第伍章:子取るは箱か言の葉か

第10話:『ハッカイ』あるいは……

 その日アタシは家から出ずに大学の課題を行っていた。しばらくこれといった事件も起きずに平和な状態が続いていたため、丁度出されていた課題を済ませようと思ったからだった。祝日という事もあって翠も家に居り、居間で寝そべりながら美海と遊んでいた。美海はすっかりこの家に馴染んでおり、あの一件以降これといった異常現象は起こしていなかった。そんな中廊下の黒電話が鳴った。


「あっ」

「いいよ、アタシが出る」


 机に手を付きながら立ち上がり、壁を支えにしながら廊下へと赴いた。何事かと思い受話器を取ってみると、向こうから滅多に聞かない声が聞こえてきた。つまり姉さんでは無かったのだ。


「あ~出た出た。おいっす」

「……百さん?」

「そそ。雅ちゃんお久ひさ~」


 電話の相手は百さんだった。かつて姉さんの所に居た際、一緒に暮らしていた。彼女もまた日奉の一族である以上は何らかの力を持っている事は確かだったが、今まで一度もアタシ達の前でその力を使う事は無かった。


「久しぶりっすね。どうしたんです?」

「あいやそれがさぁ~……ちょぉ~っとまずい感じでさぁ」

「はっきり要件を伝えてください。何です?」

「えっとね……雅ちゃんてさ、『コトリバコ』知ってる?」


 その名を聞いて一瞬で体が強張った。

 『コトリバコ』。表向きにはネットで語られた怪談だったが、家の資料には該当する存在が確かに記録されていた。子供の体の一部と木製の箱を使った呪物だ。一族の手によって各地から回収され、日奉の管理下にある神社で時間をかけて清めるという方法で対処しているとの事だった。


「……知ってますけど、出たンスか?」

「出たっていうかぁ~……ちょっと変な感じみたいなんだよねぇ」

「変な感じっていうのは?」

「それは後で話すよ~。悪いけど集まってくれるかな? ちょっとうちの方に来てくれるかな?」

「百さん、分かって言ってるンすか? あれは女子供をターゲットにしてるやつですよ。アタシらも迂闊に近寄れないんです」

「だね。日奉は女しか居ないしね~」


 日奉一族には何故か女性しか居なかった。血の繋がりが無い人物がほとんどであり、外部の人間からすればその部分は不可思議にしか見えないだろう。姉さんに昔聞いた事はあったが、どうやら特殊な力が覚醒した女性は『神に見初められた存在』なのだと教えられた。かつてこの一族は『光の巫女』とも呼ばれていたらしい。あくまで昔の話であり、今や一族は歴史の影に隠れているが。


「……神社で安置しとくしか無いでしょう」

「それが無駄っぽいから電話したんだよ。雅ちゃんの力もそうだけど、翠ちゃんの結界術も必要かもなんだよ」


 正直関わるのは止めたかった。自分だけならまだしも、翠は幸せになるべき子だ。『コトリバコ』は明確に女子供をターゲットにしている呪物であり、大学生の自分は大丈夫でも翠は射程内に入る恐れがある。そうなった場合、あの子の結界でも防げない可能性がある。


「……姉さんには?」

「伝えたよ。でもあの人の力はダメだよねぇ~強いけど細かい調整が出来ないし、うっかりこっちまで巻き込まれるかもだし?」

「……他の一族には?」

「使えそうなのには声掛けたけど、多分ほとんど来ないかな。どこも監視やら対処で忙しいっぽいし」

「一応こっちも忙しいンすけど」

「最後の頼みの綱なんだよ~お願いねっ」


 そう言うとこちらの返事を聞く前に百さんは電話を切ってしまった。恐らく他の皆が忙しいというのは事実もあるのだろうが『コトリバコ』に関わりたくないというのもあるのだろう。殺されないにしても子供が出来なくなるというのはほとんどの女性にとって致命的な現象であり、可能な限り避けたい筈である。こうなっては自分達が行く他無かった。もし行かずに状況が悪化した場合、対処出来なくなる可能性もあったからだ。

 受話器を置き後ろを振り返ると美海を抱いた翠が居間からこちらを覗いていた。


「みやちゃん?」

「……翠、呼び出しだ」

「誰から?」

「百さんだ。緊急らしい」

「め、珍しいね。何て?」

「……『コトリバコ』の事らしい」

「えっ……」


 翠もまた同じ様に名前だけで恐怖している様だった。


「アタシ一人で行ってもいい。翠は家に居てもいい」

「い、いや……私も行くけど……でもどうして……」

「分からん。全部問題無く安置されてた筈だが……」


 何があったのかはまだ分からなかったが、とにかく百さんの管理している場所へと向かうために急いで準備を始めた。百さんが管理している場所は島根県にある隠岐おきという島だった。元々そこまで怪異が存在する場所では無いらしいが、本島から離れているため危険な呪物を密かに管理するのに丁度いいと使われているらしかった。

 美海へと一声かけて家を出ると電車や新幹線を乗り継いで隠岐島へと向かった。直接は線路が繋がっていないため一旦広島に寄る必要があり、最終的に島に着いた時には既に日が落ちていた。隠岐島には複数島があり、それらを総合して隠岐島と呼んでいるらしいが、自分達が着いたのは隠岐の島町と呼ばれる場所だった。高速船から降りてすぐに見覚えのある顔が出迎えた。


「あっ、しーちゃん」

「よう紫苑しおん、久し振りだな」

「ん……」


 日奉紫苑。彼女は百さんと血の繋がった家族だった。他にもう一人妹が居た筈であり、確か名前は菖蒲あやめと言い、怪異の影響を受けて意識不明の状態が続いているという状況だった。あれからどうなったのかは姉さんからも教えてもらえなかったが、恐らくまだ昏睡しているのだろう。

 紫苑はアタシと翠を交互にじろっと睨むと癖毛のせいで大きく跳ねている右前髪を弄った。二つ結びにされている彼女の黒い髪はお洒落に無頓着な彼女らしくなく、恐らく百さんの手が加わっているのだろうと感じられた。


「え、えっと……百ちゃんが呼んでるって聞いて来たんだけど」

「何があったんだ?」

「ッチ……こっち」


 紫苑は舌打ちをして露骨に嫌そうな顔をしながら歩き出した。彼女は以前からアタシや翠に対してやや敵対的であり、話し掛けられる度に嫌そうな顔をしていた。何が彼女の気に障るのかは分からないが、少なくとも百さんの前では多少はリラックスしていた様な印象を受けた。

 しばらく歩き山の入り口に差し掛かると、突然その足を止めて振り返った。


「ど、どうしたの?」

「……その猫何?」

「は? 猫?」

「とぼけないで。足元に居んでしょ黒いのが」


 そう言われて目線を下げてみると暗闇に紛れて光る眼が足元からこちらを見上げていた。予想外の事に思わず後ずさってしまう。


「み、美海ちゃん!?」

「オイ何でここに……」

「飼ってるの?」

「お、おう。家に置いてきた筈なんだが……」

「どうしたの美海ちゃん……ダメだよお家から出ちゃ……」


 そう言いながら翠が抱き上げると、美海はそのまま翠の肩を伝って頭の上へと登った。


「ど、どうしよう……」

「どうも出来ねェだろ……今から連れて帰る訳にもいかねェし、それにこいつが来たって事は自分の意思で来たって事だろ? 能力的に帰せねェだろアタシらじゃ……現に今まで気付けなかった訳だし」

「……で? 連れて来るなら来る、帰るなら帰る。さっさと決めれば?」


 紫苑は貧乏ゆすりをしながら明らかに苛立っている様子だった。ただでさえ嫌っている人間を相手にしているというのに更に想定外の事が起きてムカついているのだろう。


「悪い、行くよ。翠、美海が勝手にどこかに行かない様に見ててくれ」

「う、うん。美海ちゃん、じっとしててね」


 翠が頭の上に腕を伸ばして首筋を撫でると美海は「にゃあ」と一声鳴き、落ちない様に頭にしがみついていた。その後紫苑に連れられて山の各所に建てられた鳥居を通り、彼女達が住んでいる場所へと辿り着いた。

 そこは一般的な神社によく似た建造物であり、敷地内には大きな紅葉の木が生えていた。その木からはまだ秋でもないというのに赤く染まった葉が散っていた。恐らく何らかの儀式的な意味のある木だと思われた。暗い山中だというのに薄っすらと明るく、ここが本来人の立ち入る領域ではないという事を表していた。


「姉ちゃーーん!! 姉ちゃーーーーーーんッ!!!」


 紫苑は敷地内に響かせる様にして大声を出して百さんを呼んだ。すると社務所の方から百さんがこちらに歩いてきた。神社を拠点としているにも関わらず普通の私服を着ており、長く伸びた黒髪を結んでもおらず、正装などは一切していなかった。眠たそうなとろんとした目でこちらを見るとフラフラと手を振った。


「おー来てくれたかぁ~いやぁありがたいありがたい。かわいい御供おともまで居るんだねぇ」

「付いてきたンすよ……。それで何があったンすか」

「うん、じゃあ話そっか」


 百さんは敷地内に存在する宝物殿ほうもつでんへと向かいながら話し始めた。


「ここで『コトリバコ』が清められてるのは知ってるっけ?」

「いや、初耳っす」

「『コトリバコ』は時間を掛けて清めるしかない。ここにあるやつは数ある『コトリバコ』の中でも最悪の類だから余計に時間が掛かるんだよねぇ」

「た、確か『ハッカイ』だっけ……?」

「そっ。八人分の子供の部位から作られた最悪の呪物。うちの資料によると戦略兵器レベルらしいねぇ~」


 『コトリバコ』は作る際に細工が施された箱の中に人間以外の動物の雌の血を入れて、更に人間の子供の体の一部を入れる事によって完成するらしい。入れられた子供の数が多ければ多い程威力を増し、『イッポウ』『ニホウ』『サンポウ』『シホウ』『ゴホウ』『ロッポウ』『チッポウ』『ハッカイ』と名を変えるらしい。


「どっかのクソが作ったせいでいい迷惑だホント」

「こーら紫苑ちゃん。汚い言葉使わない」

「……チッ」

「そんでねぇ、私達が管理してる『コトリバコ』は清めるのに百年は掛かるって言われてたんだ」

「そんなに掛かるンすか?」

「まーね。でも私が生まれるより前から管理されてたし、本来なら数日前に完全に清められる筈だった」

「……清められなかったンすか?」

「そっ。なーんかおかしいんだよねぇ」


 宝物殿の扉が開かれ中へと案内される。内部には様々な物品が置かれていたが、それはその中で一つだけ異彩を放っていた。ただそこに入っただけで肌がピリつき、圧倒的な妖気に今にも呑み込まれそうだった。百さんは『コトリバコ』が包まれていると思しき布の塊を持った。


「もしかしたら、前例の無いやつかもね」

「どういう意味っすか……?」

「は?『ハッカイ』以上の物かもって意味に決まってんじゃん、頭やられてんの?」

「紫苑ちゃん」

「……」

「ごめんね雅ちゃん。今紫苑ちゃんが言った通りで、もしかしたら『ハッカイ』以上のやつかもしれないんだ」

「で、でもでも……『コトリバコ』は『ハッカイ』が一番上なんじゃ……」


 百さんは包んだ布を持ったまま本殿ほんでんへと向かい、中へと入っていった。後を追って中に入ると内部は明かりになる物が何も無いにも関わらず明るかった。更に仏像が鎮座していたが、見た事も無い仏像であり何という名前なのかは不明だった。そんな中畳の上に布に包まれた『コトリバコ』が置かれた。


「『ハッカイ』が一番上って言われてるのは、術者の体が耐えられるのがそこまでって意味だよ」

「なるほど、それ以上は作ってる側が途中で死ぬって訳か……」

「そそっ。だから事実上の最強が『ハッカイ』だった。でももしそれ以上があるとしたらって話だよ」

「そ、そんな物作れるのかな? だって作ってる人が死んじゃうんだよね……?」

「今それどうでもいいじゃん。どうやって作ったかとかどーでもいいんだよ、今重要なのはどうやって対処するかって話な訳、脳味噌置き忘れたの?」

「紫苑ちゃーんそろそろお姉ちゃん怒るよー」

「……」

「ごめんね翠ちゃん。確かに作れるとは私も思えないよ。でも清められてない以上はその可能性が高いんだよねぇ」

「それで……開けてみたンすか?」

「いんや。もしもが怖いから応援として呼んだ訳」


 そう言いながら百さんは布を解いていった。そしてついにそれは姿を現した。

 木製の箱であり、表面には細工が施されていた。恐らくパズルの様になっており順番に回していかないと鍵が開かないという構図らしかった。布が外されたからか先程よりも強い妖気が放たれており、目の前に居るだけで眩暈めまいがしそうだった。翠の頭に乗っていた美海も何かを感じ取ったのか毛を逆立てて落ち着かない様子だった。


「……あ、開けちゃうの? 触ったらまずいんじゃ……」

「正確には見るだけでもダメ。まあここなら多少は耐性が持てるから気をつければ大丈夫でしょ~」

「……あたし的には反対。大体何で清める必要あんの? 昔から思ってたけど、こんなの壊せばいいじゃん」

「そりゃダメだよ紫苑ちゃん~相手の立場に立ってみ? 紫苑ちゃんも不思議な力があるからって迫害されたら嫌でしょ?」

「あたしは姉ちゃんや菖蒲あやめとは違う。そんな無礼なめた真似させない」

「させないって……どーするつもりなのぉ?」

「そんな奴らは殺す。幸せを邪魔する奴は全員」


 紫苑の目には憎悪の様なものが見て取れた。怪異によって妹を傷付けられた経験があるからか、一族の中でも怪異に対する敵対心が異常な程に強かった。家族思いであるが故にそれだけ憎んでいる様だった。


「なぁ紫苑、アタシが言うのは変かもしれねェが、日奉一族はあくまで管理や封印が仕事だ。消滅させたり殺すのは違う」

「何で? こいつらに存在する価値なんて無い。害しかないクソみたいな存在。姉ちゃんが封印してきた奴らもそう。あんな奴らに生きる資格なんて無い」

「紫苑ちゃん、怪異だって生きてるんだよねぇ。だからあくまで封印や監視なんだよ。刑務所みたいなものだよ~?」

「……意味分かんない。殺せば早いのに」


 プイッと顔を背けた紫苑を見て困った様な顔をした百さんだったがすぐに箱を持ち、からくりを解き始めた。解法が分からないため手当たり次第という方法になったが、まずは箱を開けてみない事にはどうしようもないため見守るしか無かった。


「翠結界を頼む」

「う、うん。えぇっと……」


 翠はショルダーバッグから白い折り紙で作られた虎を四匹取り出すと箱を四方から睨む様に配置し、瓶の中の折り鶴に力を集中させ始めた。彼女はこれを『威借りの陣』と呼んでおり、怪異の持つ力を一時的に弱体化させる結界らしかった。どこまで通用するかは不明だったが、相手が『コトリバコ』であると考えれば、決してやり過ぎだとは思えない方法だった。

 百さんは数分の間かちゃかちゃと箱を弄っていたが一向に開く様子は無かった。いつでも対処出来る様にと座ったままの状態でも杖に手を掛けていたが何も起こる様子は無かった。しかし未だに強い妖気は放たれており、具合がいいとは言えない状態だった。


「あんれぇ~……」

「変わりましょうか?」

「いや……うーんもうちょいやらせてぇ?」

「馬鹿じゃないの……壊せば済むのに」

「それじゃダメなんだってぇ……子供を使ってる以上、下手に壊したら別の事が起こるかもだしさ~……!」

「翠、大丈夫か?」

「う、うん……でもかなり強い……長くは持たないかも……!」


 翠はいつも以上に強く念を送っている様に見えた。眉間に皺が寄り、額に汗が浮かんでいた。訓練を積んだ彼女がこれだけ強く力を使っているのは珍しく、それだけこの『コトリバコ』が危険な存在なのだと感じさせた。


「あれ……紫苑ちゃん?」

「何?」

「それ……」


 百さんが指差した紫苑の顔を見てみると鼻の穴から血が伝っていた。本人は気付いていないらしく困惑していた。


「血が……」

「は……?」


 紫苑は鼻の下を触りようやく鼻血を出していた事に気付いたらしく、一瞬間を置いて『コトリバコ』を睨んだ。


「み、みやちゃんっ!」

「翠?」

「ダメ……ダメッこれ以上は……っ!」


 翠の呼吸が大きく乱れ、配置されていた虎の折り紙は突然風化して塵へと変わり始めた。明らかに異常な現象であり、最後の一匹が消えたところでついに翠は意識を失いこちらに倒れ込んできた。美海は素早く翠の頭から飛び降りると『コトリバコ』に向かって威嚇を始めた。


「百さんこれ以上は危険だ! 他の方法を考えた方がいい!」


 こうして影響が出始めたのは時間切れという可能性も考えられたが、もう一つの可能性として正解に近付いているからだというのもあった。『コトリバコ』にとって内部を見られるという事は種明かしをさせられるのと同義の筈であり、種が分かれば翠の結界で封印される可能性があるのだ。


「貸して!!」


 紫苑は戸惑っている百さんから『コトリバコ』をひったくると左手の手の平の上に置き、右手を上にゆっくりと上げた。その動きは完全に破壊を目的とした動きであり、より事態を悪化させる可能性があった。


「待て紫苑!! 放せ!!」

「あたしはあたしのやり方でやる。この方法は茜とかいう大馬鹿が教えてくれたんだ」


 紫苑の右手は手刀の様に『コトリバコ』に振り下ろされ、指先が箱の上部を突いていた。そしてそのまま右手を引き上げると箱からどす黒い霧の様なものが引っ張り出された。その様子は間違いなく彼女の力が使われている証拠だった。

 紫苑は生まれつき『魂に直接触れる』という力を持っていたらしく、姉さんはそんな彼女に一族に伝わる武術を教えていた。魂や霊体に素手で触れる彼女だからこそ使える武術だった。しかしそれはあくまで相手を無力化するための技術であり、殺す事を想定した技では無かった。


「ちょっ紫苑ちゃん!」

「ムカつく……ムカつくんだよクソ箱が。お前みたいなのが居るから菖蒲は……菖蒲は……!」

「オイすぐ放せ!!」

「殺す……消えろクソ霊が。お前らの生きる価値なんていつの時代も無いんだこのクソ玩具がっ!!」


 黒い霧は宙に放られ、紫苑はそれに対して横薙ぎの手刀を入れようとしていた。


「失せろっ失せろっ失せろっ失せろっ! 消え去」


 一瞬だった。紫苑は何故か畳の上に尻餅をついており、さっきまで紫苑が立っていた場所には百さんが立っていた。『コトリバコ』は床の上に転がっており、強い妖気を放ち続けていた。まるで一瞬で位置を変えられたかの様な現象であり、紫苑を真っ直ぐ捉えていた筈の自分の目にも何が起こったのかは分からなかった。


「れ……え、は……?」

「……ダメ、ダメなんだよ紫苑ちゃん……殺してお終いって風にはならないんだよぉ……」

「何で邪魔すんの! こいつには触れた! すぐに殺れる!!」

「違う、違うんだよ……そういう意味じゃなくて……」

「は……?」

「やっと分かったんだぁ……何でもっと早く気付かなかったんだろーねぇ~……」


 そこまで言ったところで百さんは吐血して倒れた。どうやら呪いが既に発動していたらしく、翠の結界が破れたところで限界が来たらしかった。また自分も咳き込んでしまい、口元を押さえた手を見てみると血が付着していた。それを見てか美海はより威嚇を強めている。


「……姉ちゃん? 姉ちゃん……?」

「紫苑……」

「何? 何なの? 何があった訳……? 教えて……教えてってば……」

「オイ紫苑……」

「姉ちゃん教えて……あたしに、あたしに……」

「紫苑ッ!!」


 怒鳴り声を上げてこちらを向かせる。先程と違い紫苑の顔は動揺している様子であり、それだけ彼女にとって百さんが大切な存在なのだと感じた。だからこそ気持ちを抑えさせなければならなかった。もし放っておけば紫苑は怒りに呑まれ、完全に破壊する筈だ。そうなれば手に負えなくなるかもしれない。


「いいか紫苑……ゴホッ! ……落ち着けよ」

「指図するな……」

「いいや言う事を聞け。百さんは何かを見付けたンだ、それが何なのかを見付けるのが先だ」

「関係ない……壊せば……」

「そうなったらいよいよ終いだぜ……?」


 翠の体からショルダーバッグを外し、それを枕代わりにして寝かせる。出血は見られなかったがこのままだと時間の問題だろう。杖を手に立ち上がる。


「今からアタシが探す。お前ェはサポートに周れ、いいな?」

「チッ……」

「了解って意味でとるぜ今のは」

「勝手にすれば……」

「よし……ゲホッ……クソ、じゃあ始めるぞ」


 箱の前に立ったアタシは指先から熱源を走らせ始めた。

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