「えぇ、あまりにも不自然です。手話にも【オノマトペ】を表現するものがあるくらいですから、音として認識できずとも、知識として捉えることはできるはずなのです。そして、私達はそれが【オノマトペ】だとさえ分からずに、自然と日常の中で【オノマトペ】を使っています。ですから、飯山さんの文章に全く【オノマトペ】が入っていないのはおかしい。これは意識して書かなければ書けない文章だと思います」


 擬態語、擬声語などの【オノマトペ】は、様々な形態で言葉の中に入り込んでいる。実は【がっかり】や【ぴったり】――はたまた【ちゃんと】なども【オノマトペ】である。音が直接関与している【オノマトペ】に関しては文章に入ってこなくとも不自然ではなかったのかもしれないが、広義的な【オノマトペ】にいたるまで、それら全てが飯山の文章には使用されていないのだ。そう――まるで、いちいち調べながら【オノマトペ】を避けて書かれたような文章。これが、千早の中でリアリティーを欠いたのだ。


「――飯山さんは耳が聞こえない。しかし、書かれた文章にも一切の【オノマトペ】が使用されていないという事実とはイコールにはならないということですか。えっと……つまり、どういうことになるのでしょうか?」


 本当ならば竹藤からの返信があってから答えを出したかったのであるが、どうやら先に答えを出さねばならないらしい。まだ確信が得られたわけではないのだが、おそらくは――。


「元々、下宿先の殺人事件なんてなかったのではないでしょうか? すなわち、このフロッピーディスクに残されていた事件は――創作されたものなんです」


 千早が答えを出すのを待っていたかのごとく、スマートフォンにメールが着信。そこには、千早が思っていた通りの答えがあった。


 ――その様子だと、どうやらばれてしまったようですね。お察しの通り、送ったフロッピーディスクに入っていた事件は、私の創作なんです。


 やはり思った通りであった。思い返してみれば、不自然な点は他にもあったのだ。それを代弁するかのごとく、班目が口を開く。


「確かに、そう考えると納得できる点が出てきますねぇ。泥にまみれた靴が部屋から見つかったというだけで、犯人と断定されてしまった飯山さん。正直、かなり杜撰な捜査だし、それだけで逮捕することは難しいと思っていたのですが、創作ならば納得です。強いて言うならば、もう少し警察というものをしっかり書いて欲しいところですが」


「たった今、竹藤様にも確認が取れました。やはり、このフロッピーディスクに残されていた事件は――竹藤様の創作だったようです」


 ホームページを開設して以降の記念すべき最初の依頼。そのフロッピーディスクに込められたいわくは、どうやら偽りのいわくだったらしい。


「しかし、どうしてわざわざ事件をでっち上げてまで、依頼をしてきたのでしょうか?」


 班目の言葉に首を傾げる。それはこちらが聞きたいくらいである。どうやって店のことを知ったのかは分からないが――まぁ、おそらくはホームページがきっかけなのだろうが、いわくを買い取る店に、わざわざでっち上げのいわくを査定させて何をしたいのであろうか。それでも、こうして一度は引き受けてしまった査定だ。しっかりと答えは出さねばならないだろう。


「とにかく、先に仕事を終わらせてしまいましょう。この度のいわくは――正直、査定するまでもなく価値のないものなのですが、しっかりと手数料はいただかないと」


 千早はそう言いながらメールを竹藤へと返す。


 ――なぜ、このようなことをされたのでしょうか? 可能であればお答えいただきたいと思います。もちろん、答えたくないと言うのであれば結構。しばらく待ってレスポンスがなければ、査定の結果を通知させていただき、それをもって査定も終了とさせていただきます。


 竹藤が何を考え、わざわざフロッピーディスクなどという面倒な媒体を用いて査定を依頼してきたのか。はるか昔に発生した事件という設定にリアリティーを持たせようとした結果なのであろうが、今の時代にフロッピーディスクを探すだけでも面倒であろうし、その中に偽りのデータを残すともなると、なおさらに手間である。それこそ、班目に用意してもらったようなパソコンが必要になるだろうし。


「竹藤さんはなんとおっしゃっていますか?」


 竹藤と千早のやり取りは、千早のスマートフォン上のみで展開されており、当然ながら班目は蚊帳の外である。千早はスマートフォンに視線を落とすが、しかしまだ竹藤からのレスポンスはない。


「反応がありません。仕方がないので、査定の結果を先にお伝えしましょう」


 またスマートフォンにメールを打ち込むだけでは、班目が置いてきぼりにされてしまうから、今度はメールを打つのと並行して班目に査定結果を通達することにした。依頼主は班目ではないが、どうにもメールだけで査定結果を伝えるというのは味気がない。


「この度のいわく、もし本当に事件が起きていたのだとしたら、フロッピーディスクという希少な媒体ということもあり、それなりの値がついたでしょう。しかしながら、このいわくは人為的に作られたものであり、またその意図も明確になってはいません。よって、お値段をつけるとするのであれば――」


 千早は班目に伝えつつ、スマートフォンへのメールを待つ。残念ながら竹藤からのレスポンスはなし。依頼主を差し置いて話を進めるのは申しわけないように思えるのだが、口を開いた以上、このままやらせてもらうしかない。


「――金拾円とさせていただきます」


 元より作られたいわくであるがゆえに、正直なところ価値もへったくれもない。ただ、手数料を頂戴する手前、とりあえず値段はつけなければならない。フロッピーディスクという、この時代には珍しい媒体そのものの価値を考えれば、妥当な値段だと思う。むしろ安いくらいなのであろうが、品物自体の目利きというものは専門にしていないため、勘弁して欲しい。


 まだレスポンスはないものの、同じ内容を打ち込み、ついでに査定手数料のことも付け加えて竹藤へとメールを送る。一応、査定に取りかかる前に査定手数料の件は話してあるし、まず払ってもらえるとは思うのだが。


「それにしても……何がしたかったのでしょうね? わざわざ自分が創作した事件を、これまたわざわざフロッピーディスクの中に落とし込んで依頼してくるなんて」


 班目が漏らしたのと同様、どうにも解せないのはその辺りである。いつも通りに査定をしたつもりではいるが、いざ蓋を開けてみたら、なんだか試されたような気分である。


「さぁ――その辺りはご本人に聞いてみなければ、なんとも言えませんね」


 千早が小さく溜め息を漏らすと、班目が妙に静かになった外へと視線をやる。つられて外のほうへと視線をやると、いつしか雨はやんでいた。まだ空は暗いものの、やはり通り雨というやつだったらしい。


「や、これはちょうど良い。いやいや、中々に有意義な雨宿りでした。それでは、私はそろそろ――」


 雨がやみ、そして千早の査定に立ち会えた班目は、立ち上がると満足げな笑みを浮かべる。


「はい、またのご来店をお待ちしております」


 千早も立ち上がって班目を戸口まで見送る。班目は改めて「それではまた――」と頭を下げ、足早に集会所のほうへと駆けていった。まるでそれを見計らっていたかのように雲の切れ目から太陽が顔を覗かせる。


 ――見上げると、そこには見事なまでの虹が架かっていた。

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