第7話 夜明けを迎えて

「もう、歩けないよ……」


 いつ何に襲われるともわからない森の中を無我夢中で歩き続けていると、後ろから柚月さんのか細い声が聞こえてきた。

 ハッとして我に返り柚月さんへと駆け寄る。


「気が付かなくてごめん」


 地面に座り込んだ柚月さんがゆっくりと首を振ると、後ろを恐る恐る振り返る。


「……ここまで来たら大丈夫かな」


 まったく根拠はないが、そう口にしないと心も安らがない。

 俺も柚月さんの隣へと腰を下ろすと大きく息を吐いた。あれから何時間逃げてきたのかわからないけど、体力も限界だ。座ってしまったし、しばらく立ち上がれる気がしない。お腹もすいたし……。


「水本くんは大丈夫?」


 気遣う声と共に、俺の左手を指さす柚月さん。そういえばでっかいウサギの角が貫通したんだっけか。恐る恐る左手を観察してみると、いつの間にか血は止まってるようだ。まだズキズキするけど、我慢できないほどではない。


「……うん、大丈夫みたい」


 このまま勝手に治ってくれればいいんだけど。異世界は何があるかわからないし、ばい菌とかも心配だ。


「とりあえず傷口は洗っておきましょう。……ウォーター!」


 同じことを柚月さんも思いついたのか、俺の右手に魔法で水をかけてくれる。すごく沁みるけど我慢するしかない。傷口を何とか洗って綺麗にする。血はどうやら流れてこないようだ。治りが早い気がしないでもないけど、そこはラッキーとでも思っておこう。


「ありがとう」


「私たち……、どうなっちゃうんだろうね……」


 両ひざの間に顔を埋めて、押し殺したような声が聞こえてくる。

 これから先を考えると、ロクな未来しか思い浮かばない。餓死はまだいいほうで、最悪なのは生きたまま凶暴な獣に食われて死ぬ未来か。どのみち生き残れる気がしない。


「……きっと大丈夫だよ」


 いろいろ考えたけど、まったく根拠のない言葉しか出ない。口に出してしまえばそれが現実になってしまう気がしたからだ。


「そうだね」


 気が付けば周囲も薄暗くなっている。まだ歩けないほどじゃないが、時間の問題だろう。本来なら安全な場所を探すべきなんだろうけど、この森にそんな場所があるのか甚だ疑問だ。

 今まで起伏の少ない森の中を逃げ続けてきたのだ。ぽっかり崖下に空いた洞窟なんて、偶然に見つかるわけでもない。獣に見つからないように、ただひたすらに息をひそめるだけだ。


「お腹すいた」


 自然と漏れた言葉と共に、枯葉が堆積する地面へと横になる柚月さん。


「ちょっ……、柚月さん。こんなところで寝たら……」


 喰い殺されるよ。という言葉は、首を振り続ける柚月さんには掛けることができなかった。俺ももう限界だ。魔法で生成した水で空腹を誤魔化しているが、眠気だけはどうにもならない。


「ねぇ、水本くん。……もっと近くにいてもらってもいいかな?」


 眠そうなトロンとした瞳で見つめてくる。小刻みに震える柚月さんの姿と、俺自身も感じ続けている不安も相まって、躊躇いなく柚月さんの傍に寝っ転がる。


「怖いよ……」


 言葉と共にそっと柚月さんが俺を抱きしめてくる。俺も無意識に柚月さんを抱きしめ返していた。


「大丈夫」


 背中をポンポンと叩きながら根拠のない言葉で慰める。柔らかい彼女の感触を確かめていると、さっきまでの不安が幾分か薄れていく気がする。

 同時に眠気が急激に増していき、俺の意識はそこで途切れた。




 うっすらと意識が覚醒していく。

 思ったより周囲は明るくなっているようだ。左腕がしびれてる気がするけどなんだろう。顔を左側に向けて目を開けると、ぼんやりとだが人の顔が目の前にあるのがわかる。


「……はっ!?」


 よく見れば柚月さんの顔だ。安らかに寝息を立てているのがわかるが、俺たちどうなったんだっけか? 見た目で生きているのはわかるけど、なんとも言えない不安に駆られて隣の柚月さんの頬をペチペチと叩いて起こす。


「柚月さん、起きて!」


「んん……」


 薄らと目を開ける柚月さんに安心すると、自分の頬が緩むのがわかる。


「あ、おはよう」


 こっちに気が付いた柚月さんがニヘラと笑う。やばい、すげー可愛い。ナニコレ、いったいどうなってんの?

 混乱していると、柚月さんの顔がだんだんと赤くなっていた。


「ご、ごめんなさい……!」


 勢いよく上半身を起こした柚月さんが、顔を俯かせて謝ってくる。俺もゆっくりと起き上がると、腕枕をしていた左腕をゆっくりともみほぐす。


「いや、別に、大丈夫だから……」


 どもりながら気にしてないことを告げつつ、現実逃避するようにして周囲を改めて見回す。


「それよりも……、俺たち運よくまだ生きてるみたいだな……」


 どこからともなく聞こえてくる鳥の鳴き声は相変わらずだ。柚月さんも我に返ったのか、同じく辺りを見回している。


「そう、かもしれないね……」


 運がよかったことには違いないんだろうけど、そもそも運がよければこんな森に追いやられたりはしていない。ほんのりと頬を赤くした柚月さんを見つめながらそんなことを考える。


「とりあえず、この森を抜けることを目指そう」


「うん」


 こうして俺たちは、折れてしまいそうな心を奮い立たせるのだった。

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