第13話 救出準備

 二人で向かい合って座る朝食のテーブルで、いつになく無口になったグレースが、突然私の名前を呼んだ。

「佐倉さん」

 私が顔を上げると、彼女は食事の手を止め、漆黒の大きな瞳をこちらへ向けている。私の苦手な目だ。

 遂に来たな、と思った。エリック邸を見てから落ち着きを失った彼女が、今度は妹本人を見つけてしまったのだ。

 彼女は予想通り、妹の救出について、私を問い詰めた。

「あなたのお陰でジェシカは見つかった。次は彼女を助けて欲しいというのが私の依頼よ。いつどうやって彼女を助ける? 詳しい話を聞きたい」

 周りは欧米人が多かった。バカンス中かあるいはビジネストリップか分からないが、彼らは新聞を読み、ゆったりと朝食をとっている。

 私も彼らにあやかりたいが、目の前にクライアントがいるのではそうもいかない。

 これまで見たところ、彼女は粘着質なくらい一途だ。私の様にいい加減ではなく、融通がきかない面もある。

 少しくらいリスクがあろうと、どうにかなる、いや根性でどうにかすべきと考えるたちかもしれない。

「いつ行動を起こすか、まだ決めていない。おそらく三日後、あるいは四日後になる」

 途端にグレースは、眉間に皺を寄せる険しい顔を作った。

「もっと早くできないの? ジェシカがあそこにいる事はもう分かっているのよ」

「お前も見ただろう。あそこにはいつでも、銃を持つ三十人の兵隊がいる。簡単じゃない。無理に突っ込めば、俺とお前は蜂の巣になって死ぬ」

「それをどうにかするのが、あなたの仕事でしょ」

 激しく一方的な言い方に、私は少し腹が立ってきた。勿論最善を尽くすつもりでいるのだが、私は思わず投げやりに言った。

「保証はできないと言ったはずだ」

 その言葉に、彼女は一瞬言葉を詰まらせる。しかしここは踏ん張りどころと言わんばかりに、彼女は気を取り直して食い下がった。

「確かにあなたは約束しなかった。だからこれはお願いよ。私は今、あなたにお願いしてる」

「お願いされても、無理なものは無理だ。お前は知らないかもしれないが、戦場では無理をすると、大勢の人間が死ぬ。装備があり、訓練を積んだ戦闘のプロ集団が、ほんの少し判断を間違えただけで、みんな死ぬんだ。俺はそんな失敗を、嫌というほど見てきた。ただ死ぬだけならまだいい。目玉が外れ手足がなくなり、身体から内臓が飛び出して、苦しんで怯えて泣きながら死んでいく。お前にそれが想像できるか? 地獄だ。現実に存在する本物の地獄だ。俺はお前の妹が、暫く大丈夫だと思っている。それでもお前は、地獄を味わうリスクを取るのか?」

 流石のグレースも、ここまで言えば言い返せないようだ。彼女は唖然とした顔で、ただ私の目を見つめる。これで少しはへこんで反省するだろうと思っていると、私は彼女の次の言葉に、食べ掛けのパンを手から滑り落とすほど仰天した。

「リスクを取るよ」

「ああ?」と言った私の口から、次の言葉が出てこない。次はどうやって言い負かしてやろうかと思考を巡らせているところへ、私は彼女の波状攻撃をくらった。

「あなたには家族がいないから、私の気持ちが分からないよ。危険だろうと、心配なものは心配でしょ。自分は殺されるかもしれないけど、殺されないかもしれない。やってみないと、それ、分からないよ。どうして殺られるって決める? どうして上手くいくって信じられない? スペシャルフォースはそんなに弱いか?」

 私は心の中で、このクソ女と叫んだ。この馬鹿には、死んだら全て終わりということが理解できないらしい。

 グレースの美しい顔はますます険しくなり、大きな瞳は興奮で小刻みに揺れている。これはおそらく涙をこぼすだろうと思ったが、彼女はすんでのところで踏みとどまり、更に語気を強めた。

「妹を見つけてくれたことは感謝する。そこまでのお金は払うよ。あとは私一人でやる」

 この女なら、本当に一人でもやりかねない。

「死にに行くようなものだ。お前の綺麗な顔が、銃弾で穴だらけになってな。怖くないのか?」

「怖いよ。それでもやるしかない。ここで心配してるより、身体を動かす方がいい」

「お前が死んだら、誰が俺に金を払うんだ。それなら行く前に払ってくれ。金さえもらったら、あとはお前の自由だ」

「全部終わったら払う。今はお金ない」

「お前は百パーセント死ぬ。後払いは認められない」

「あなたが手伝ってくれたら、私は死なない。お金、後で払える」

 こいつには、もはや下手な脅しは通用しないだろう。それにこのまま放って死なれでもしたら、寝覚めが悪いというものだ。私の本音は、実はそんなところにある。

 さて、どうしたものか。余り気乗りしないが、こうなれば、これまで考えた案の一つでいくしかないだろう。

 一昨日及び昨晩ベッドの中で、私はいくつかの作戦を考えた。

 一つは二階の監禁部屋へ、外から密かに忍び込む事だ。外から監禁部屋へ近付くには、エリック邸の屋根に登る必要がある。それには彼の屋敷を取り囲む壁の内側へ忍び込み、建物の壁沿いに屋根へ出るしかない。この場合のリスクは、壁の上を走るレーザーや、庭に仕込まれたセンサー類だ。骨は折れるが、塀の下側に外部と庭を繋ぐトンネルを通すという手もある。しかし出来れば、庭を通りたくない。そして、窓に嵌る鉄格子を切断する為のレーザーカッターが欲しいところだ。音や振動のない金属カッターが必要となる。

 この案は、相手に気付かれずに実行する前提だ。上手くいけば余計な戦闘をしなくて済む。しかし、いくつかの課題をクリアしなければならない。

 では、秘密の地下道からエリック邸内部に侵入するとしたらどうか。この案の難点は、地下道出入り口のセキュリティーがどうなっているか分からないことや、侵入と脱出路が狭い為、敵に囲まれたらどうしようもない事、そして地下から二階の部屋が遠い事だった。しかも、以前私自身が通路を爆破したため、現在はどうなっているのか分からない。勿論正面突破は、人手のない状況で使える手ではなかった。

 どれも今一つしっくりこない。そう感じるのは、随所へ運に任せる内容が含まれているからだ。必ず成功させるには、運など期待も信用もしてはならない。私は寝不足に陥るほど、それぞれの案について考えた。

 その結果、侵入ルートは二階監禁部屋の窓と決めた。屋根への到達や鉄格子を外す方法については、新しいを作戦を立てた。脱出方法も決めている。まだ不安は残るが、今すぐ決行するとしたら、余り悩んでいる暇はない。

「仕方ない、金をもらえないのは困るからな。決行は今夜だ。ただし俺が手伝っても、まだ死ぬ確率は高いぞ」

「あなたがいたら、私は死なない。信じてるよ、それ」

「勘違いするな。最初は俺一人でやるつもりだったが、無理をする分、お前の協力が必要だ。この作戦は、途中まで俺とお前が別行動になる。合流するまでお前に何かあっても、俺は助けられない。しかも全てぶっつけ本番だ。一つのミスが命取りになる。覚悟しておけ」

 彼女は真剣な顔で、ゆっくり深く頷いた。

 

 朝食後、私はジェイソンに電話をした。

「お願いしていたものはどうだ?」

『リモコンカーはニ台できている。あとニ台は今日中にできると思う』

「残りのニ台にマグネットは要らない。追加の物はどうだ? 手に入ったか?」

『そっちも大丈夫だ。米軍の知り合いに頼んで、お古を一個もらったよ。弓は作っておいた。付け焼き刃だから、何度も使えるほど耐久性はないかもしれない。薬品は基板のメッキ工場に分けてもらった。ガラス瓶も一個余分にもらっておいた。一応、メディカル用のアイガードも用意したぞ』

「そうか、助かる。後で取りに行く。決行は今夜だ」

『今夜? おい、それは急ぎ過ぎじゃないか? もう少し良く調べてからの方がいいぞ』

 予想通りの助言だった。プロならそう考えるのが普通だ。

「うちのお姫様が許してくれないんだ。依頼した物が準備できていれば、どうにかなるかもしれない」

 私は心の中で、またバハラナと唱えてしまう。

『そうか。役に立たないかもしれないが、鉄塔でバックアップくらいはしてやるよ』

「助かる。それとな、ドライバーをやって欲しいんだ。鉄塔へ登る前に、俺をヒルトップへ運んで欲しい」

『問題ない。多分、そんな事だろうと思っていたよ』

 彼は私の頼んだ物から、作戦の概要が既に予測できているのだ。

「結局、色々面倒掛けてしまって悪いな」

『なに、昔はお前に何度も命を救ってもらった。陰からなら、いくらでも手伝うよ。気にしないでくれ』

 電話が終わると、私は直ぐに外出した。まだ買わなければならない物がある。一つは大物だ。それがなければこの作戦は成り立たない。

 どうしても欲しい物は、パラグライダーだった。セブのパラグライダークラブへ連絡し、メンバーから中古品を譲ってもらうよう交渉した。新品に近い買い取り価格を提示すると、直ぐに売り手が見つかった。

 私はセブの街が見下ろせるヒルトップという高所から、パラグライダーを使いエリック邸の屋根へ降りる事にしたのだ。しかし、パラグライダーを背負ったまま屋根の上に降りるには、風に関する条件がある。大きなパラグライダーの布が屋根から垂れ下がれば目立つし、それなりの音も出そうだ。もし風が強すぎてパラグライダーによる着地ができない場合、エリック邸上空でパラグライダーを切り離し、パラシュートを使用して降下する。垂直降下出来るパラシュートならば、着地後にパラシュート布を素早く取り込みコンパクトにまとめる事ができる。ただしパラシュートの落下は時速二十キロとそれなりの速度があるため、屋根の上で出来るだけ衝撃音を出さないよう、上手く受け身を取る必要がある。

 昨夜の様子では、控えている部下のほとんどが一階にいるようだ。となれば、エリックの部屋があるセンターを避け、出来るだけ端の方へ音を出さないように着地する。それさえ出来れば、監禁部屋へ近付くのは難しくない。

 窓を覆う鉄格子は、薬品で溶かす事にした。ジェイソンに塩酸と硝酸をお願いしたのは、このためだった。この二つの薬品を三対一の割合で混ぜれば、金も溶かす王水おうすいが出来る。これで鉄格子の付け根を溶かしてしまえば、音も振動も出さずにそれを除去出来る。

 本来は、見張りの定期巡回がどの程度の頻度で行われるのか、その時間は決まっているのかランダムなのか、そんなところを数日の偵察で調べておくべきだが、今回はそのところが良く分からず運任せとなる。

 夕方、グレースへ作戦の詳細を伝えた。彼女の役割は、エリック邸から脱出する際のサポートだ。加えて私がヒルトップから飛び立つ時に、彼女はエリック邸の裏で待機してもらわなければならない。彼女には余計な説明を省いたが、自分が上空から目標を見失わないよう、彼女の靴底に忍ばせたGPSチップを空からトラッキングしなければならないのだ。それがあれば目立った明かりがなくても、正確に目標を捕捉出来る。

 エリック邸の正面は南側を向いているため、私は窓もベランダもない西側からエリック邸へ接近する予定だ。

 リモコンカーは屋根に着陸した後にフックへ引っ掛け、表側の庭へ下ろして目立たない場所へ移動させる。

 ジェシカを連れて脱出する際、万が一相手に気付かれそうになったら、それらを爆発させて相手の気をエリック邸の前面に向けるつもりだ。

 一つの問題は、ジェシカを救出した後の逃走だ。

 相手にジェシカが脱出した事を知られてしまえば、奴らは血眼になって彼女を追うはずだ。

 エリック邸の裏から車まで、どれ程急いでも四十分は掛かる。この間に奴らが気付かない事を祈るばかりだが、もし私たちが車へ到達する前に気付かれたら、シティーへ戻る道は厳重に監視されるだろう。こちらの車や姿は、出来るだけ奴らに晒したくない。ジェイソンにエリック邸の近くまで車で来てもらうのも、山の中の一本道では目立って危険過ぎた。

 となれば、私は女二人連れで、森の中を集落まで走って逃げるしかないのだ。

 そこで何かがあれば、後は臨機応変に対応するしかない。

 私はその日、丸々一日を準備に費やした。機材の購入と回収、点検、天気図の確認、ジェイソンやグレースとの作戦打合わせである。そもそも時間が足りない中での準備だから、目の回るような忙しさだった。これでエリックたちに蜂の巣にされてしまえば、私の生涯最後の日は、これまでの生き様を振り返ったりやり残した事をしたりするでもなく、他人事に追われて幕を閉じる事になる。そう考えると、作戦決行前にバーで思い残す事なく遊んでおきたい未練の様なものはあったが、それすら許されない状況に、私は再び、一体なんの因果でこうなるのかと不思議な気持ちになるのだった。

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