クルクマ

 お嬢様は特殊体質でらっしゃるから、お前も気をつけることだ。

 周りの使用人仲間からそう言われ続けて来たけれど、ぼくはまだ、肝心のお嬢様にお目見えしたことが無い。ぼくのような力仕事担当は、主人の面前にまみえる機会さえ無いのだ。ただ聞こえてくるのは、お嬢様の美貌だけ。なんでも拝顔した者は皆、その麗しさにあてられ、酔ったように正気を失ってしまうとか。

 まさかそんな、とは思うけど、正直な料理長までもが口元を緩ませて語っていたので、本当なのかもしれない。と言っても、ぼくには関係無いことなのだけれど。

 その日は食事会が開かれるため、使用人は前日から総出で準備に奔走していた。ぼくも屋敷中を回り、昼頃には疲れ切ってしまった。夏の暑い盛りのこと、冷たい水が欲しくなり、使用人しか使わない井戸へ出向いた時だった。

 見覚えのない少女が明らかに不審な挙動をしていた。着ているのは支給されるメイド服だから、新入りかもしれない。道に迷ったのか何なのか、ぼくに気づかずしきりに辺りを窺っている。

「ねえ君、新入り?」

「ひゃう」

 悲鳴とともに振り返った少女は、メイドにしては整った目鼻立ちで、肩より伸びたブロンドの髪も艶々している。そもそもメイドなら髪をまとめなくてはいけない筈なのに、この子はそれも教えてもらっていないのか。

「迷ったの? なら一緒にメイド長の所に行こう」

「えっ、えっ……」

 ぼくが手を取ると、少女は戸惑いを露わにした。おかしな子だなあと思っていると、ようやくまともな言葉を発した。

「お前は……私を見ても、平気なのか」

「え? 平気だけど……どういう意味?」

 少女は「平気な男もいるのか……」と呟き、なぜだか嬉しそうに笑った。

「私は一人で部屋に帰れる、ありがとう。この服も、ちゃんと元の持ち主に返すよ」

 そう言って、少女はぼくの手をぎゅっと握り、お屋敷の中へ駆け込んでいった。おかしな子だった。

 けれど、また会えることもあるだろう。同じお屋敷で働いているのだから。最後に見た笑顔と手の温度が、その日はずっと消えなかった。

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