奴隷職員が感じる神の眼



 オーナーが神さま、もしくは神さまの眼を持ってるんじゃないかと本気で思ったのは、ムラーノの奴がヤルツ商会のことを話してくれた時だった。


「…………実は、昨日、ヤルツ商会の人から引き抜きの話があって、前の給与よりも高い額を提案された後に、果物に傷を入れて客からの評判を落とせって、言われたっす。あ、もちろん、即座に断ったっすよ? 今の給与の方が提案された額より高いっすから」


 頭をかきながら、ムラーノは笑った。


「いやあ、オーナーに言われた通りのことが起きるからびっくりしたっす~」


 おれにとっては笑い事ではなかった。


 ムラーノについては、予言だった。何もしていないのに、そうなる、と言われたようなものだったからだ。いや、たった今、ムラーノが言ったことで、あれが予言だったとわかったんだ。


 あの時、おれは、仕入れ先の丁稚の奴がしゃべったんだろう、ぐらいにしか思ってなかった。


 でも、今はちがう。

 あれは、神の視点だったんだろう。そうにちがいない。


 つまり、おれが今奴隷になっているのは、神さまがそうなるようにしている、ということなんだ。


 奴隷として職員になったのは、仕方がないことだ。会頭を裏切って仕入れ先の情報をヤルツ商会に流し、ヤルツ商会がうちよりもほんの少し高値で仕入れることで、うちとの取り引きを仕入れ先が渋るようになっていった。それは、おれの責任だった。


 そんなおれを奴隷に落とすのは当然のことだ。商会に損害を与えたんだから。


 だが、商会は突然息を吹き返した。


 大量の金貨とともに、驚くほど大きな金塊という、資金援助を受けて。


 元々やり手だった番頭は、圧倒的な資金を背景に、ヤルツ商会へ逆襲を仕掛け、公都から追い出してしまった。さらには隣の伯爵領やその向こうの辺境伯領とも回復薬で太いつながりを作り、支店を増やして販路を拡大していった。


 あれは神からの警告だったんだ。

 だから、奴隷になったことにも、きっと意味があるはずだ。






 意味があると信じていた。


 そして、それは、まさに奇跡と呼べる、そういう瞬間をおれは得た。


「き、奇跡が起きた…………」と、おれは思わず口に出していた。


「おれは! おれは! 一生! 一生オーナーについていきます!」

「こんな、こんなことがあるなんて…………」

「伝説の冒険商人カルモーと同じ、あの御業が…………」


 他の三人の奴隷職員も、似たようなものだ。


 おれたちはオーナーとお嬢さまに連れられて地下迷宮に入り、そして、そこで。

 伝説の冒険商人カルモーが使ったとされる転移の御業と、拡大魔法棚を使えるようになったんだ。


 おれたちは、奴隷契約によって、もう商会を裏切ることはできない。だが、おれは、商会ではなくこの方を、このおれたちの神とも呼ぶべきお方を……。


「………………われら4名。オーナーに忠誠を捧げます」


 おれがそう言って、それまで以上に深く頭を下げ、床に額をつけた。他の3人も同じように動いた。


「……その忠誠は、ハラグロ商会に捧げてください」


 …………そう。このお方は、そういう方なのだ。


「はっ! この命にかえましても!」


 この命。

 必ずこのお方に捧ぐ。

 このお方の偉業を成し遂げる姿を。

 いつかこの目で見るためにも。


 奴隷であることを今、おれは誇りに思う。






 そして今。

 馬車を守るために大盾をかまえたおれたちの前で。


 また、奇跡が起きている。


 まだ成人前の少女たちが。


 どこか怖ろしげな青白い魔物を次々と、そう、次々と、いともたやすく、しとめていく。


 この旅が始まってケーニヒストルータを離れてから、毎日のようにあの方はこの少女たちを鍛え続けていた。


 いや…………。

 あの方が鍛える前は、この少女たちは間違いなく、ただの少女だったのだ。

 今は、神の御使い……そう、天使のように見える。


 魔物に襲われた村を救う、神々の使徒たち。

 これは神の眼を持つあのお方が予測し、備え、今があるにちがいない。

 あのお方は全てを見通しておられたのだ。


「我らが神はこれを予測しておられたのだ」

「ああ、そうだ、その通りだ」

「やはりあのお方は神」

「そう、あのお方は我らが神」


 大盾を持つ同志たちがおれに同調する。


「あのお方に従う限り、我らの道に間違いはない」

「その通り」

「いかにも」

「そうだそうだ」


 村が滅びそうに見えた初期段階と異なり、今は魔物が全滅しそうだ。


 やはり我らが神が力を与えし天使。


 すばらしい。


「総員! 後退せよ! 姉上のところまで全力で下がれ! 魔物は相手にするな! 急げ!」


 突然。

 あのお方が叫んだ。


「なんだ?」

「どうしたんだ?」

「圧倒的優勢に見えていたが?」


 同志たちが混乱を言葉にする。


 だが。

 おれにはわかる。


 あのお方は次に何かが起こるということをその神の眼でとらえているのだ、と。


「いや、あのお方がそう言う限り、今から何かが起こるのだ」


 はっ、とした表情で同志たちが振り返る。おれは言葉を続ける。


「あのお方を信じるのだ。信じるだけで、必ずおれたちは救われる」

「そ、そうだな」

「すまぬ、一瞬とはいえ、我らが神を疑ってしまうとは」

「情けない……」


 同志たちが後悔を口にした瞬間。


 青白い魔物をさらに大きな魔物が襲った。


 それは、神殿での伝承で語られた姿。

 忌まわしき飛竜だ。


「おおお……」

「やはり、そうだったのか」

「これを予測していたとは!」

「ああ、我らが神よ!」


 次々に飛竜が現れ、青白い魔物たちが捕えられ、連れ去られていく。


 だが、最後の飛竜が、獲物である青白い魔物を捕まえられずに、上空をぐるぐると周回していた。


 そして、急降下。


「いかん!」

「我らの神が!」

「ええい! 飛竜め!」


 また、同志たちが取り乱す。


「落ち着け、同志たちよ。我らが神は負けぬ」

「あ、ああ、そうだ」

「そうだった」

「ああ、神は勝つ!」


 それは、ほんのわずかな時間のことだった。


 あのお方は、その身にせまった飛竜をかわすと、光魔法でその片方の翼を奪い、大地に落とした。


 さらに、光魔法を続けて、もう一方の翼も奪う。


 聞くだけで震えがくる飛竜の雄叫びに怯むこともなく立ち向かい。


 目にも止まらぬ剣技で。

 一瞬で飛竜を打ち倒したのだ。


「やはりな」

「ああ、間違いない」

「さすがは我らの神」

「全ては我らの神の掌の上だ」


 おれは大盾をゆっくりと大地に下ろし、同志たちに対して腕を伸ばす。


「おれは誓う。あのお方。我らの神に仕えると」


 伸ばしたおれの手に、もう一人の手が重なる。娘のために横領した男だ。娘はもう、薬を飲んで医者にかかり、治ったという。それも全て、あのお方のおかげだ。


「私も誓う。あの方を信じ続けると」


 あとの二人も、手を重ねる。


「もちろんだ」

「当然ではないか」


 おれたちは視線を合わせた。


「我ら、生まれた日、過ごした場所はちがえども、仕えると決めたお方は同じ」

「「「仕えると決めたお方は同じ」」」

「あのお方と共に生き、あのお方と共に死なんとす」

「「「あのお方と共に生き、あのお方と共に死なんとす」」」

「この誓い、破れば己の命を絶つ!」

「「「この誓い、破れば己の命を絶つ!」」」


 こうしておれたちは、新たな神の神官となったのだ。


 番頭が、ケーニヒストル侯爵からあのお方のことで何やら言われて、敵対すると宣言していた。ケーニヒストルータに出店するのは商人の夢とはいえ、さすがは番頭。そんなことよりもあのお方を優先するとはな。あのお方の領地に出店したらすぐに戻れと言われている。言われるまでもない。


 何が世界最大の経済都市の支配者だ。


 我らの主は地上の神。

 敵に回るのならば容赦はせぬ。


 生きたまま、身体中の穴という穴から泣かせてやろう。


 覚悟せよ、トリスタレラン・ド・ケーニヒストル!


 おまえはすでに、神の敵となったのだから…………。





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