第02話『ウェーデン王城への襲撃』

 ギルが路地裏から立ち去ったのと、ほぼ時を同じくして。暮れかけた陽が差すとある煉瓦広場に、青いデニム生地のオーバーオールを着た1人の少年が現れた。


「おー、ここで読むかぁ……」


 『中央大陸新聞』を意味する北東語が太字で入った新聞を抱えた少年は、広場の古びたベンチに腰を下ろす。そして不慣れながらに足を組むと、折り畳まれていた新聞を丁寧に広げ、紙面に踊る文字に真っ直ぐな視線を走らせた。


「『ウェーデンに迫る脅威。煉瓦街で有名な島国・ウェーデン王国――古来より小国ながら貿易で栄えていたウェーデンであるが、昨今その歴史に終止符を打たんとする脅威が迫っていた』」


 誰に聞かせるわけでもなく、印刷された文字を読み上げる少年。

 その口から溢れる少女のような可憐な声は、人気ひとけのない夕刻の広場の、静かでひんやりとした空気に溶けるように消えていった。


「『その脅威の名は【インフェルノ】。これまで数多くの国家と戦ってきた謎の多い組織であり、巷では戦争屋の名前で呼ばれ』……」


 ――と、途中まで読んでいたそのとき。突然、少年が視線を走らせていた紙面に影がかかった。思わず少年は読み上げる声を止め、反射的に顔を上げる。すると、少年の琥珀色の瞳には、足元が赤く血塗れの青年の姿が映り、


「へぁ!? ……あ、なんだギルかぁ」


「ぶふッ……ビクッた時の顔超おもしれ。うい、ちっすちっす」


「え、いやいや、なんで血塗れのまま平気でほっつき歩いてんの?」


「色々あってな。まぁ予告状出したおかげか、この時間帯はもうみーんな家に閉じこもってるみてえだったし、結果オーライ」


 そうニヤリと悪戯っ子のように笑う、血塗れの青年――ギル。その足元の凄惨な様子とは縁遠そうな無邪気(?)な彼の笑顔を見ると、新聞紙を折り畳んで、少年は安堵したように溜息を吐いた。


「ハァ……急に出てくるとか、心臓止まるかと思ったじゃん……」


「ふひひ、止めるつもりで来たんでなァ」


「おい、冗談にならないんだケドー?」


 少年が真顔でツッコむと、ギルは面白がるようにけたけたと笑う。

 しかし少年は、ひたすらに真面目な面持ちであった。ギルが人殺しに抵抗がないのを知っているため、彼の『心臓を止める』という発言は冗談でも笑えないのだ。


「――に、してもシャロお前……」


「んぇ?」


「遠目から見ると、見た目だけはほんッと女だなァ? 久しぶりに会って一瞬だけお前の性別がわからなくなったわ。マジ、お前と喋ってると何かの拍子に変な気起こしそうでいつもヒヤヒヤする。俺、そっちのケないのに」


「何ギル怖ぁい。シャロちゃんが美少女なのは当たり前だけど……」


 ギルの唐突な発言に、目を瞬かせる少年・シャロ。その様子を見つめ、


「何度も聞くようだが、本当に……いやなんでもね」


 途中まで言いかけたギルは、これ以上言うと殺されるような気がして口を止め、ベンチに腰を掛けているシャロの全身を眺めた。


 丁寧に手入れされ、肩まで下ろされた綺麗な薄茶色の髪。大きくきらきらと輝く金色にも似た琥珀色の瞳。長い睫毛と潤った唇に整った目鼻立ち、白いシャツとデニム生地のオーバーオールに包まれた線の細い身体。


 それは、誰がどの角度から見ても〈少女〉と思える容姿であった。


 しかもそこらの女性より見目が良く、美少女と呼んでも違和感のない上物ぶり。ただし、美少女の前に『黙っていれば』とつくことが前提のタイプだが。


「……今、めっちゃヤラシーこと考えてたでしょ、この変態ッ」


「考えてねぇよ!! ……あー、要するに、性別わかんなくなるぐらい可愛いですねーってこった。……これでついてるとか、詐欺もいいとこだろ」


 ゴミを見るような視線を向けられ、前言を訂正するギル。途端、シャロの表情はきらきらとした嬉しそうなものに打って変わった。


「そうかそうか、そんなにシャロちゃんが可愛いかぁ! それなら仕方ないな! 可愛くて思わず女の子に見えちゃうかぁ〜! わかるぞぉ〜その気持ち!」


「……」


 先程までの態度が嘘だったかのように、満面の笑みを見せるシャロ。その反応のあまりの豹変ぶりに、思わずギルは『おん……』と引き笑いを浮かべ、


「――あぁ、そうだシャロ。そろそろ準備した方が良いぜ」


「おー、もうそんな時間?」


 シャロはこてんと首を傾げると、跳ねるようにベンチから腰を上げた。


「んーっ、ふわぁぁぁぁ……」


 大きく背筋を伸ばし、身体全体の筋肉をほぐすと、目を細めて欠伸をする。

 それから眠気に緩んだ頰を叩くと、少年は煉瓦の街を見回した。カフェオレにも似た亜麻あま色の髪がふわりと靡き、沈みかけの陽に透けて儚げに輝く。


「んあー、やっとだねぇ。この街ともお別れかぁ……」


「名残惜しそうに言ってッけど、情報収集の為に1ヶ月住んでただけじゃねぇか」


「まぁね、でもやっぱさ、愛着? ってやつが湧くんだよ。逆にギルは愛着とかってないの〜? 相変わらず非情なエロガキだなー」


「うっせ。つかエロガキ関係ねェし、お前の方が歳下ガキだろーが」


 呆れたようなギルの言葉に、シャロはけらけらと笑いながら横髪を耳に掛ける。

 すると、今まで隠れていたインカム型の小型無線機が露出した。


「おっし、そんじゃあ行こっかー!!」





 同日の深夜、午後9時を過ぎた頃。

 中央大陸の東端付近の島国、ウェーデン王国の王城内にて。


「はぁ、はぁ、はぁッ……」


 とある若い兵士が1人、焦燥に駆られて城内を駆けていた。


 その足が向かう先は、王城の中核に当たる場所――謁見の間。この城内で今最も警備が固いであろう場所だった。しかし当然、謁見の間の前へ辿り着いた兵士を、扉を守る3人の近衛兵が受け入れることはなく。


「止まれ、何用だ」


 と、走ってきた兵士に対し、一斉に警戒を強めて各々の武器を向けた。


 ちなみに普段は、ここまで警備が厳しい事はない。

 普段は書類手続きさえすれば一応誰でも謁見できることになっているし、もし不審な人物がやってきても、武器まで持ち出してくることはなかった。


 つまり今の警備態勢は、極めて異例の状態で――その原因はもちろん、昨今のウェーデンで噂されている『戦争屋』に対する危惧にあった。


 3日前に来た『今度お前の国襲うから、覚悟しとけよ〜!(要約)』という内容の予告状を目にした国王が、明日の我が身を心配して警備の強化を命じ、それにより現在全ての人間が謁見の間への立ち入りを禁止されていたのだ。


 しかもまさに、今日が戦争屋から予告された強襲決行の日。

 大臣でも近衛兵でもない一般兵など、余計に入室できるはずがなかった。


 しかし兵士は近衛兵3人から睨まれてもきびすを返すことなく、その場で全身を使うような荒い呼吸を繰り返して、


「いえっ、ハァ、緊急のっ……はぁ、報告が……っ!」


 ぜえぜえと肩を辛そうに揺らしながら、吐き出すようにようやく告げた。

 瞬間、いぶかしんでいた近衛兵達に緊張が走る。彼らが固唾を飲んで次の言葉を待ってくれているのを好機に、兵士は更に言葉を紡ごうと息を吸い込んだ。


 ――だが。

 

 兵士から続きの言葉が出てくるよりも先に、『異常事態』が勃発した。


 突如として、近衛兵3人の背後にあった謁見の間の扉が、灼熱と白光と、辺りを揺るがすような爆発と共に吹き飛んだのだ。


「!?」


 訳もわからぬまま、突然の爆発にまとめて吹き飛ばされる兵士と近衛兵達。


 それと同時に、謁見の間の悲惨な光景が露わになった。


 美しく滑らかそうな、高級感と気品のある緋色のカーテン。輝かんばかりのシャンデリアに、煌びやかな輝きを持つ宝石が埋め込まれた黄金色の玉座。白亜の壁や大理石の床、挙句には前代国王が著名の絵師に描かせた肖像画まで。


 そのどれもが灼熱の赤い炎に包まれ黒のすすで汚れ、元の価値を失っていた。

 原型が辛うじて残った、ほぼ別のナニカに変貌を遂げていたのだ。


 そして、この混沌とした事態は更に異常を極め――。


「おっかしいなぁ、この部屋空っぽなんだケド……」


「もしかして俺ら、ハズレ引いたんじゃね?」


 そんな会話と共にふと、立ち込める黒煙の中から2人の男が現れた。

 その内の片方は、150センチ半ばくらいの己よりも大きな鎌を、死神のように軽々と担いだシャロだ。もう片方は、両腕に沢山の手榴弾を抱えたギルである。


 両者は炎に包まれた謁見の間の中で、煙にも灼熱にもまるで害されていないかのように平然と立ち、爆風で吹き飛ばした扉の先を見据えていた。


「腹いせにもう1発投げるかァ? けけけッ」


「ばーか、こんな近距離で使ったら、シャロちゃんにも被害が及ぶじゃん」


「……あぁ、〈自己回復の能力がない〉って面倒だなァー。仕方ねえからここでは遠慮しとくけど。んで、俺らはこの後どうすりゃ良いわけ?」


 ギルからの問いにシャロは、『ちょっと待って』と装着していた無線機に手を添える。そうしてしばらくの間小声で何かを喋ると、強面の青年の方を振り返り、


「本題については後回し。とりあえず今は自由に暴れろとのことでェッス」


 そう言って、星が弾けるようなウインクをきゃぴっとキメた。

 するとギルは両手に手榴弾を持ったまま、嬉々として駆け出していく。その姿はさながら玩具おもちゃを与えられた幼児のようであり、


「よっしゃ〜〜! 殺るぞ〜〜!」


「常識的な範囲で殺れよーぉぅ、ギルは爆弾めいっぱい使って建物ごと壊しがちなんだから……って、うわー煙たい」


 ギルを見送っていると突然肺に侵入してきた煙に、シャロは思わず眉をひそめてぶんぶんと手を振った。


 ――本来は、こんなに息苦しいやり方で侵入をするはずではなかった。


 もっと、きちんとした侵入経路が予定されていたのだ。


 しかし、時は遡ること数十分前。戦争屋本部と無線で打ち合わせをしていると、突如としてギルが『謁見の間って最上階にあんだろ? 俺ちょっと、上から入ってみてェんだわ』とご大層おクレイジーな発言をしたのである。


 そうしてシャロの『やめろ止まれぶち殺すぞ』という制止の声も聞かず、ギル達の存在に気づいた、城外の警備をしていた兵士達に大勢で止めに来られても返り討ちにして一向に止まらず、ギルは手榴弾を何発も屋根に向けて投擲とうてき


 天井を爆破して大きな穴をあけ、反対していたシャロまで巻き込んで、本来通るはずだった侵入経路をフル無視したのであった。


「さぁて、シャロちゃんも殺りに行きますかー」


 呟きながらその場から退室したシャロは、担いでいた大鎌をスッと構えた。


 と、そこへ先程の爆発に吹き飛ばされた兵士達が起き上がってくるが、シャロがお構いなしに大鎌を振るうと、空中に描かれた鉛色の弧はいともたやすく4人の兵士達の首を刈り取っていった。


 頸髄けいずいも血管も見事なまでに綺麗に断ち切って、絶命する瞬間も刈られた痛みも、自覚さえさせずに相手を殺す――ちなみに首を刈る時のコツは、真横から首を切るのではなく、落とすようなイメージで若干斜め上から切ることだ。


「……ふう」


 あっという間にこの場の敵を殲滅せんめつすると、シャロは軽く一息吐く。そして耳元の無線機に手を添えると、耳を澄ましながら可憐な声を溢した。


「準備できたよぉ、いつでもオッケ〜」


 すると僅かなノイズの後、聞き慣れた声が内部スピーカーから流される。


《了解。ちょぉ待ってな、今見るから》


 そう言葉を紡いだその声は、凛としていて聞き心地の良いものであった。

 声の主を知らなければ、つい聞き惚れていたかもしれない。そう考えるシャロの脳裏には、とある残念な少年の姿が浮かんでいた。


《――えっと、20メートル先、通路右方向から……紋章の刺繍がマントにされとるから、情報が正しければ1級兵。それが全部で10人やな》


 『いけるか? シャロ』と心配する言葉が無線機から流れる。しかしその口調は余裕に満ちており、そこにはシャロに対する絶対的な信頼があった。


「いけるいける、シャロちゃんを舐めなさんなー!」


 返事をして、ちろりと舌舐めずりをしたその時。無線機の声による予言通り、マントを翻した10人の兵士達が一斉に通路の角から飛び出してきた。


 それを視界に捉えた瞬間――シャロは、ニィと口元を歪める。


「ヘイヘイヘーイ! こん、にち、わァッッッ!!」


 兵の群れに飛び込むと、シャロは躊躇ちゅうちょなく大鎌を振るった。


 一振り・二振り・三振り。

 生々しい感触を1つ1つ感じながら、軽い身のこなしで踊るように蹂躙する。


 そんな彼に兵士達は抗うように槍を突き、剣を振るうが、ふらりと避けられては反撃を喰らっていた。まるで、シャロの周りで可笑しな引力が働いていて、武器の軌道が逸らされているかのように、全くもって攻撃が当たらなかった。


 そうしてシャロが大鎌を振るう度、目から光を失った雁首がんくびが次々と宙を舞い、廊下の白亜が赤黒く濡れていき――。


「いっ……せぇ、ので、ぐしゃーッ」


 カウントと珍妙な擬音で計4拍数えている内に、4人の兵士の首が踊る。


 そして、彼の楽しげな足取りが止まる頃。

 獲物を狩る野生の獣の如く、爛々と輝く琥珀色の瞳に映っていたのは、



「きっちり10人、ご馳走様でぇっす。きゃぴっ」



 頭部をその辺に転がし、首の根元から噴水のように血を噴き出して、意思持たぬ人形となり果てた〈残骸〉の群れであった。

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