ベルガモット

 帰りたくない、と喚くハッカちゃんを、どうにか玄関まで引きずって来ることが出来た。こんなクソ暑いのにセーターと長いジーンズで、もこもこの靴下を履いてジタバタするハッカちゃんは、おれがどんなに手を引いて起こそうとしても、靴を履かせようとしても嫌がった。

「いやだいやだいやだいやだ、かーえーらーなーいー! 私、ここに住む!」

「勘弁してくれよハッカちゃん……ワガママ言わないで」

 ハッカちゃんは涙目でおれを見上げる。おれがそれに弱いのを知っているからだ。でも、流石にこればかりはそうは言っていられない。おれはため息をつきつつ、玄関の戸を開く。前庭を越えてすぐの道路を、たくさんの赤い花が松明のように燃えながら漂っていくのが見える。微かに、柑橘系の良い香りがする。

 今までテコでも動こうとしなかったハッカちゃんだったが、その無数の赤い花が流れていくのを見た途端、おとなしくなった。今度は本当にしょぼくれて、うなだれて、すぐに顔を上げた。

「……分かった、行く」

「……うん」

 ハッカちゃんは冬靴を履き、玄関から飛び出していった。道路で赤い花々と合流する時、こちらを向いて、明るく笑った。

「また来年も来るから! 待っててよ!」

「おう。その服はもう飽きたから、次は浴衣でも着て来い」

 返事の代わりにその場でくるりと回って見せて、ハッカちゃんは赤い花になり、風に乗るように、帰ってしまった。おれは暫くの間、その芳しい行列を、ぼうっと眺めていた。

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