バラ(ベージュ)

 スポットライトと共に、奇術師が舞台上を飛ぶように歩く。観客は頬を紅潮させ、次なる妙技を心待ちにしている。

 隣の席で、妻の喉が動くのが見えた。

「お次はこちら……愛の果実が成る木でございます」

 奇術師が立ち止まった場所には植木鉢があったが、何の変哲もないばかりか、何も生えてはいなかった。奇術師はそれをひょいと持ち上げて、土が詰まっているのを我々に見せた。ついでにくるりとターンして何の仕掛けも無いことを示し、慎重な手つきで床に置き直した。

 奇術師は空中から取り出したステッキで、植木鉢を一回叩いた。

 植木鉢から、何かが飛び出した。何かと思う間に成長したそれは木の芽であり、みるみるうちに若木になった。青々とした葉が茂り、奇術師の頭上に陰を落とす。

「この木は触れた人間の感情を読み取り、それに応じた実をつけるのです。では、皆様の中からどなたか……」

 言いながら奇術師は観客席を見渡し、こちらを向いてぴたっと止まった。

「ではそちらのご夫婦、こちらへどうぞ!」

 奇術師の目は私と妻に留められている。戸惑う私とは対照的に口元を綻ばせた妻は、私の手を取り軽やかに舞台へ上がった。

「さあ、お手をこちらに」

 綺麗に整えられた爪が艶やかに光る妻の手と、私の手が並ぶ。なんだかとても久しぶりに、妻の手を見た気がする。

 若木は温かく、とても作り物には思えない。見上げる枝振りに、先ほどと同じように急速に実が成った。真っ赤に輝く、美しい実だった。奇術師の長く器用な指が、その実をもいだ。

「これは、成熟した愛の果実……お二人の物です。さあ、どうぞ」

 妻がそれを受け取り、私に微笑みかける。何十年かぶりに、鼓動が高鳴るのを感じた。

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