第18話 毒を食らわば皿まで

 彼女たちとは、私がきつい言葉を残し部屋を出てから、そのままになっている。

 グレースに新しい部屋番号は伝えていないが、彼女が私に連絡したければ、調べは簡単に付くはずだ。そろそろ電話があっても良い頃だと思っているところへ、部屋の電話が鳴った。

 コールの相手はグレースではないかと期待し電話へ出ると、それはフロントの取り次ぎで、相手は一時間前に別れたばかりのジェイソンだった。

『佐倉、街の中は兵隊だらけだ。奴らは総出で、ジェシカを探しているぞ』

 それは想定内だった。

「そうだとは思っていたが、やはり動きにくいな」

 ジェイソンはふうむと気の抜けた相槌を打ち、少しの間を置いて言う。

『なあ、変だと思わないか? 肝心のケビンを探すなら分かるが、なぜ奴らは、これ程彼女を追いかけるんだ? どう考えても普通じゃない』

 そういえば、彼女が拉致された理由については、何も聞いていなかった事を思い出す。

「つまり彼女は、まだ何かを隠しているという事か?」

『分からないが、そんな気がする。あれから彼女たちとは何か話したのか?』

「いや、あのままだ。向こうからは何も連絡がない」

『それなら早めに、もう一度話した方がいい。彼女たちだけでは、どうにもならないぞ』

 私は分かっていると返事をし、その電話を切った。

 グレースへ連絡する前に、私はフランスへ、二つのメールを出した。

 一つはかつて懇意にしていたフランス諜報部のルイに、ダークブルーに関する問い合わせをしたのだ。パリとフィリピンの時差は七時間、フランスの昼となるフィリピンの夕方には、何かしらの返事を期待しての事だ。

 同時に私は、フランス軍将軍であるブライアンへ、セブへ駐留しているアメリカ軍の責任者を紹介して欲しい旨、直々にメールでお願いした。

 ブライアンは、私がフランス軍スペシャルフォースへ従事していた頃の司令官で、当時は何度も、彼と作戦について議論した仲だった。

 メールには、現在自分が置かれている状況を、ダークブルーの件も含めて書いた。

 フィリピンへフランス軍が駐留していれば手っ取り早いが、残念ながら在フィリピンのフランス部隊はない。よって、我々の身柄をアメリカ軍に保護してもらうのが目的だった。

 大使館や領事館でも良かったが、アメリカもフランスも、それはフィリピン首都のマニラにしか置いていないため、現実的なアメリカ軍による保護を模索してみたのだ。幸いアメリカは、東シナ海での不穏な動きに合わせ、セブに特殊部隊を駐留させている。

 もちろん各国大使館は治外法権区であり、アメリカ軍は、フィリピン政府でも手出し口出しのできない地位協定の範疇内だ。フィリピンアーミーが動き出しているのであれば、その辺りに身柄を保護してもらうのが、一番安全で確実と思われた。

 それが叶わない場合は、セブの日本領事館に保護を願い出る。説明は厄介だが、かつて警察へ世話になっていた頃のつてで、それもどうにかなるかもしれなかった。

 ダークブルーの件は、敢えて書き添えた。それを引き合いに出しておけば、相手の食い付きが違ってくるだろう。

 ダークブルーが単なる伝説ではない場合、おそらくブライアンは、直ちに返事をくれるはずだ。その情報をアメリカやフィリピンへ渡したくなければ、インド洋から南太平洋にかけて活動しているフランス軍潜水艦を一基、慌てて手配してくれるかもしれないし、実際にその可能性は高い。

 ダークブルーの情報や現物が人手に渡ってしまおうが、今は身を守る方が重要だ。私個人の事ならば、素知らぬ振りで日本へ帰国すれば済む事だが、グレースやその家族の事を考えれば、大きな組織に味方として参入してもらうのが得策である。

 二本のメールを出し、少し息を付いた。

 次は隣の部屋にいる姉妹に手を差し伸べてやらなければ、彼女たちは身動き一つ出来ず、部屋の中で干からびてしまうだろう。こちらから彼女たちの様子を見るのはしゃくだったが、もう一度二人の真意を確かめる事に決めた。

 廊下へ出て、隣の部屋のドアをノックした。部屋の中で物音が聞こえ、ドアのロックが外れる。

 ドアを開けたのは、ジェシカだった。厳しい言葉を投げた後だけに、顔を合わせると、私は少し気まずかった。

「グレースはいるか?」

 彼女はこくりと頷き、更にドアを広く開ける。部屋の中へ入れという事だ。

 私が中へ足を踏み入れると、グレースはビジネスデスクに備え付けの椅子に座り、こちらを向いていた。顔には怒っているような固い表情を浮かべ、彼女は私を睨めつけた。

 私の後ろには、ドアを閉めて鍵を掛けたジェシカがいる。

「街ではアーミーが、そこら中で目を光らせているとジェイソンが教えてくれた。お前たちがホテルから出たら、直ぐ奴らに見つかるだろう。その後どうなるかは分からない。殺されるのか、あるいは前と同じように監禁されるのか」

 二人は黙っていた。それはいつも明るい、グレースの態度ではないような気がした。

 私は後ろにいるジェシカの方を振り向き、今度は彼女へ言った。

「なあ、一体どうしてお前が狙われるんだ? おかしくないか? これ程大掛かりにお前を確保しようとする狙いは、一体何なんだ? お前はその理由を知っているんじゃないのか?」

 私は焦っていたのかもしれない。

 映画の中であれば、強力な戦士が一人で軍やゲリラの一個小隊を壊滅させる事ができるかもしれないが、現実はそうはいかない。ならばどうしても、針の穴に糸を通す様な活路を見いださなけれならないのだ。

「俺は不思議なんだよ。お前はマフィアに拉致されてさえ、彼らに何も危害を加えられていない。監禁されてはいたものの、まるで大切な客人扱いだ。お前が持っている情報が欲しいなら、奴らは拷問でも何でもするはずなんだ……。なぜだ? 奴らがお前を確保する狙いは何なんだ?」

 それでも二人は黙っていた。グレースは、既にジェシカから秘密を聞き出しているのかもしれない。二人揃ってかたくなに黙秘を貫こうとする態度は、彼女らが何かを隠している証だ。

 しかし事実を知る事ができなければ、アメリカやフランスの軍に保護を願い出るのは難しい。彼らの益にならない個人的な理由で、軍のような大掛かりな組織を動かす事は到底できないのだ。

 私は黙り込む二人が口を開くのを暫く待ったが、結局彼女たちは何も教えてくれなかった。

「分かった。残念だが、俺はもう、お前たちを助ける事はできない。俺は明日の便で日本へ帰国する。グレース、もしお前も日本へ帰りたいなら、一緒に連れていってやる。どうするかは今日の夕方までに連絡をくれ。俺は隣の部屋にいる」

 私は本当に残念だった。グレースの事は心配していたし、ここまで関わった以上、できるだけ力になりたいとも思っているのだ。

 私が踵を返しドアの方へと歩き始めたところで、グレースの「待って」という声が、私の背中へ投げられた。

「佐倉さん、私たちはあなたの助けが必要なの。知っている事を全て話すわ」

 振り向くと、思い詰めた様子のグレースが、私を睨んでいる。

「グレース! だめよ」

 ジェシカがすかさず、グレースを牽制する。

 グレースは、ゆっくりジェシカの方を向いた。

「この件で知っている事は、全て佐倉さんに伝えるべきよ。もう、私たちの手には負えないの」

「でも話したら、ケビンが殺される」

「話さなくても殺されるわ」

 その言葉に、ジェシカが怯んだ。

 グレースが、重苦しいほどの真剣な視線を私に戻す。

「佐倉さん、私もさっき知ったばかりなの。ケビンはもう、フィリピンアーミーに捕まっている。ダークブルーも、一個はアーミーに取られたわ。あなたは、ダークブルーがペアで凄い威力を発揮すると言ったけれど、本当は違うの。二つのダークブルーを合わせることで、初めてレーザー用原石として機能するのよ。つまり一個しかなかったら、それはただの石なの。その一個を、フィリピンアーミーは既に手に入れた」

「だったら、もう一個は?」

 グレースは、黙ってジェシカを見つめる。

「まさか、お前が持っているのか?」

 ジェシカは小さく頷いた。グレースが説明する。

「今持っているわけじゃないのよ。ジェシカがある場所に隠しているらしいの」

 私はいささか驚いた。まさかジェシカが問題の石を持っているなど、想像すらしていなかったのだ。

「それはまだ、誰の手にも渡っていないという事だな?」

 ジェシカが再び頷いた。

「それで、どうやってお前たちは、そんな物を手に入れたんだ?」

 ジェシカは既に観念したらしい。彼女はようやく、事の経緯を語り始めた。

「ケビンの死んだおじいちゃんが残した物なの」

「つまり、形見ってわけか?」

 彼女が頷くのを見て、私は更に訊ねた。

「その爺さんは、どうやってそれを?」

 ジェシカはベッドに端にゆっくり腰を下ろし、私の方へ上半身を向ける。

「彼は昔、フィリピン軍の兵隊だったらしいわ。それでフィリピンがアメリカの統治下になった時、デニスというアメリカ兵と親しくなったらしいの。そのデニスが、自分の死ぬ前に宝石を二つくれたということみたい」

「つまりそれが、ダークブルーだったというわけか?」

 姉妹は揃って深刻な顔を作り、部屋の空気を凍りつかせていた。

「そう。おじいちゃんはそれを売ろうとしたらしい。でも、どこでも偽物の宝石だと言われ、値段が付かなかった。普通の人には、その価値が分かるはずないもの。そうなら知人の形見として持っていようと、彼は家の中にそれを保管していたの」

 宝石の専門家が専門的に見れば、それは通常のダイヤやサファイヤとは違うのだろう。いくらそれが美しくても、偽物に見える物に対価を払えないのは当然かもしれない。

「それをケビンが家の中で見つけた、というわけだ」

「そう。でも、彼も本物の宝石だと思った。だからそれを売ろうとしたの。けれど偽物のブルーダイヤだと言われて、彼はそれが本物の宝石かどうかを自分の働いている大学で調べようとした。それがたまたま教授の目に止まり、彼がその石に興味を持った。元々その教授は、ダークブルーの噂を知っていたらしいわ。それが、フィリピンのどこかに埋もれているという情報まで持っていたようよ。それで詳しく調べて分かったのは、結晶構造が特殊だとかそういう事で、どうやらこれこそが噂のダークブルーだという話になった。それで教授は、凄い発見だと興奮したらしい。だからケビンは、大金が手に入るかもしれないと教えてくれた」

 それがフィリピンへ来る前、日本でグレースが語った話しと繋がるということだ。

「なるほど。しかし、それがなぜ、こんな大騒ぎなったんだ?」

「それはその教授が、お金と名声欲しさに裏切ったから」

 その言葉が、私に違和感をもたらす。

「裏切った?」

「そう、ケビンは裏切られた。その教授が、ダークブルーを自分の知り合いのジェネラルへ勝手に売り込んだの」

「そこで軍が繋がるわけか。しかし、なぜお前たちがここまで追いかけられるんだ?」

 そこでグレースが口を挟んだ。

「ダークブルーは、二つないと機能しないって言ったわよね。一個はジェシカが持っているのよ」

「それはそうなんだが、そうなった経緯がよく分からない」

 つまり軍が表へ出てくる前に、ケビンと教授のやり取りで全てが完結しても良さそうなものなのだ。

 再びジェシカが説明を始める。

「そもそも教授は、ダークブルーが一個では機能しない事を知らなかったの。大学で調べた時に、ケビンがダークブルーを一個しか持っていかなかったのも幸いした。だから教授は、もっと詳しく調べるという口実でその石をくすねたけれど、彼はそれで、ダークブルーの全てを手中に収めたと思ってしまった。それで知り合いのジェネラルへ売り込んで、軍にお金を出させて色々試したけれど、どうしても上手くレーザーを作れない。その間に軍はダークブルーについての情報を集め、それが一個では動かない事を突き止めた」

「なるほどな。もし一個で機能したら、それはダークブルーではないということだ」

「その通りよ。それでますます、それがダークブルーである信憑性が増した。一個じゃ動かないけど、でも一個は既に手元にある。もう一個あれば、世界最先端の兵器を作る事ができるの。そこで軍は、総力を上げて情報を集めた。そして遂に、フィリピンにいたデニスというアメリカ兵にたどり着いた。そこからケビンのおじいちゃんの名前が浮かび、そして教授からはケビンの名前が出て、全てが繋がってしまった」

「それでケビンが、軍に追われる事になった……」

 一瞬、ジェシカの顔が、苦痛で歪んだような気がした。

「そう。ケビンの確保を担当したのがアーミーよ。でも、アーミーが直接動いたら目立つし、場合によっては問題になる。だから彼らは、それをマフィアに依頼した」

「ちょっと待てよ。なんでここで、マフィアが登場するんだ?」

 黙って聞いていたグレースが、補足する。

「元々アーミーとマフィアには、ドラッグ絡みの黒い繋がりがあるって噂よ。だからそれほど不思議じゃないの」

「なるほど、よくある話だな」

 ジェシカが続けた。

「ケビンは、自分の身辺に変な人たちが現れた事を、直ぐに気付いたわ。だから彼は、私に残りのダークブルーと事情を書いた手紙を預けて姿を消した。軍は彼の家を泥棒みたいに家探ししたけれど、もちろんダークブルーは見つからない。それにケビンも簡単に見つからなかった。だから軍は私を、人質兼情報源として捕らえる事を決めたらしいの」

「どうしてお前なんだ? 人質なら両親や兄弟の方がいい気がするが」

「それは私が、ケビンが消える前に彼と最後に接触した人間だからよ。軍は私が、何かを知っていると疑っていた」

「それでお前が捕まった……」

「そうよ」

 エリックの手下は彼女の仕事帰りを狙い、窓が真っ黒なスモークで覆われたワンボックスカーで、突然現れた。車が停車すると、中から屈強な男三人が降りて、彼女を囲んでナイフをちらつかせたようだ。

 ケビンが狙われている事を知っていた彼女は、直ぐに状況を飲み込めたが、そうなると彼女は、おとなしく彼らに従うよりなかった。

「捕まった日、軍の幹部のような人間が、わざわざ私に会いにきたわ。それで色々訊かれた」

「何を訊かれた?」

「ケビンの居場所についてや、最後にケビンと会った日に彼と話した内容、ケビンから宝石を預かっていないかどうか、そしてダークブルーというのを知っているか。何も知らない振りをして、全部適当に答えた」

「そのお偉いさんは、お前の言う事を信じたのか?」

「多分信じたと思う。その後に拷問を受けたり詰問される事はなかったから。でも彼らに、私を開放する気はなかったみたい」

「一旦拉致してしまったんだ。しかも軍の人間に会っている。それらを公表されたら、奴らは困るからな」

 ジェシカは世間並みの常識を持ち合わせているようで、私の言葉に、その通りよと言った。

 それから救出されるまで、彼女は不毛な日々をあの部屋で過ごしたようだ。このままではいずれ、自分は殺されるだろうと予想していたにも関わらず、彼女になす術はなかった。

 マフィアの本拠地に一人で監禁されてしまえば、それは当然の事だろう。

「そしてケビンが捕まり、同じ日に私が救出されたの。ようやくターゲットを捕まえたら、今度は人質がいなくなったんだから、彼らも不思議だったと思う。全部が見透かされている不安を感じたかもしれない。それに私がダークブルーを隠した事を、ケビンはもう言わされた可能性もある。彼は軍の施設に捕らえられているらしいわ。場合によっては私も、そっちに連れていかれたかもしれない」

 偶然の一致だが、ジェシカの脱出は奴らにとって、不可解な出来事だったろう。ダークブルーと同じで、常に何かが一つ欠けてしまう事は、彼らに大きなフラストレーションを与えたはずだ。

 ジェシカの救出については、グレースの無謀な願いを聞き入れたお陰で、結果的にどうにか上手く事が運んだ。救出を数日先送りしていたら、ジェシカを救い出すのは困難を極めたはずだし、場合によっては取り返しのつかない事態を招いていたかもしれない。

「もしケビンがダークブルーの在り処を話していたら、それは軍も、必死にお前を追いかけるよな」

「そう。それに私は、彼らの悪事を知っている生き証人よ。もう生かしておけないわよね」

 直接手を下すのはエリックたちかもしれないが、彼女は間違いなく口封じされたはずだ。

「しかし、ダークブルーが見つかるまで、奴らはケビンを生かしておくだろう」

「そう思う。きちんと全てを手中に収めるまで、彼らはケビンを殺さない。でも、私の知っている事実が世間にリークされてしまえば、彼らは証拠隠滅を図ってケビンを殺す。功績を上げる前に軍を首になったり逮捕されたら、元も子もないもの。そして次は私の番ね」

 事の成り行きは、辻褄が合っている。そしてジェシカは、意外と冷静に状況を分析できているようだ。

 ジェシカが深刻な顔で口を閉ざすと、グレースが言った。

「佐倉さん、もう状況は分かったわよね? ジェシカはあなたの事をよく知らないから、事情を伝えるのが怖かったの」

「確かに微妙だな。しかも今の話だと、軍と取り引きはできない。下手にこちらからすり寄れば、一網打尽でお陀仏だ」

「そうよ。ダークブルーを差し出して終わりになるなら、迷わずそうするんだけど」

 私はここで、大切な事を確認しておきたかった。

「お前たちには、大金をゲットできるかもしれないチャンスを捨てる事に、未練はないのか?」

 ジェシカが「ないわ」と、吐き捨てるように言った。そしてグレースが、補足するように言葉を添える。

「死んだら大金がどうこうなんて関係ないでしょう? そのくらい、私たちにも分かるわよ」

 私が彼女たちの方を向くと、姉妹二人が私を見返し同時に頷く。

 二人の眼差しに、まるで何かに挑むような力強さを感じたのは、おそらく気のせいではないだろう。

 私はここで、覚悟を決めた。

 毒を食らわば皿まで、ということだ。

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