君に手向ける最後の答辞

和泉 綯

第一章 出逢い、それは全てのはじまり

プロローグ

 文字通りの雲ひとつない、なかんずく純粋な晴天に恵まれた日曜日の午後。

 三日前に天気予報を確認したときは、大型低気圧接近の影響で豪雨予報がでていたはずなのに。


 空は地平線の彼方まで青く澄み渡り、雨雲の付け入る隙を微塵も与えていなかった。

 そんなまれにみる青空模様のなか、急に篠突くような雨が降りだしてきたら、それこそまさに晴天の霹靂へきれきだ。


 市内の丘陵地域に造園された万花ばんかの森霊園を、僕は淡々と歩いていた。

 しばらく進むと、周囲を鮮麗せんれいに植栽された色彩豊かな花壇が視界に飛び込んでくる。

 この場所が霊園ではなく、花園ではないかと錯覚するほどに、綺麗な花の絨毯じゅうたんが辺り一帯に広がっていた。


 花にはそれぞれ象徴的な意味を持たせるために、多種多様な花言葉が存在している。


 例えば、向日葵ひまわりであるなら「あなただけを見つめる」。

 薔薇ばらであるなら「愛」に関連した花言葉が、色や本数に応じて変化したり。

 チューリップ全般であるなら「思いやり」といった具合に。

 その他にも「追憶」や「感謝」などといった献花けんか相応ふさわしい花言葉を与えられた花もあるらしい。


 そう考えれば、霊園や墓参りにおいて花を用いて故人の魂を供養くようするという昔からの伝統は、理に叶っているのかもしれない。


 なぜ男である僕が、花言葉について詳しいのかといえば、ガーデニングが趣味とか雑学マニアだとか、決してそういうわけではない。

 僕が最も影響を受けた小説に、花言葉が多数登場するから知っているという単純な理由である。


 花群はなむれに導かれ、自然と調和したレンガ造りの園路を抜けると、少し開けた場所にたどり着いた。

 そこで一度立ち止まり、ふと空を見上げる。


 それにしても、いまだに信じられない。

 最近まで、学校以外は引きこもり同然だった僕が、今こうして知り合いのお墓参りに出向いている。

 親戚のお墓参りですら、ろくに行ったことが無いというのに。

 誰かにうながされたわけでもなく、誰かに同行してきたわけでもなく。


 もちろん、自分の意思でだ。

 一年前の僕には、到底想像もできない未来話だと思う。

 優秀な超能力者がいくつどったとしても、この未来を予言するのは不可能だっただろう。


 人生、いつ何が起こるかわからない。

 僕はその言葉の真意を、十八年生きた今この瞬間、改めて思い知らされた。


 カーンカーンカーンカーンカーン。

 十四時を知らせる無機質な鐘の音が、静謐せいひつな霊園内に響き渡る。

 鐘の音で我を取り戻した僕は、さらに奥へと向かって歩みを進める。


 舗装された石畳の上を道に沿って歩くこと数百メートル。

 おごそかな雰囲気と太陽の光に包まれながら、複数の墓石が顔をだす。


 そのなかにひとつ。

 一際、異彩を放つ黒色の墓石がある。

 桜の花弁はなびらを基調としたお洒落なデザインは、見るからにその高級感を漂わせる。


 その場所で、彼女、東雲しののめ命架めいかは、安らかに眠っている。


 東雲 命架。

 享年十八歳。

 治療法が確立されていない不治の難病に身体をむしばまれていた彼女は、病気が完治することはおろか、高校を無事卒業するという願い叶わず亡くなった。


 彼女。

 なんて言い回しをしているが、決して恋人同士という関係ではない。

 摩訶不思議な縁で繋がった、特異的なクラスメイトの関係である。

 それでいて、少しの恋愛感情も無かったのかと問われれば、今となっては即座に首を縦に振ることはできない。


 ただひとつ言えるのは、彼女は僕の運命の人だった。

 これまた語弊ごへいが生まれそうな言い回しであるが、彼女が僕の人生を変えてくれたことはまぎれもない事実だ。


 僕と彼女が過ごした日々は約十一ヶ月。

 正確には、十ヶ月と二十二日。


 第三者からしてみれば、とても短い時間のように感じるかもしれない。

 だけど僕にとっては、一生忘れることのない、そして、かけがえのない時間だった。


「おはよう、雨降らなくてよかったよ。 これもきっと東雲さんのおかげだね」


 彼女の墓石の前までたどり着いた僕は、気軽な挨拶程度に言葉をらす。


 まだ、供物台の上には何も置かれていなかった。

 香炉皿も花立も同様に。

 先に誰かがここを訪れた形跡は見てとれない。

 どうやら、僕が一番乗りらしかった。


 家から持参した水と、近所のスーパーで購入した数個の果物を供える。

 彼女の大好物だとか、女性が喜びそうな和菓子であるとか、もっと気の利いたものを準備するべきだったと、今更ながら後悔する。


「次来るときは、もっと豪華なものを持ってくるから許してね」


 もし彼女が生きていれば『もうほんとセンス無さすぎだからっ!』と小馬鹿にされていたに違いない。

 優しく微笑みながら。やけに嬉しそうに。

 そんな光景を想像していると、無意識に笑みがこぼれてしまう。


 一息ついて、一生購入する機会なんて無いと思っていた生花せいかを供える。

 慣れない手つきで線香をき、香炉皿の上に置く。

 哀悼あいとうの意を乗せて煙が舞い上がり、そのままふわっと視界から消滅する。


 両手を合わせ黙祷を始めた直後、僕の脳裏に生前の彼女がつむいだ軌跡が、まるで走馬灯のようによみがえってきていた。




◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆




 中学最後の夏。

 ほんの些細な事が原因で、唯一とも呼べる親友と大喧嘩をした。


 最初は軽い口喧嘩にすぎなかった。

 口論しているうちに、次第に感情的になってしまった僕は、親友に対する不満を盛大に吐きだしてしまった。

 その中には、平気で親友を侮辱ぶじょくするような内容も含まれていたと思う。


 親友は唖然とした表情で僕を見つめていた。

 身体が小刻みに震えていたが、何も言い返したりはしてこなかった。


 やがて最高潮に達した険悪ムードにえきれなくなった僕は、謝りもせずその場から逃げだした。

 それ以来、僕と親友が絡むことは一切無くなり、結論として絶縁状態となった。


 廊下ですれ違えど、親友はまるで赤の他人を見るような視線を僕に向けた。

 謝ろうと何度も声を掛けようとしたが、最後の一歩がどうしても踏みだせず、無慈悲むじひにも時間だけが経過していくばかり。

 そしてとうとう一言の謝罪もできないまま、僕達は卒業を迎える。


 僕と親友はそれぞれ別々の高校に進学した。

 つまるところ、絶縁状態から正真正銘の絶縁になってしまったのである。

 

 かくして自責の念にさいなまれた延長線上で『感情とは刃物よりも鋭利な凶器に成りうる』そう結論づけた僕は、喜怒哀楽を押し殺して生活するようになった。


 いずれまたこの感情が誰かを傷つけてしまう。

 それならいっそ消してしまえばいい。

 本気でそう思った。


 一種の自己暗示からしばらくして。

 僕は怒りをあらわにしたり、涙腺をゆるくするどころか、口角を上げて微笑むことすらしなくなっていた。


 精神疾患とは、自身で自覚できないものがその大半を占めるという。

 もしかしたら、僕も精神疾患のたぐいだったのかもしれない。

 それほどまでに、感情が生みだした代償は僕にとって大きすぎるものだった。


 幸いにも日常生活に支障をきたすことはなかったが、周りからの印象はとことん最悪だっただろう。

 その常人には理解しがたい思考は、高校に入学してからも何一つ変わることなく、三年の月日が流れた。


 そんなとき、僕は彼女、東雲 命架という女性に出逢ったんだ。


 ──あれはまだ、桜の蕾がほころぶ前のあわい肌寒さが身に染みる、輝くばかりの青空の日だった。




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