第42話『ノンシュガー・バイオレット』

 目の前で売り子姿の男が影に呑まれた。だが、それと同じくらい衝撃的なものが彼ら2人に襲いかかって、


「案ずるな。あの者は、こうなる運命だったのじゃよ」


 ――耳元で囁かれたそれは、酷く甘くて色めかしい声をしていた。


 声だけで人を魅了出来そうな、そんな声。一言聞くだけで声の持ち主に対し、絶世の美女の姿を思い浮かべずにはいられないような――悪魔的に艶めいた声。


 そんな甘美な女声が耳の筋をなぞって、全身を震わせたペレットは心臓を鷲掴みにされる感覚を味わいながらも、己の背後を振り向いた。するとそこに立っていたのは、



「……ッ!?」



 ――驚くほど、肌の白い女であった。年齢は20代くらいだろうか。触れたくなるほど美しい肌は若々しいが、肩上で切り揃えられた艶(つや)やかな黒髪が色気を助長していて、随分と大人びて見せてもいる。


 白のブラウスで華奢な上半身と豊満な胸を包み込み、スッと細く付け根から伸びた脚は黒のスキニーパンツを纏っている。全身のほぼ全てが白と黒で構成されている中、鮮烈なビビッド調の赤いリップが見る者の目を大胆に惹きつけて、


「――わらわに見惚れては駄目じゃよ、ヌシも引きずり込まれたいのか?」


 2度目に放たれた彼女の言葉で、目が覚めた。


「あな、たは……?」


 突然現れたその女性に、隣のジュリオットが酷く困惑をしながら尋ねる。当然の反応だ、今まで確実に居なかったはずの存在が、急にこの場に現れて後ろから声をかけてきたのだから。


「わらわは先の男を殺した者じゃ。名は、【イツメ】」


「殺したって……じゃあ、あの影は」


「わらわの能力によるものじゃ。心配せずとも良い。元々死ぬ運命にあった者をさっさと逝かせてやっただけのこと。それよりもヌシらに、渡すものがあるのじゃ」


 今先ほど犯した殺人を欠片も気に留めず、自身の喉に触れる女――イツメ。彼女は顎下に差した影に〈手を突っ込む〉と、『あぁ、これじゃこれじゃ』と影の中から何かを取り出して、


「先の男が死んだことによって、招待枠が1つ空席になってしまったからの。あの男に代わってこれをヌシらに渡そう」


 と、そう言われて差し出されたのは、一見なんてことない横長の封筒であった。やけに薄っぺらく、封筒の紺色に対して目立つ金の封蝋が高級感を放っている。


「これ、は……手紙、ですか?」


「いや、招待状じゃな。ロイデンハーツが運営する国内最大級のカジノ、『グラン・ノアール』が開催するイベントへの招待状じゃ」


「『グラン・ノアール』……?」


 聞き覚えのない言葉に、ジュリオットは眉根にしわを寄せた。隣に立つペレットも同様の反応をしている。ただわからないからだけではなく、厄介ごとの匂いを嗅ぎつけてしまった故の反応であった。


「毎年、世界中から悪党を招待しておる〈賭場〉でな。あぁ、隠さんでも知っておるぞ? ヌシらは東の方で活動しておる『戦争屋インフェルノ』じゃろ?」


 陶器のような面(つら)に屈託のない笑みを浮かべるイツメ。その笑顔に不信感を抱きながらも、否定する理由は特にないのでジュリオットは肯定の意を示す。


「……そうですが、それは? 受け取らなくても良いものですか? 凄く面倒な予感がするのと、先約が入っているので、出来れば物凄く、激しく、凄まじく受け取りたくないのですが」


 なんなら今すぐにこの女から離れて席に戻りたい。というか、いつまでこの連結口を挟んで向かい合いながら、会話を続けなければならないのだろうか。


 筋力のない自分には、揺れて揺られる車両内で立ち続けるのが大変厳しいのだが、などと関係のないことを考えていると、


「そうつれないことを言うでない。まぁ、わらわがヌシに渡すと決めた時点で、ヌシはこの招待状の呪いから逃れられないのじゃがな」


「は、呪い……? どういうことです?」


 これまた聞き慣れない言葉に質問を繰り返すジュリオット。『呪い』――なんだ、そんな不吉そうな名前は。特殊能力とはまた別物なのだろうか。


「まぁそうじゃの、ヌシらの使う『特殊能力』とは少々扱いが違うものでな。説明は省くが、簡単に言えばヌシにかけられたのは、手紙に書かれた内容に従わねば、受け取る者は死ぬ――という呪いじゃ」


「なっ……!?」


「この場合、予定日に『グラン・ノアール』へ向かうことが指示されておるわけじゃから、ヌシはこれを守らねば死ぬということじゃな」


「はい!?!? なんですかその、迷惑でしかない強制!! そもそも呪いって、能力と何が違うんで……」


「いや待ってください、ジュリさんに渡したってことは、俺はその呪いとは関係ないってことっスか!?」


 イツメの発言を反芻はんすうしてから前のめり気味に尋ねるペレット。するとイツメは、自分よりも10cmほど背の低いペレットを見下ろして頷き、


「そうじゃな。まぁ、こっちの眼鏡がヌシの保護者のようじゃったし、こういうのは保護者に渡すのが道理かと思ってな」


「うっし……。わーい、ジュリオットパパありがとうございます、ざまあ」


「ちょ、ちょっと待ってください? 呪いだかなんだかは知りませんが、何故、貴方の意向に私が強制で従わなければならないのですか?」


 こんな絵に描いたようなとばっちりを、何故自分が受けなければならないのか。しかも招待の気軽さに反して、破った場合の罰が大き過ぎやしないだろうか。と眼鏡の彼が反抗すると、


「まぁ、呪いを使ったのもカジノを動かすのも、わらわじゃなくオーナーじゃから、文句はオーナーに言っておくれ」


「そんな、無責任もほどが……何故よりによって〈賭場〉に強制させられるんですか。それも、悪党の集うような場所に」


「いやぁ、元々はさっきの毒の男に渡そうと思っておったのじゃが、影の中からじぃっと見ておったら、様子が何やらおかしかったから見守っておっての」


「……」


「それでヌシらに毒殺を仕掛けてから、綺麗に逆転するあの事運び。そこからの少年の早撃ちに見惚れたのと、まぁ後は……ヌシらの方がしぶとく生きそうだと思ってな。それだけじゃ。賭場に強制する理由は……まぁ、行ったらわかるじゃろ」


 と説明されて、怨念のこもった紺青の視線で焼き尽くすほど熱くペレットを刺すジュリオット。


 その無視出来ない眼圧にペレットが縮こまりながら彼を見れば、『何故あの時足を撃ってしまったんですか』と脳内に直接声が流れ込んでくるような気がした。


 撃った直後はペレットの判断にノリノリだった癖して、こんな展開になった瞬間これである。普通に酷い。まぁ、そうなる気持ちはわからなくでもないのだが、知らなかったのだから許して欲しいものだ。


「ははは、そう睨み合うな。まぁ、ヌシも巻き込まれたとはいえ、国1番のカジノに招待されたのじゃ。割り切って満喫するのも良かろう?」


「……この呪い、本当に発動してるんですか」


「あぁ、日常的に呪いを使うとして有名な、大南大陸で作られた金の封蝋を使っておるからな」


「解除する方法は、ないのですか」


「まぁ……呪いを別の呪いで『喰う』という解除方法もあるが、それには大南大陸へ向かわねばならん。それにヌシが招待された日は3日後の夜じゃから、どう急いでも間に合わんな」


「……ペレット君、貴方、大南大陸に行ったことは」


「ないですね、なので『空間操作』も出来ません」


 期待を込めたジュリオットの言葉に食い気味に返答をすれば、わかっていたとばかりに重い溜息が吐き出される。


「……これ、イツメさん、貴方を殺せば解除されるということは?」


「ないな。呪いをかけたのは招待をしたオーナーであって、わらわではないと言ったじゃろう。それに先程のわらわの能力を見て、わらわに挑もうという考えが粒ほどでも浮かぶとは笑いものじゃ。自殺志願者か? ウヌ」


「……別に、私が貴方に挑もうと考えたわけではありません」


 あくまで隣で腹立つ笑みを浮かべてこちらを見ている、紫色の糞餓鬼の話である。


 影を操って、影に物を出し入れすることが可能な能力者であるイツメと、空間を操って物を召喚したり空中に浮いたりすることが可能なペレット。その2人であれば、こちらが勝つ可能性もあるのではないだろうか。


 ……いや、厳しいか。どちらも『空間』系の能力者だろうし、互いの能力が互いに作用するかがわからない。


 それに作用するとしても、この狭い列車内では全方向に『影』が存在する。ひらけた場所ならともかく、こんな場所ではペレットの勝算は知れないだろう。


「ふっ、ヌシが賢者であると信じておるからな?」


「理不尽を妥協するだけの流れ生きている人間を、賢者とは言いませんよ。……まぁ、無理に手出しをして噛まれるつもりはないですが」


「噛むくらいで済むと思うでない。骨ごと砕いて丸呑みじゃぞ」


「……」


「はは、そう怖気付くな。――では、このくらいでヌシらとは別れよう。なぁに、当日になればわらわとはまた会える。とびきりのイベントを用意しておくから、楽しみにしていると良い。では、また会おう」


 白黒の美女はそう告げて、赤い唇をにやりと横へ美しく引き上げると、足元の影をタイツのように全身に纏い、頭の方からドロドロと溶けるように消えていった。





 床にばら撒かれた血の惨状は、イツメの能力によって全て片付けられ、何事もなかったかのように綺麗になっている。第三者が乗り込んできても血の争いがあったことなど、誰も気づきはしないだろう、というほど元通りであった。


 最後に駅を発車してからそろそろ20分が経ち、次の駅に到着する頃。元居たテーブル席に戻って、ジュリオットとペレットは悩んでいた。


 その傍では、あの売り子の変装をした男が持ってきたワゴンが列車の動きに合わせてゆらゆらと触れている。


 どこに片付けたら良いのかわからないので放って置いていたのだが、次に乗客が来た時に何か間違いのないように、毒入りレモンティーは全てジュリオットが自身の腹で処理をしていた。謎にポットの残りが多く、次で5杯目である。


「パパン、どうするんスか? 呪いがかかっているからには、行かなきゃならないと思うんスけど」


「……そうですね、とにかく先約をどうにかしなければなりません。3日後の夜なら調整の仕様があります。ちなみにカジノに出向く場合、ペレット君。貴方も道連れですからね」


「え? いや俺は大東大陸にパパッと帰りますよパパン。パパだけに」


「このクソガキ色々とうざったいな硫酸のプールに埋めてやりましょうか」


 まず容れ物が硫酸に耐えられる作りにしなくては、と半分本気で考え始めるジュリオット。それを察して少し焦ったのか、ペレットは冷や汗を垂らしながら愛想笑いを浮かべて、『も〜ぉ、嘘っスよジュリさぁん』とやけに媚びた声を出す。


「――でも、治療が1回で成功に終わるとは限らないでしょう? もし継続的な診断が必要ってなったらどうするんスか? やっぱ自分の命優先でカジノに行きますか?」


「その言い方、博打に溺れた父親みたいで嫌なんですけど……そうですね。流石に今死んでしまっては、あらゆる人に向ける顔がありませんから」


 イツメから受け取った招待状を、指先で裏返したりして遊びながらぽつりと溢す紫髪の青年。


 目を引くのは金の封蝋。これにかかっている呪いのせいで、ジュリオットはどことも知らぬ賭場へと向かわねばならないのだ。イツメは『悪党を集めて』『イベントを行う』と話していたが、果たして何をさせられるのか。


 中身を読めば心労が限界を迎えるのが予知出来ている為、なんとなく彼は封を切るのを躊躇ためらっていた。


 ――猶予が3日間あるならば、中身を読むのは今ではなくても良いだろう。


 ジュリオットは嫌なものを視界の外に追いやるように、早い手つきで招待状を医療バッグの中へ仕舞い込んだ。


「……けど、『ヘロライカ』には私怨があるんですよね? ……ジュリさん、割とマジで忙し過ぎませんか? 過労で死んだりしません?」


 普段から薬というむちを自分に降るって身体を動かしている彼は、最近の健康生活のおかげで外見こそ体調が良さそうに見えてきているが、その内側はきっと恐ろしくボロボロになっていることだろう。


 ここで無理をさせれば、本当に死んでしまうことだってあり得るかもしれないのだ。


 その、決して僅かではない可能性を突きつけるように問いかけると、ジュリオットは机上で肘をついて両手の指を全て組み、ぼーっと視線を下げて呟いた。


「……助けると口約束だけして人を助けられず、慌てて賭場に走ってその結果が過労死、ですか。本当になるなら笑えないほどの醜態ですね」


「もしそんなことになったら、俺が1番デカい声で笑ってやりますから安心して逝ってください」


「安心要素が微塵も分かりませんけど、とにかく過労死しない程度にどちらも両立させるつもりです。ですから、それなりに付き合ってくださいよ?」


「……気が向いたら、助力して差し上げるのも良いかもしれませんね。ま、ジュリさんが死んだことでフィオネさんに怒られるのも嫌なんで、なるべく助けるとは思いますけど。一応、先日まで重体だったんでよろしくお願いします」


「その重体を私が治してあげたんでしょうに」


「苦い薬で味覚をぶち壊したの間違いじゃないっスか? お陰で貴方が絶賛してたマロンタルト、自分の食った分味しなかったんですけど??」


「なら、私に寄越してくれた方がタルトも幸せだったでしょうね」


「そうじゃねえんスよヤク中眼鏡」


 決して甘くない軽口を叩き合いながら、青と紫をそれぞれ瞳に宿した2人は、各々目の前に広がる現実と向かい合う。ジュリオットは、いつ襲い来るかも知れぬ自分の身体の限界に。


 ペレットは、そんな風に自分の健康について考えながらも、現在進行形で毒を飲み続けているジュリオットの、馬鹿さ加減に。


「……とにかく、この招待状のことは黙っていましょう。相談するとしても、ギルさんのみです。他の3人は混乱を呼びかねない。3日以内に治療を必ず成功させて、ミレーユさんと別れてから話をしましょう」


「そうっスね……。ってか、ミレーユさんの弟さんの治療も、招待されたカジノの件も、巻き込まれでしかないのになんでジュリさんこれから死にそうな感じ出てるんでしょうね」


「……確かに」


 ジュリオットが頭を抱えて人外生物のように唸ると同時、それを見てペレットは背もたれに身体を預けながらケラケラと笑った。

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