第16話 竹馬の友

「おい、善吉。さすがにもういいだろう」

「そ、そうだな」

 呆れられてようやく、善吉は落ち着きを取りもどす。喜び暴れすぎて、ゼイゼイと息を切らしている。


「討ち取った証に首を取らねばな」

 太郎太は弾正の背中に馬乗りになり、刀を抜いて首筋に刃を当てる。

 だが、ビビって躊躇してしまう。

 善吉も、顔を歪めて目を背けている。

 太郎太は刃を離して、

「いや、なにもわざわざ首を斬らずとも、この〈鳳凰ほうおうの前立て〉の兜を奪えばすむことじゃ。これは日の本一の甲冑師に作らせたもので、弾正本人しか絶対にかぶることはないらしいからの」

 善吉は安堵して、

「そうか、ならばそうしよう」

 言い訳のようにしか聞こえないが、戦場作法としてはまちがっていない。


「善吉さま!」

 突然自分の名前を呼ばれ、ハッと顔をあげる。

 手鞠が、山道をくだって駆け寄ってくる。

「!」

 太郎太はあわてて刀を背中の鞘にもどし、さらに手鞠に見つからないよう弾正の死体の前に立つ。

 善吉は手鞠が手にしている布袋を目にして、

「山菜採りですか?」

「はい。森で大勢の人たちが争っていたので怖くて立ち往生しておりましたら、お二人の声が聞こえてきて……」

 手鞠は困惑しているようだ。

「いったい何事なのですか?」

「城の侍たちが山賊退治をしておったようですな。わしらもたまたま巻き込まれてしまいましてね」

 太郎太がいつもの調子でしれっとごまかす。

 手鞠は弾正の死体に気づいて、

「その方はいかがされたんですか!?」

 と怯えた声を上げる。

「あの、これはその……」

 善吉はあわててしどろもどろになる。

「こいつも山賊の一味ですよ。気になさることはない」

 太郎太が代わりに答える。

「そ、そうなんですか?」

 あまり納得していないようだ。


「太郎太!」

 また名前を呼ばれ、二人はふりかえる。

 鎖鎌を手にした徳馬が、山道を駆けのぼってくる。全身が返り血のみならず、返り臓物にまみれている。

「おお、叔父上! 御無事でしたか」

「弾正の姿がない。おぬしら見かけなんだか?」

 太郎太は勝ち誇った態度で、

「御安心ください。弾正ならばわれらが討ち取りました。それ、ここに」

 と足元の死体を指さす。

「なにぃ!? おぬしらが?」

 疑い深そうな声をあげ、死体に近寄る。

 徳馬はその死に顔を目の当たりにして、こんどは驚きの声を上げる。

「まっこと、おぬしらが討ったのか?」

「はい、まちがいございませぬ」

 二人そろって得意満面の笑み。


 手鞠は、怪訝そうな顔で男たちのやりとりを見つめている。


 徳馬は弾正の兜の前立てに気づき、まじまじと見つめる。

「………」

「叔父上、いかがされました?」

「この弾正は影武者じゃ」

「なっ、なにを根拠にさようなことを!」

 太郎太はたちまち烈火のごとく顔を紅潮させて、

「これは甲冑作りの名人に作らせた格別なもので、絶対に弾正本人しか身につけないと聞き及んでおりますぞ!」

「前立てをよく見てみろ」

鳳凰ほうおうをあしらった前立てがどうかしましたか?」

 太郎太と善吉は、いぶかしそうな目つきで顔を近づける。

「あっ……!」

 前立ての鳥は一見すると鳳凰のようだが、目を凝らすと、頭に付いているのは飾り羽でなくトサカであることがわかる。

「鳳凰じゃない……!」

 善吉はあまりの失望で青ざめる。

「トサカが付いとる! こいつは鳳凰気取りのニワトリじゃ!」

 太郎太が無念の叫び声をあげる。

 徳馬は悔しさで歯ぎしりして、

「罠に掛けたつもりが、まんまとめられたのはわれらのほうよ。こちらの作戦は筒抜けだったんじゃ!」


 

 徳馬の推測は当たっていた。

 兵馬城本丸の庭の縁側には、本物の弾正が腰掛けていた。

〈麓の森〉のほうを眺めている。

「やっと鎮まったか……」

 のんびりと茶をすすり、

「これでようやく狩りを楽しめるわい」


                                   

 太郎太と善吉は、落胆してそのばにへたり込む。

 徳馬は手鞠に目をやり、

「その娘は?」

 手鞠は戸惑いの表情を浮かべている。

「彼女はたまたま折り悪く山菜採りをしておりまして」

 と善吉。

「そうか」

 とくに気にかける様子はない。

「叔父上、これからいかがいたしましょう?」

 太郎太が力なくたずねる。

「まだ敵の残党がおる。おぬしらはむこう側から山をくだって町を離れろ」

「は、はあ」

 太郎太と善吉はノロノロと立ち上がる。

「善吉さま、あなた方はいったい……」


 そのとき、生温かい風が手鞠の背後から吹いてくる。


 風下にいてその風を匂った徳馬は、ギラリと殺気を帯びた目つきで手鞠をにらみ、

「あのとき、森に潜んでおったのはおぬしか」

 手鞠はキョトンとして、

「何の話でございますか?」

「われらの作戦を弾正にしらせたな」

 太郎太と善吉も、意味がわからずポカンと顔を見合わせる。

「女は他にもいたが、かような高級な匂いの白粉おしろいはおぬしだけじゃ」

「叔父殿、いかがなされた?」

 徳馬は太郎太を無視して続ける。

「女、黒太刀組の者だな」

「何なのです? 黒太刀組というのは?」

 太郎太のヌケた質問に、徳馬はトホホの表情。

「黒太刀組は弾正直属の忍びの衆じゃ。さきほど森でさんざん刀を交えたであろうが。手錬てだれぞろいとは耳にしておったが……」

「はあ? かような可憐かれんな女人がさようなわけありますまい」

 太郎太はまるで本気にしていない。

「彼女は町で貧しい者たちに施しをあたえる慈悲深い方で……」

 善吉もすぐに反論する。

「存じておる。見知らぬよそ者に声をかけて回っておるのじゃろう。人助けを装ってな。怪しき奴が町にまぎれ込んでおらぬか探るには賢いやりかたよ」

「考えすぎでございましょう」

 と善吉。

「手鞠殿は、〈福屋〉という町一番の大店おおだなの娘でございますぞ」

「大店なら、領主の弾正とも懇意であろう。手先となるのは道理じゃ」

 徳馬は手鞠にむかって、

「女、おぬしが福屋の娘になったのはいつじゃ? 三年前か? 五年前か? まことの親はいずこにおる?」

 手鞠は困惑した様子で、

「何をおっしゃられてるのか私には……」

「裕福な家の娘のわりには、端女はしため一人連れておらぬのか。おおかた合戦の物見を──」

 徳馬は気配に気づいて振りかえる。

 武器を手にした手負いの黒太刀衆が数人、山道を駆け上がってくるのが見える。

「わしは残党を片づけてくる。おぬしらはその女を討て。甲賀の仇じゃ」

 鎖鎌をかまえ、駆けおりていく。


 太郎太は半信半疑で、

「おい、叔父殿が申されたことはまことか?」

「さようなわけあるか!」

 善吉は思わず怒鳴り声をあげてしまう。

 手鞠にむかって、

「申しわけございません。さっきの人は何やら勘違いをしているようで」

 とペコペコと頭を下げる。

「徳馬殿には、逃げられたと申し開きしよう」

「叔父殿にどやされるぞ」

「そんなのいつものことだろう。それより早いとこ、手鞠殿を安全な場所までお連れするんだ」

「……善吉さま、あなたは何者なのですか?」

 手鞠が険しい口調でたずねる。

「し、仔細はのちほどご説明いたしますゆえ!」

 善吉はオロオロとあせって、

くだんのご提案につきましても、そのとき改めて返答いたします。手鞠殿、今はとにかく──」


「うっ!」

 太郎太は脇腹を押さえ、苦しそうに崩れ落ちる。

 手鞠が、袖口に隠していた棒手裏剣を放ったのだ。

「……!?」

 突然のことに、善吉は心身とも凍りつく。

 手鞠は懐の短刀を抜くと、まっすぐ善吉にむかってくる。

「!」

 善吉は寸でで、白刃をギラつかせた手鞠の右手をつかむ。

 抵抗されて手こずるも、足を引っかけてなんとか仰むけに倒す。

 立ちあがられるより先に、善吉はうずくまっている太郎太の背中から刀を抜いて、手鞠に切っ先をむける。

 それでも手鞠は露ほども怯まない。倒れ込んだまま、今までとは別人のような憎悪に満ちた顔つきでにらみ返してくる。

「甲賀者め! ようも同胞たちを!」

「まことに黒太刀の者だったのか……!」

「不覚じゃ。よもやおぬしら二人が甲賀者とは……! 大食らいの馬鹿とただのお人好しにしか見えなんだわ。ようも欺いてくれたな…!」

「わしとて、おぬしが……」

 善吉は言葉を詰まらせながら、

「わしに語ったことは、すべて偽りだったのか……!」

 善吉と手鞠は無言で見つめ合う。

「…………」

 善吉は、手鞠を討つことができない。子熊のときの再現である。

 だがついに決意し、心臓めがけて切っ先を突き刺す。

 手鞠は短い呻き声を上げる。

 善吉は両腕に力を込め、さらに深々と突き入れる。


 ズズズ──


 手鞠は苦悶で顔を歪め、口から血を垂れ流して絶命する。

 善吉は刀を引き抜くが、地面に取り落としてしまう。両手がブルブルと震えて握っていられないのだ。


「ぐううっ……!」

 太郎太が、身をよじって苦悶の声をあげる。

「!」

 善吉はそばに跪き、太郎太の容体を診る。

 ぐったりと横たわり、全身から汗を吹き出している。だが奇妙なことに、脇腹の傷口は棒手裏剣がかすっただけで致命傷には見えない。

「傷は浅手じゃ」

「あ、ああ……たいしたことはない」

 だが顔色は蒼白となり、目の焦点も合っていない。

 善吉はハッとして手鞠の死体に駆け寄り、左の袖をまくってみる。

 前腕に特製の棒手裏剣の鞘をくくりつけており、その中から液が漏れ出ている。

 顔を近づけて匂いを嗅ぐ。

「セリの毒か……!」

「なんか息苦しいし目もかすんできた。大事だいじないんじゃろ?」

 太郎太はゴボゴボと泡を吹く。

「もちろんだ。しばし待ってろ!」


 善吉は林の中に駆け入り、下草が茂っている地面を懸命に見まわす。

「あった!」

 駆け寄り、小さな紫の花の葉をむしりとると、すぐさま太郎太の元に駆けもどる。


「解毒用の薬じゃ!」

 採ってきた葉を手で細かくちぎり、太郎太の口の中に押し込んでいく。

「これを飲めば助かるからな!」

 だが意識が朦朧としているらしく、両目は閉じかけている。

 善吉は太郎太の懐をさぐり、木像の首を取りだす。それを太郎太がよく見えるように持って、

「ほら、役行者えんのぎょうじゃさまがお守りしてくれてるぞ!」

「あ、ああ……」

「寝るな! 二人で〈名誉の忍び〉に成ると誓っただろ!」

「わしらが〈名誉の忍び〉になれるかの……」

「なにを弱気な! おぬしらしくもない」

 善吉は涙ぐんでいる。

「こたびもあと一息だったろ。やはりわしらには忍びの才があった。おぬしのほうが正しかったんだ!」

 太郎太の両目が閉じ、ガクッと首が横に垂れて事切れる。

「太郎太……!」

 息を飲み、首を横にふる。

「……惣領が申されておった。むごたらしく殺された者は恐ろしい死に顔になると。かような安らいだ顔で死んでおるはずはない」

 泣きながら、パシパシと太郎太の頬を何度も叩く。

「起きろ、太郎太! 呑気に寝とるときではないぞ!」


 だが彼は目を覚まさない。

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