎり、と弓のしなる音。


 スコープを絞るように視界をズームし、標的をロックオン。

 紅玉の丸い瞳は、ただ一点を見つめる。少年は僅かに開けた口から鋭く、時間をかけて息を吸い、口腔で冷たい空気を温めながら、すっと目を細めた。

 背を僅かに逸らし、射角を40度前後で固定して、その時を待つ。



 ――今だ!



 弾くように弦を離すと、矢は残像を残してマオラオの手元から消えた。そして一直線に風を切り、緩やかな弧を描きながら狙った箇所に吸い込まれていく。

 とん、と敵の額のど真ん中にやじりが突き刺さり、潮のような血飛沫が上がった。


 続けてマオラオはもう1本、更にもう1本と矢を番え、こちらに攻め込んでくる白装束の頭を的確に打ち抜いていく。


 それからはもう、作業のような射撃だった。矢筒から矢を取り、番え、引き、打ち抜く。じっと狙いを定めることはせず、ただ淡々と打つ。なのに、当たる。

 ぱたり、ぱたりと呆気なく人が倒れていく様は、あまりにも呆気なく、


「殺してる気がせえへんな」


 命を奪っている本人すらもこの感想である。


 一方、確実に射抜いてくる奇妙な射手に、白装束たちも恐れをなしたのだろう。一斉に周囲へ散開し、彼らは木の影に身を潜めた。

 勿論、その行動すらも『監視者』を持つマオラオには透けていたのだが、流石に遮蔽物しゃへいぶつがあってはいくら見えていても殺すことは出来ない。


 仕方ない、とマオラオはその場で弓と矢を捨て、馬手めてをポケットにしまい、


「しゃあないなぁ、直接いったるかあ」


 漆黒のマントを翻しながら、少年は展望台からひょいと飛び降りるのであった。

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