マツヨイグサ
美しい人だった。細すぎる輪郭に、淡い色の着物がよく似合う。薄化粧を施した顔は、彼女を照らす月の光よりもさらに白く、儚げだ。
毎晩、ヘトヘトになって帰って来て、スーツから部屋着に着替えて安アパートの窓枠にもたれかかると、彼女が向かいの屋敷から出て来るのが見える。古めかしい武家屋敷のような、ひょっとすると文化財指定されてでもいるかもしれない立派な屋敷から、周りを憚るようにそっと出て来て、月の上る方に、じっと体を向ける。そうして、私が食事を取るためにそこを離れて、暫くしてから戻って来てもまだ、そこに立っている。
「ああ、あの奥さんか」
アパートの管理人が集金に訪ねて来たとき、彼女の話になった。五十代半ばの管理人は、訳知り顔で頷いた。
「可哀想にね。もう帰って来ない旦那を、もしかしたら帰って来るかもしれない、と毎晩、ね」
言葉を失った私に、彼は教えてくれた。彼女の夫は精神の均衡を失い、あるとき失踪してしまったのだと。
「月の綺麗な晩のことでね。奥さんが泣きながら止めるのを聞かずにね。だからあの人はああして、月の晩には必ず外を見に行くのさ」
けれども彼女の夫は、行方不明になって数日後、河原に倒れているのが見つかったのだと言う。
「奥さんも確認した筈だよ。でも、駄目なんだな。本当に、仲が良かったからな」
今日も月が綺麗だ。私の眺める前で、あの人が外へ出て来る。
ひょっとするとあの人は、月に愛する人の姿を重ねているのかもしれない。
悲しい気持ちで、私はそんなことを思った。
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